*[コラム] 佐藤優さん(作家・元外務省主任分析官)がブックレビューで紹介してくださいました。
今までまったく気づきませんでしたが、週刊ダイヤモンド 2020年12月5日号にて、あの佐藤優さん(作家・元外務省主任分析官)が『哲学するタネ 高校倫理が教える70章【西洋思想編1】』をブックレビューで紹介してくださってました!佐藤優さんの本は長年色々読んでおりますので、嬉しく有難い限りです。
【西洋思想編1】は4月に明月堂書店より重版されるとのことです。こちらもありがとうございます。
*[ロック] Jo Jo and The Real People / One By One (Polydor / 1987)
トニー(アンソニー)&クリス・グリフィス兄弟を中心とするリヴァプール出身のバンド、ジョジョ・アンド・ザ・リアル・ピープルが1987年にリリースした、2枚目となる45回転の12インチシングル『One By One』(B面は”Hurricane”、”All Dried Up”の2曲)。個人的にこのバンドに注目したのは、まずシェールが1996年に、マーク・コーンの”Walking In Memphis”のカバーに次ぐシングルとしてリリースし、小ヒットを記録したこと。死ぬほど良い曲だと思った。
考えてみれば、シェールが取り上げる9年前にリリースされた曲だったということになる。ちなみにこの頃のジョジョ・アンド・ザ・リアル・ピープルは打ち込み的なエイティーズのビートの範疇にあり、ソウル感覚さえも持ち合わせていた。
2枚のシングルをリリースした後、1991年にリアル・ピープル(The Real People)と名を改めて、コロンビアから同名盤『The Real People』にて、いわゆるUKロックの文脈で再デビューすることになる。ここで触れておかなくてはならないのが、ノエル&リアムのギャラガー兄弟が結成したオアシス。ビートルズをルーツとするUKロックバンドの一つとして90年代に一世を風靡したわけだけれど、果たしてノエル・ギャラガーは何を手掛かりに自身のソングライティング・スタイルを築き上げたのか…当時さほど語られていたように思えないが、そのモデルとなったのが、同じ兄弟がメンバーとして在籍したこのバンド、リアル・ピープルなのだった。どうもギャラガー兄弟は、同じ兄弟バンドで先にデビューを掴んでいたトニー(アンソニー)の手ほどきで、デモの作り方やソングライティング、売り込みのイロハを学んだらしい。1993年にリヴァプールでレコーディングされたそのデモでオアシスは契約を勝ち取った。
オアシスのデビュー・アルバム『Definitely Maybe』に収録された”Supersonic”にトニー(アンソニー)がコーラスで参加していたのは、デビューへと繋いでくれた先輩への一種の敬意だろう。クリスも”Roll With It”のカップリングだった”Rockin' Chair”(アルバムでは『The Masterplan』収録)でノエルと共作している。しかし時代の寵児となったなったオアシスとは対照的に、リアル・ピープルは不遇だったと言わざるを得ない。レコーディング済みだった2作目(なんとローリング・ストーンズで知られるジミー・ミラーのプロデュース)がSonyがCBSを買収するタイミングで契約解除と相成り、自主レーベルeggでのシングル・リリースを余儀なくされた。1996年に日本のSonyが、その辺りのシングルをまとめて『Whats On The Outside』としてリリースしてくれたのは、せめてもの救いだった。
アイスランドの女性4人組のナイロン(Nylon)が2006年にヒットさせた” Closer”。これはリアル・ピープルの未発表曲のカバーだったけれど、その貴重なリアル・ピープル版をYouTubeで聴くことができる。
オアシスのソングライティングに何をもたらしたのか、それは一聴すればわかる。彼らは2016年に今のところの最新作『Monday Morning Breakdown』をリリースしている。こんなしぶといバンドが大好きだ。
*[日本のフォーク・ロック] I guess / I guess You know(BYTZ RECORDS / 2021)
今年1月に発売されたばかりのI guessのセカンド・アルバム『I guess You know』。60分を超える珠玉の11曲、大充実の力作をリピートしているところ。
I guess(http://bytzweb.com/iguess.html)はギタリスト・シンガー・作詞作曲家・アレンジャー、そしてBYTZ(http://bytzweb.com/record_top.html)を主宰するレーベルオーナー・グラフィックデザイナーと多彩な才能を誇る橋本はじめと、DRI: MOONの超絶ドラマー清水智子からなるユニット。2016年にはファースト・アルバム『GARANCE』をリリースしている。
橋本はじめは東京藝術大学出身のメンバーからなるバンドBILLIKEN(http://bytz-aditl.jugem.jp/?eid=77) を1982年に結成し、EASTWEST決勝でシニア部門優秀賞を受賞。1989年には久保田真琴(夕焼け楽団~サンディー&ザ・サンセッツ)プロデュース、ニューヨーク・レコーディングの唯一作『BILLIKEN』(MIDI RECORD)を残した(サンディーや1月に惜しくも亡くなった日倉士歳朗がゲスト参加している)。
以後、友部正人、加奈崎芳太郎のサポートを経て、ひづめつかさ、飯田あきらとQ/Cを結成、2001年には閉館間際の渋谷ジァンジァンにて加奈崎芳太郎の相棒を務めた『古井戸2000』がFFAより音盤化されている。私自身、そのライブの熱気を目の当たりにし、生ギター二本とうねる様なボーカルをぶつけ合う生成りのステージ、そして橋本作の新曲”幸せな街”にとことん魅了され、サイケデリックなギターサウンドと歌心が絶妙に調和したQ/Cのライブに足を運ぶようになった(名曲「それは僕だ」をぜひみんなに聴かせたい)。その後、バンド「件(KUDAN)」を経て、清水智子をパートナーに結成されたのがこのI guessということになる。
『I guess You know』を手に取りまず驚かされたのは、そのパッケージ。橋本自らがデザインした、イラスト・英訳詞を併記した48頁に及ぶA5版ブックレット。
「風を切ってぶっ飛んでく フィル・マンザネラのファイアーバード」
(”I guess you know”)
「いつまでも終わらない歌は あなたから聴いたあの歌 煙突が川面に揺れる 手を繋ぎ歩いた道」(”いつまでも終わらない歌”)
「僕らの立てた計画が 物干し竿で揺れている」(”ブラン”)
詞を目でじっくり眺め、音楽を聴く相乗効果により喚起されるイマジネーションがある。極めつけは映画のサウンドトラックのようなインストゥルメンタル”9号室(掌のある部屋)”。不可思議な読後感を残す短編小説を味わい聴くその音楽は実に新鮮に思えた。コスパにかまけてケーハクになり果てたサブスク時代の音楽聴取に新たな可能性を付け加える試みかもしれない。
松田健とDRI: MOONをゲストに迎えたフォーキーなタバコ賛歌「スパ・スパ」を除き、ギター・バンジョー・マンドリンと様々な弦楽器をメインに演奏する橋本と、シンセ・エレピ・オルガン・クラヴィネットとこれまた様々な鍵盤楽器、そしてパーカッションを巧みに操る清水の二人で、コーラスを含めて濃密な多重録音サウンドを構築。ハードなエレクトリック・ギターのリフに導かれる”幻の人”や”ゴーギャンのジャングル”はぜひライブでも聴いてみたい。心にぽっかりと空いたまんまの穴ぼこ、そしてぐにゃぐにゃしたイビツな感情のサムシング…それらを歌に昇華させた橋本のソングライティングは今作でも冴え渡っている。
*[コラム] 懐かしのレコファン
新しい中古レコ屋、というのはなんだかんだ今どき珍しいけれど、昨年11月に武蔵小金井にレコファンができると聞いた時は驚いた。日本最大のフロア面積を誇る旗艦店だった渋谷店の閉店直後。渋谷店は広さや賃料を思うと、コロナ禍で海外からのお客さんも含めて減ったことも大きいのだろう。その閉店セール後の売れ残り在庫の一部が丸ごと武蔵小金井のドンキホーテのフロアの一部に入った。どうせ郊外から渋谷に買いに行ってる人がほとんどだったわけだから、それがベストな収まり方のような。私が高校から大学にかけて、レコファンは輸入盤CDの販売で全盛期だったから思い入れも深い。アマゾン以前の輸入盤新譜CDはほぼ高田馬場、池袋、新宿、吉祥寺、あとは下北沢のレコファンで買っていた。その店舗はいま全部潰れてしまった。パタパタ倒せる独特の棚に収められた中古CDが当時メインだったけれど、レコードもそこそこあって、1950円以上の高額盤は盤もキレイ、アメ盤は450円くらいだったけれど今見るとオリジナルも結構あったりして。アメリカン・ロックの売れ線の基本盤は結構そこで揃えた。あと、100円盤に掘り出し物がカナリあった。買ったあと、レコードにじかに貼られた値段のシールを剥がすテクニックも身につけたし(笑)店にいると時間を忘れるぐらい楽しかった。
で、先日は2度目のレコファン武蔵小金井店へ。いやほんと在庫墓場のようなスケール感。ちょっと久々に聴きたいなと思っていたCDは全部仕切りまでありまして、揃いました。60~90年代の全ミュージシャンを取り上げたような仕切りがマニアックすぎますね。アマゾンでも在庫切れになってそうな1990年前後の微妙なやつ、シェールのマイケル・ボルトンとかダイアン・ウォーレン、ジョン・リンド、ピーター・アッシャーなんかがプロデュースした1989年の『Heart Of Stone』とか、オアシスのノエル・ギャラガーが多大なる影響を受けた(というか曲作りのヒントを丸々頂戴した)UKロックバンド、リアル・ピープル(オアシスのファーストにコーラス参加している)とか、この辺の時代のCDって、ヘタに売れてる分売っても価値が付かないから、ブックオフとかですら、もはや余り見かけない。その辺をお探しの場合はぜひ(笑)図書館のように揃ってます。
レコードで感動したのは、100円盤のコーナーにブルーグラス・アライアンス(The Bluegrass Alliance)1975年の『Kentucky Blue』が。コレ、ブルーグラスのローカル盤にしか見えないけれど、クラプトンはじめギタリストも一目置くカントリー・シンガー、ギタリストのヴィンス・ギルが10代で加入し、実質初めて世に出たグループ。
ヴィンス・ギルはその後リッキー・スキャッグスやジェリー・ダグラスとのブーン・クリークにも参加。そしてピュア・プレイリー・リーグ、ソロでヒットを連発し、グレン・フライ死後のイーグルスにも加入することになった天才だ。他にも伝説的なフォーク・シンガー、ユタ・フィリップスのPhiloから1973年にリリースしたセカンド『Good Though』(コレは唸るほど素晴らしかった!)とか、カナダのシンガー・ソングライター、レイ・マテリック1979年の『Fever In Rio』もあった。レイ・マテリックの盤でギターを弾き、エンジニア・ミックスを務めているDan Lanoisは後にボブ・ディラン、ロビー・ロバートソン、U2などを手掛けるダニエル・ラノア。あとはB.J.トーマスの昔よくCDで聴いていた1989年作、『Midnight Minute』。アナログもあったのね、という。スティーブ・ドーフとカーペンターズの作詞家ジョン・ベティスがプロデュースに加わった、シカゴ・バラード的雰囲気の作品。
あとはカルトなシンガー・ソングライター、ジョン・オトウェイ&ワイルド・ウィリー・バレットの1977年の英国ロックのエッセンスを詰め込んだ同名ファースト(ピート・タウンゼンドがプロデュース参加)、ドン・プレストン&ザ・サウスのA&M1969年の『Hot Air Through A Straw From』は米オリジナル白プロモが。これらが一様に550~750円という良心的な価格。あと、ベンチャーズのノーキー・エドワーズのソロ3枚目『King Of Guitars』は東芝の日本盤がいい感じだった!”幸せの黄色いリボン”をギターだけで聴くと、ギルバート・オサリバン”Alone Again (Naturally)”のメロディを一部拝借していることがよりよくわかる。そのオサリバンの”Get Down”もあるし、ドゥービー・ブラザーズの”Long Train Runnin’”はイナタいファンキーさが堪らない(結構ビートにノレている)。ディープ・パープルの”Highway Star”を演るヴェンチャーズ、てな風情の驚きのトラックも!
懐かしかったのは、レコードのシール付きビニール外袋…閉じた上でさらにセロテープで止めてあるんですね。以前はコレをレジの店員さんがペーパーナイフみたいなやつでピーッと剥がして、中の盗難防止タグを取っていたような。レコードが今以上に貴重だった時代の名残のような仕草を久々に思い出した。
昨日、歌手の坂本スミ子さんが亡くなったというニュースが。女優としてはカンヌを獲った深沢七郎(この人は全てが好きですね…)の『楢山節考』、歌手としては60年代のNHKの名バラエティ”夢であいましょう”の主題歌「夢で逢いましょう」で知られている。永六輔.・中村八大コンビの名曲。戦後民主主義の良いところを取ったワールド・スタンダードな和製ポップスが生み出されていた時代。ガラパゴス日本の文脈だと、こういう洋風のものがマトモに売れたためしは今までほとんどない。ただ、彼女の場合は日本人好みの哀愁ラテン歌手の出ですから、70年代の今思えばドメスティック・内向きな四畳半フォーク・歌謡曲全盛期に入ると、そっちの文脈で再起ヒットを出すことができた。それが新興CBSソニーから1971年に出た”夜が明けて”。奇しくも作詞のなかにし礼、作曲の筒美京平が年をまたいで相次いで鬼籍に入った。中村泰士も。そういう節目の時期なんだと思う。エレカシ宮本浩次の歌謡曲カバーアルバム『ROMANCE』(コレ、普通に全編感動的だった!)が出るのも、人間の本能的な歴史の継承という意味では必然だと感じられた。
で、久々に取り出してきた坂本1972年のアルバム『夜が明けて』。疑似フォルクローレな”夜が明けて”は、冷静に聴くと当時サイモン&ガーファンクルで親しまれていた”コンドルは飛んで行く”を上手くアレンジして作ったことがよくわかる。筒美さんはそういう天才だった。しかもB面には”コンドルは飛んで行く”の日本語カバーも入っていて、ちゃんと種明かしが。”マミー・ブルー”のカバーもハマっているし、阿久悠・筒美京平コンビの”ふたりは若かった”(尾崎紀世彦が同年ヒットさせる)、リンド&リンダースの加藤ヒロシが曲を書いたヒット”たそがれの御堂筋”も収録。B面1曲目のなかにし礼訳詩”別れの朝”は1971年”夜が明けて”と同時期に、前野曜子時代のペドロ&カプリシャスが大ヒットさせていた。このペドロのシングルもCBSソニーから出ている(また、ワーナーから出たペドロのファースト・アルバムでは”夜が明けて”がお返しにカバーされている)。最後は坂本九の歌唱で知られるマイク真木・中村八大コンビの”さよならさよなら”。これは「夢であいましょうrevisited」な感覚。
このレコを買った西荻窪の中古屋も昨年コロナ禍で閉店してしまった。白のペンでサインが入っているけれどコレ、”夜が明けて”の歌詞「ひとりふかす たばこのけむり 白い 白い」を思わせる。
*[コラム] フィル・スペクターのこと
昨日、職場のロック好きの方から「フィル・スぺクター亡くなったみたいですよ…」と聞かされて時が止まったような。現役バリバリの南正人さんがステージで亡くなったと聞いた時も、かなりショックだったのだけれど、それに続いてフィルが…しかも新型コロナで。フィルの場合は栄枯盛衰激しい人物で、晩年は薬物中毒の影響もあったのか、女優ラナ・クラークソンを殺したかどで服役していたし、現役の音楽活動は見込めない状況だったからなんだか余計に複雑な気分にもなった。つまり彼、セックス・ドラッグ&ロックンロールの最後の亡霊のような人だったように思える。とはいえポピュラー音楽、とりわけロックンロールの世界において、彼ほどの業績(気に食わないとスタジオですぐ銃をぶっ放すという人間性と反比例する)を挙げたミュージシャンはいないだろう。誰かとロックの話をちょっと突っ込んですれば、必ず彼の名前にぶち当たる。つまり、日本のフィル・スぺクター・大滝詠一言うところの、ポップス/ロックンロールの「定石」を作り上げた人だということになる。ロネッツ”Be My Baby”やクリスタルズ”Da Doo Ron Ron”を始めとしたロックンロール全盛期のフィルのウォール・オブ・サウンド(音の壁)に魅了されたのは、ロックンロール第2世代のビートルズ、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン(彼らは実際フィルにプロデュースを依頼した)のみならず、ビーチ・ボーイズの天才ブライアン・ウィルソンも含まれる。ブライアンと比してフィルは、カート・ベッチャーやジョー・ミーク同様メロディ・メイカーではなかったけれど、スタジオをコントロールする特徴的なプロデューサーとして、ライブの身体性の対極にある狂気の音作りでマジカルな音世界を提示した。ジョン・レノンの”代表作Imagine”の不安定なエコーの残響は結果的に、現実を飛び越えた理想=イデアを思わせる異空間を演出することに功を奏したわけだけれど、それは自らの現実的な容姿における自信のなさやコンプレックスを覆い隠すフィルの精神構造のなせる業だったのかもしれない(おそらくユダヤ系という出自も無関係ではない)。
そうそう、ローリング・ストーンズのセッションに招かれたこともあったし、70年代のセッションに同席したブルース・スプリングスティーンをはじめ、ビリー・ジョエルのような後進も育った。忘れられないのは数年前、新宿の中古レコード屋にて。なぜか隣でレコードを漁っていたあのジミー・ペイジご本人が恍惚と手に取っていたのは、フィル最初のバンド、テディベアーズのオリジナルLPだったこと。
しかしバック・トゥ・モノという彼の美学は懐古というより時代が一回り以上してラジカルにも思える。一番良い音で聴くなら、フィレスの米盤シングルだろう。私が中古レコード屋に通うようになった頃は一枚4800円とかそういう世界。今だとキズ盤なら運が良ければ1500円くらいで買えることもある。
『Philles Records Presents Today's Hits』という1963年のコンピも最高。ただコレ、昔あるレコ屋で安く買ったら音飛びがひどかったので売り、また数年経ってあるレコ屋でまた安く買ったら、あの時売ったやつだった…という悲しい出来事があった。また売っちゃいましたが。そんなこんなで、気軽によく手に取るレコは永遠のクリスマス・アルバム『Christmas Gift for You From Phil Spector』や、実はフィレスものとの初めての出会いだったライチャス・ブラザーズ(中学生の時になぜか父が買ってくれた)、そして1977年のワーナー・スペクター・インターナショナルの『Phil Spector’s Greatest Hits』。
あとは70年代の微妙なやつが実はツボで、レナード・コーエン『Death Of A Ladies' Man』、ディオン『Born To Be With You』、そしてフィルの実質ラスト・プロデュース作(2003年のStarsailor”Silence Is Easy”もありましたが…)となった1979年のラモーンズ『End Of The Century』(このLPの音は凄い)が特に大好き。私はこの1979年に生まれましたが、イギリスでは新自由主義経済が採用され、中国も市場経済を導入する完全な時代の節目(ある種の「End Of The Century」)だった。フィルの時代もここで終わるわけですね。指揮棒振って管楽器を時代錯誤にロックンロールさせたような” Do You Remember Rock 'N' Roll Radio?”を騒音公害レベルの音量で聴くのは最高の瞬間だ。さらにリマスターで言えば、2011年の7枚組『Philles Album Collection』、および怒涛の各種プロデュース・アーティストのベスト盤の音質が白眉。コレは凄かった。1991年の4枚組CD『Back To Mono(1958-1969)』を聴いた時、正直余り良い音に思えなかったけれど、このリマスターで激レアなオリジナルが聴けないファンは留飲を下げたのだった。
*[コラム] 読者たちの夜会 2020ベストビブリオバトル にて『哲学するタネ』取り上げて頂きました!
1月14日にLOFT9渋谷にて無観客配信の形で行われた読者たちの夜会(https://natalie.mu/owarai/news/411806)、読書好きの芸人たちが2020年もっともよかった本、2021年に注目されそうな本の予想などを発表するイベント…てなことですが、哲学芸人のマザーテラサワさんが拙著『哲学するタネ―高校倫理が教える70章【西洋思想編1・2】』を紹介してくださいました!!ワッショイ!!
ツイッターより、以下ウルトラトウフのカモシダせぶん さんのコメントです。
読者たちの夜会
2020ベストビブリオバトル
マザー・テラサワ「哲学するタネ」(石浦昌之)
マザテラお馴染みの哲学本。ミュージシャンも経た著者が、万人に受け入れやすく考えるためのタネを提供。高校の倫理の授業やる学校自体少なくなってる。確かに僕の高校も倫理はやってなかった。どんな授業なんだ