いしうらまさゆき の愛すべき音楽よ。シンガー・ソングライター、音楽雑文家によるCD&レコードレビュー

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[NEW!!]11月15日発売のレコードコレクターズ12月号に加奈崎芳太郎『キッス・オブ・ライフ ジャパニーズ・ポップスの50年を囁く』(明月堂書店)の書評が載りました。
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[NEW!!]編集・ライターを担当した加奈崎芳太郎著『キッス・オブ・ライフ ジャパニーズ・ポップスの50年を囁く』(エルシーブイFM「加奈崎芳太郎のDIG IT!!」書籍化)が2019年8月に発売されました。
●加奈崎芳太郎著・桑畑恒一郎写真
●定価:本体3000円+税
●A5判(上製)416頁

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【メディア掲載】
『毎日新聞』2019年10月3日掲載 「元「古井戸」加奈崎芳太郎さんが本出版 音楽活動50周年の集大成」
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『長野日報』2019年9月25日掲載 「音楽文化で伝える戦後 パーソナリティのFM番組まとめ 加奈崎さん書籍刊行」
極北ラジオ石浦昌之の「哲学するタネ」が書籍化されました。
『哲学するタネ【東洋思想編】――高校倫理が教える70章』(石浦昌之 著)2018年9月発売!!
●石浦昌之著
●定価:本体2500円+税
●A5判(並製)384頁

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【書評掲載】
『情況』2018年秋号 田中里尚(文化学園大学准教授)「教えられぬことこそ語り続けなければならない―石浦昌之の実践について―」
『日本教育新聞』2019年3月18日 都筑 学(中央大学教授)「先哲から学ぶ人生の知恵」
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【ブックガイド掲載】
斎藤哲也『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』(2020年、NHK出版新書)

レコ屋のある日常

*[コラム] レコ屋のある日常


緊急事態宣言が全面解除に。それにしてもここまで、なかなかしんどい期間だった。経済と健康…保健大臣が目立った諸外国と比較すると日本は厚労大臣より経産大臣が指揮していたから、あくまでそっち優先だったという話になる。が、やはりこれ以上人々の生活を支え切れないということなのだろう。フライング感があったのは支持率回復と来年のオリンピック実施の判断が10月にあることも関係しているように思われる。しかしコロナ以後を演出するのは拙速で、少なくともワクチン実用化後の話だろうし、日本は打ち勝ったとかいう狭い了見では、既に私たちを取り巻くグローバル経済構造の展延を見誤ることになる。


とはいえこの期間、経済とは人々の生活を互いに支えることだと改めて実感できた。例えば毎日目の前でキラキラ輝いているように見えた自分のレコード棚が、なぜか死んだように見えたんですよね。友人が遊びに来て色んなレコードを聴いたり、レコ屋で久々に好きなアーティストのレコを買って、それを機にもう一度アーティストのレコを全部出してそのキャリアを辿ってみる…とか。つまり棚もストックするだけでなく、フローさせないとやっぱり血液循環が悪くなるんですね。不思議と。

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そんなわけで中古レコ屋のネット通販とか、ライブハウス援助とか、やれる限りのことはやったわけだけれど、西荻窪の名店ファンレコードの閉店はまぢで痛かった。まあいつかそのタイミングを狙ってたのかもしれないけれど、こんな最中に37年間の歴史を閉じてしまうとは…音楽仲間がみんな西荻近辺に住んでいたころは、無茶苦茶狭いのにレコードギュウ詰めなあの店行くと必ず誰かに会えたもんな…しかも店のオジサンの一人がむちゃくちゃ怖い(笑)閉店時間近くに行くと「閉めるよ」とか言って追い出されるとか、お金払っても毎回無言で釣りを突っ返されるとか、伝説になっている。思えば20年近く通って会話したのは二回。はっぴいえんど『風街ろまん』オリジがナント税込2000円で売っていて、思わず「オリジナルですか?」と聞いたら「だと思う」って。あとは買いすぎて商品が袋ごと下に落下したときだけ「スマン」って。その2回(笑)でも、安かったなあ。例えばフリートウッド・マックとかCCRとかジェフ・ベックとか、そういったロック・クラシックを一通り全部集めたい時はまず初めに行くと、1枚500円くらいで大体揃うっていう。ああいうオールジャンルの店って通ってくうちに家のレコ棚も似てくるんですよね。とっても残念でした。


だから、わが町三鷹の名店パレードが今日営業再開したのは嬉しかった!やっと日常が戻った感じ。久しぶりに店長さんと長話をしてしまう。今日はこんな感じ!

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ちなみにユニオンは先週から始めてましたが、店内のお客さんの背中にはレコ掘れる嬉しさが滲み出てました。

ブックガイドで取り上げて頂けました

*[コラム] ブックガイドで取り上げて頂けました

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斎藤哲也さんの新刊『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』NHK出版新書)、先ほど書店で見つけて手に取ったところ、私の『哲学するタネ【東洋思想編】—高校倫理が教える70章』を巻末ブックガイドで紹介してくださってました!ありがとうございます!

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斎藤さんが監修された『哲学用語図鑑』(プレジデント社)はイラスト入りの大変ユニークな哲学入門書で、ベストセラーとなった前作『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』ともども発売時に買っていました。センター試験(今年度から大学入学共通テスト)の科目になっていることで存続してきた高等学校の必修科目・倫理が、財界の意向も組んだ割と政治的な意図で選択科目となり、消えかけていること…これが『哲学するタネ』を書く強い動機となったのですが、そんな部分ももしかすると、汲んでくださったのかもしれません(勝手にそう思っています…)。ちなみにそのことと、音楽はじめ芸術文化が昨今のコロナ禍における困難な状況の中で、一面では軽視され見殺しにされていることと、実は根っこでつながっていると思うのです。

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善竹(茂山)富太郎くんのこと

*[コラム] 善竹(茂山)富太郎くんのこと

 

高校そして大学の心理学科の同級生だった大蔵流狂言師の善竹(茂山)富太郎君がコロナで亡くなったと聞き、茫然としています。何と言葉にしてよいかわからないくらい、本当にショックです。一昨夜心理学科の時の友人から教えてもらい、嘘だと思いたい一心で電話をしたら、弟さんが出られて、本当だったとわかりました。4月5日に入院してから闘病していたものの、快癒の願い叶わず…とのことでした。昨夜はヤフーのトップニュースにもなっており、胸がつぶれそうでした。


少々長文失礼します。大学の心理学科は男子が少なく、そこから富太郎君とは特に仲良くなりました。大変畏れ多いことですが、お前皇太子様に似てるな~と思ってた、なんて言われたところから親交が始まったと思います。当時携帯電話を持とうとしなかった私の実家にいつも電話をしてきて、早く携帯持てよとさんざん言われたのも懐かしいです。モノマネも得意で長話好きでした。当時私はギターを本格的に弾き始め、音楽を作り始めていたのですが、富太郎君は狂言だけでなく音楽にも幅を広げたいと思っていたみたいで、ある日いつものカラオケボックスに呼び出されると(彼が好きだったASKAに影響されたと思しき)曲を作ったよ!とくせのある字で沢山の歌詞を書いてきたものを渡され、それ以来お互いの家やカラオケボックスを練習場所に行き来したりして、私のギター伴奏で曲を仕上げていったこともありました。最終的に富太郎君が10曲くらいのオリジナルを作り、私の「ワラベウタ」という曲を富太郎君が歌ったものを含めて4曲の簡単なデモを作りました。「あいつと呼んだあの場所まで」という曲は、彼の人には見せられない弱みをさらけ出したような名曲でした。


じきにトッタ(TOTTA)とイチでロングロングアゴーっていうグループ名にしようと彼が提案し、お前仕事辞めて本気で腰を据えてやろう、責任はこっちで持つからと迫られました。ちょうど確か私も25歳を超えて、まだ就職先を転々としたりしていたと思います。でも私は、音楽を続けていきたいけれど、自分の曲と歌でやりたかったから、最後の最後は断ったのでした。その時の寂しい声はなんとなく忘れられません。


その後も、私の結婚式の時に、場の空気を変えるほど素晴らしい狂言を披露してもらったり、国立能楽堂セルリアンタワーに舞台を観に行くことも沢山ありました。ボーカルレッスンも始めたようで、ジャズを唄うライブに誘われて、観に行ったこともありました。お前との後に自分でこんな歌の世界を作ったよ、と私に見せたかったのかもしれないです。


大柄ながら、高校時代バスケットボールプレイヤーとしても一流だった運動神経で、その狂言の舞台は実にダイナミックでした。巧みな話芸や滲み出るコミカルさは、人間国宝の血を引く天性のものだったと思います。自主公演を行うほか、様々な領域の芸能とのコラボレーションや大学教員として後進の育成、学校狂言など、狂言の裾野を広げる啓蒙活動に精力的に取り組んでいました。今から、という所でこんなことになってしまい、ただただ残念でなりません。お父さん、弟さんとの舞台をもう一度観たかった。謹んでお悔やみを申し上げます。

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Doug Dillard / Going Down / Poor Old Slave

*[45s] Doug Dillard / Going Down / Poor Old Slave( Warner / 1976 )

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ハリー・ニルソン・プロデュースによる、ダグ・ディラードのUK限定シングル。アルバム未収録でシングル・オンリーと思われる。最後は散漫になり果てた結末からもわかるが、ニルソン関係にはシェールとのデュエットだとか、こうした類のものが時々ある。で、ディラーズおよびディラード&クラークのバンジョー・プレイヤーだったダグとニルソンの接点は…というと、ロビン・ウィリアムスがポパイを演じ、ニルソンが音楽を担当した1980年の映画『Popeye』のサントラ、このバックバンドだったファルコンズというのが、ダグ・ディラード、ニルソンと縁のあるジョン・レノンの片腕でもあったクラウス・ヴーアマン、エルトン・ジョンとの共演が著名なパーカッショニストのレイ・クーパー、そしてアレンジャーのヴァン・ダイク・パークスとニルソン自身だった。このシングルのA面「Going Down」は1977年のニルソン自身のアルバム『Knnillssonn』(このアルバムのせいで、ニルソンの綴りがいつもわからなくなる)でセルフカバーされている。そちらは深海を表現したコミカルな味付けもある万華鏡ポップなのだが(声がコロンビア期の大滝詠一みたい!)、流石にここではダグにそこまでヒネクれた音を求めることはできなかった模様。ただ、不思議な浮遊感のホーンとコーラスにバンジョーが鳴り響く桃源郷サウンドはバーバンク的としか言いようがなく、ただただ印象に残る。B面を聴くとよりその異質さが際立つような。

 

The Strangers / Land Of Music

*[45s] The Strangers / Land Of Music( kr / 1966 )

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前回のジェイムス・テイラーのいたフライングマシーンの写真にジェリー・バーナムが映っていた。彼が在籍していたフィフス・アヴェニュー・バンドの前身が、ピーター・ゴールウェイ、ケニー・アルトマンらが在籍したストレンジャーズ。失礼ながら、ジェイムスが吉田拓郎だとするなら、ピーターは加川良でしょうか。音楽性の話ではないけれど。リリース元のチェス傘下のkrは、ジェイムス・ギャング~ゲス・フーのギタリストだったドミニック・トロイアーノ在籍のマンダラのシングルなどをリリースしていたレーベル。レーベル名はKoppelman/Rubin(コペルマン・ルービン)の頭文字を取ったものだろう。チャールズ・コペルマンは元バンドメイト(アイヴィー・スリー)のドン・ルービンと組んでドン・カーシュナーのアルドンに入り、その後独立してラヴィン・スプーンフルを大成功させ、後にCBSビリー・ジョエル、ジャーニー、ジャニス・イアンなどを手掛けた大物裏方。今作のプロデュースはスプーンフル同様エリック・ジェイコブセン。このシングルはフォーク・ロックが胎動した60年代半ばニューヨーク、グリニッジ・ヴィレッジの雰囲気を伝えてくれる音。もちろんボブ・ディランがその起爆剤だったわけだけれど、フライングマシーンやフィフス・アヴェニュー・バンドは、フォーキーながらソウルと近接したファンキーかつメロウな音が魅力的だった。それと比べると、ピーター・ゴールウェイのデビューとなったストレンジャーズは、習作の時期と言ってよいのか、もっと直截的に1965年のボブ・ディラン(”Like A Rolling Stone”)を引用してみせる。でも、コーラスにはドゥ・ワップのメロウな黒人音楽の成分を含み、グッドタイミーな色もある。ただ、”Like A Rolling Stone”のAメロは、リリース前年の1964年にバリー・マン(&シンシア・ワイル)が作り、フィル・スペクターがプロデュースしたライチャス・ブラザーズ”You've Lost That Lovin' Feelin'”のCメロの循環コードに似たものがあるわけで、その点が黒人音楽をルーツにもつピーター・ゴールウェイ達の演奏によって浮かび上がってくる。これも音楽のひとつのマジックに違いない。ちなみに手元にあるシングルは白DJコピーで裏面も「Land Of Music」。イエロー・レーベルのものには”I need Your Love Inside Me”というフィフス・アヴェニュー・バンドを彷彿とさせる名曲が入っているが、そちらの盤はなかなか入手困難でお目にかかったことはない。さらにもう一枚、ストレンジャーズにはテストプレス盤「Give Way Or The Other / Hassles Castles」があるというけれど、果たして本当に存在するのだろうか?

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The Flying Machine / Night Owl / Brighten Your Night With My Day

*[45s] The Flying Machine / Night Owl / Brighten Your Night With My Day ( Rainy Day Records / 1967 )

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前回のジェイムス・テイラーをもう少し遡ってみよう。今回はジェイムスが結成したバンド、フライングマシーン(英のトニー・マコウレイ楽曲を歌ったグループでは無い)の1967年のデビューシングル。手元にある45sは相当擦れていてボロボロだ。フライングマシーンのドラマー、ジョエル・オブライエンと、ギタリストのダニー・クーチはNYのバンド、キング・ビーズでRCAビクターより4枚シングルを出していた。その二人が結成した新グループのボーカルに迎えられたのがジェイムス。フォーク・デュオ、ジャスト・アスを組んだアル・ゴーゴニとチップ・テイラーに売り込んだのがデビューのきっかけ。アルそしてチップがいかに当時の大物だったかは、60年代後半から70年代初めのレコードを集めているとよくわかる。流通はJay-Gee(Jubileeの傍系)。両面とも後に再演されるけれど、ここでの「Night Owl」はトレイド・マーティン(だけにファンキー!)とアルが、「Brighten Your Night With My Day」はアルがアレンジし、プロデュースはチップとアルが手掛けている。制作の「テイラー・ゴーゴニ・プロダクションズ」の「テイラー」は、ややこしいけれど、ジェイムスではなくチップ「テイラー」。レーベル名「Rainy Day Records」はきっとジェイムスの曲「Rainy Day Man」から命名したものだろう。なかなかしゃれている。このレーベル、チップのソロ、アリス・クラーク、キャシー・マッコードなんかのシングルのみをリリースして消滅した。ちなみにジョエル・オブライエンはムーギー・クリングマンとのグリッターハウスに加わった後、クーチとジョー・ママを結成し、ジェイムスやキャロル・キングとツアーに出た。そしてフライングマシーンのもう一人のメンバーはファンキーなベースを奏でたザック・ワイズナー。きっとジェイムスの手引きだろう、ジェイムスの妻(だった)カーリー・サイモンのアルバム『Another Passenger』(1976年)にザックの楽曲を2つ、ひっそりと収めた。

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(この写真では左から、ジェイムス、ダニー、後ろにジョエル、そしてフィフス・アベニュー・バンド[当時ストレンジャーズ]のジェリー・バーナム)

James Taylor / Carolina In My Mind / Something’s Wrong

*[45s] James Taylor / Carolina In My Mind / Something’s Wrong ( Apple / 1969 )

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2020年の新作『American Standard』、一日一回はリピートしている。今日の45回転はジェイムス・テイラー。フライングマシーン解散後の1968年にビートルズのアップルレコードからリリースされたアルバムからカットしたファースト・シングルがこの「Carolina In My Mind」。ポール・マッカートニーがゲストでベースを弾き、ピーター&ゴードンのピーター・アッシャーがプロデュースした(アルバムにはジョージ・ハリスンが「Something」に歌詞を引用した「Something In The Way She Moves」などを収録)。弟リヴにも「Carolina Day」という名曲があったが、キャロライナで共に過ごした想い出が二つの唄に生まれ変わったことになる。ちなみにリヴがAtcoから出したファースト・アルバム『Livingston Taylor』ビートルズ赤青盤の構図を模していた。話を戻そう。兄ジェイムスのファーストも名前を冠したJames TaylorRCサクセションのファーストに似て、弦やハープシコードを足したオーバー・プロデュースはファンに評判が悪いけれど、個人的には大好きだ。ギブソンJ-50のアコギの音とジェントルな歌に耳を澄ますと、ジェイムスは初めからジェイムスしていた。ピーターはその後、米ウェストコーストでプロデューサーとしての地位を築くことになる。このシングル盤を買ったとき、お店の人は気づいていなかったようだけれど、スリーブの左隅に、「レス」という人にあてたサインが入っていた。今度のソロ・デビューは無駄にしたくない、というジェイムスの強い意志が伝わって来ないだろうか。しかし結局、アップルでのリリースは失敗に終わり、米ワーナーからの再ソロデビューにおける「Fire And Rain」のヒットでやっと成功を掴み取ることになる。

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