この暑い夏に白い冬というのも唐突だけれど…
先日レビューで取り上げたウェイン・カーソンが今月亡くなった、というニュースにびっくりしていたら、今度は音楽の世界ではないけれど、鶴見俊輔さんが亡くなったと知り愕然としてしまった。何を隠そう『図書』に2003〜2009年の間連載されていた「一月一話」(『思い出袋』として新書化された)でファンになってしまった訳だけれど、関心のあった60年代について調べていく中でべ平連と繋がった時にも心を動かされるものがあった。その後、著書『戦後日本の大衆文化史 1945〜1980年』『限界芸術論』なども関心分野として読ませてもらった。知のタコツボ化がより進んだせいか、現代なかなかこんな立ち位置で言葉を紡げる人に出会えなくなってきた。賢人といったら良いだろうか、聡明という言葉が適当だろうか。そう言えば、昨年哲学者の木田元さんが亡くなったときにも同じような気分になったことを思い出した。そこで木田さんの『反哲学入門』(コレは目からウロコな名著!)のページを捲ったら、ふきのとうの「白い冬」が出てきてビックリした。死に直面したとき死生観は変わったか、という質問に答えて(木田さんは、人間を「死への存在」と捉えたハイデガー研究の第一人者だった)、「考えていることが変わるというほどのことはありませんでした」と。ただ、急性膵炎で死にかかって七転八倒したとき、苦しみながら考えたのは「ああ、あの歌いい歌だったけど、とうとう覚えないでしまったな」ということで(!)、あとから思い返したらその歌はふきのとうの「白い冬」だったんだそうな。
木田さんほどの人だけど、死の瀬戸際で「白い冬」が頭の中を駆けめぐったというのもなんだか考えてみると可笑しい。でも一寸その気持ちが分かるような気がしたのはなぜだろう。
北海道出身、山木康世と細坪基佳のフォークデュオふきのとう。「白い冬」は1974年9月のデビュー曲だ。印象的なズッズッチャー、というリズム、哀愁を帯びたエレキギター、Em G D Emなんていうニール・ヤング的なコード進行。私もギターを始めた頃、当然コピーしました。まったくジャンルが違うようだけれど、セッションマンを経てB’zを結成し、日本を代表するロック・ギタリストとなった松本孝弘にも影響を与えたと何かの本で読んだような(山木さん自身のエッセイだったかも)。確かにむせび泣くエレキギターと共に稲葉浩志の声で「白い冬」を脳内再生することができなくも、ない。
高校生の頃、山木さんのソロライブに初めて行き、それからさらにファンになってしまって、二人のソロ作も含めて相当聴き込んだ。細坪さんの透明感のある歌声、木訥とした山木さんの楽曲、そして詩のイノセンスにはいまも魅了されている(ちなみに「白い冬」の詩は例外的に、後にSonyからレコードを出す工藤忠幸だった)。
まだ4人組だったアルフィーは同年8月に「夏しぐれ」(松本隆・筒美京平コンビ)でデビューしたものの、全くヒットしなかった。ふきのとうのヒットとは明暗を分けた。冬が夏に勝った、なんていうエピソードもその後の両グループの活躍を思えば、なんだか微笑ましい。