昨日、歌手の坂本スミ子さんが亡くなったというニュースが。女優としてはカンヌを獲った深沢七郎(この人は全てが好きですね…)の『楢山節考』、歌手としては60年代のNHKの名バラエティ”夢であいましょう”の主題歌「夢で逢いましょう」で知られている。永六輔.・中村八大コンビの名曲。戦後民主主義の良いところを取ったワールド・スタンダードな和製ポップスが生み出されていた時代。ガラパゴス日本の文脈だと、こういう洋風のものがマトモに売れたためしは今までほとんどない。ただ、彼女の場合は日本人好みの哀愁ラテン歌手の出ですから、70年代の今思えばドメスティック・内向きな四畳半フォーク・歌謡曲全盛期に入ると、そっちの文脈で再起ヒットを出すことができた。それが新興CBSソニーから1971年に出た”夜が明けて”。奇しくも作詞のなかにし礼、作曲の筒美京平が年をまたいで相次いで鬼籍に入った。中村泰士も。そういう節目の時期なんだと思う。エレカシ宮本浩次の歌謡曲カバーアルバム『ROMANCE』(コレ、普通に全編感動的だった!)が出るのも、人間の本能的な歴史の継承という意味では必然だと感じられた。
で、久々に取り出してきた坂本1972年のアルバム『夜が明けて』。疑似フォルクローレな”夜が明けて”は、冷静に聴くと当時サイモン&ガーファンクルで親しまれていた”コンドルは飛んで行く”を上手くアレンジして作ったことがよくわかる。筒美さんはそういう天才だった。しかもB面には”コンドルは飛んで行く”の日本語カバーも入っていて、ちゃんと種明かしが。”マミー・ブルー”のカバーもハマっているし、阿久悠・筒美京平コンビの”ふたりは若かった”(尾崎紀世彦が同年ヒットさせる)、リンド&リンダースの加藤ヒロシが曲を書いたヒット”たそがれの御堂筋”も収録。B面1曲目のなかにし礼訳詩”別れの朝”は1971年”夜が明けて”と同時期に、前野曜子時代のペドロ&カプリシャスが大ヒットさせていた。このペドロのシングルもCBSソニーから出ている(また、ワーナーから出たペドロのファースト・アルバムでは”夜が明けて”がお返しにカバーされている)。最後は坂本九の歌唱で知られるマイク真木・中村八大コンビの”さよならさよなら”。これは「夢であいましょうrevisited」な感覚。
このレコを買った西荻窪の中古屋も昨年コロナ禍で閉店してしまった。白のペンでサインが入っているけれどコレ、”夜が明けて”の歌詞「ひとりふかす たばこのけむり 白い 白い」を思わせる。