The Fifth Avenue Band(FAB)と言うと、60年代のグリニッジ・ヴィレッジ・シーンの中でも玄人受けするバンドだったように思う。前身のThe Strangersもそう。R&Bの影響下にあるフォーク・ロック・サウンド。実は永遠のアマチュアリズムみたいなものが魅力なのかな。James TaylorやDanny "Kootch" KortchmarのいたThe Flying Machine(ジェイムスの”Fire And Rain”ではそのグループの解散にも触れている)やThe Lovin’ Spoonfulの成功と比べると、その陰に隠れたFABは分が悪かった。渋いソングライティングに抜群の才能があったPeter Gallwayはバンド解散後もワーナーからOhio Knox(Paul HarrisにClear Light〜CSN&YのドラマーだったDallas Taylorもいた)やソロをリリースし、売れなかったにせよ、どうしても彼に注目が集まるのは当然だし、当然個人的にも愛して止まないわけだけれど、最近はKenny AltmanのソングライティングとJohn Lindの歌声が起こす化学変化の奇跡について考えてしまう。
左から2番目がジョン・リンド、3番目がケニー・アルトマン、その右隣はピーター・ゴールウェイだ。
90〜00年代の再評価で手に取ったFABの唯一作『The Fifth Avenue Band』(Reprise,1969)に聴ける”One Way Or The Other”や”Nice Folks”のそんな素晴らしさは際だっている。ケニーの洗練されたソウル・マナーのソングライティングとスムースでソウルフルなジョンのボーカル。それがアクースティックな白人フォークロック・バンドによって奏でられたという奇跡。これをヴィレッジのカフェで生演奏で聴けたなら卒倒しちゃうな、と思う。
初めて聴いたJohn Lindの歌い回しには山下達郎(Tatsuro Yamashita)を想起してしまったわけだけれど、その彼がシュガー・ベイブ解散後のソロ・アルバムのLAセッションで、FABのプロデューサーだったJerry Yesterと共にコーラス要員として呼ばれたKenny Altmanにあえてベースを弾かせたというエピソードは有名だ。久々にそのアルバム『サーカス・タウン(Circus Town)』(RCA,1976)を聴いてみたけれど、まずは8曲35分という思えばミニアルバムのようなサイズだったことにビックリした。当時ではそんなに短いというほどではなかったかもしれないけれど、予算とかも色々あったんだろうな。Charlie Calelloが手がけたA面NYサイドの4曲のソツのなさに比べると、一瞬本人もダメかなと思った、というLA(John Seiterプロデュース)のリズム隊はなんだか不安定だし、ちょっと素人臭さがある。強いて言うならコーラスがとても良くって、甘酸っぱい気持ちになってくる。でも思えばそんな所がFAB的でもあるし、彼のイノセントなポップス愛が滲み出ていて、同時代的な音楽を追い続けることを後に止め、我道を追求する彼の音楽活動を示唆する何かがあるような気もした。自分がコントロールできない部分の「遊び」もまた良いのかな。大瀧にプロデュースを任せたシュガー・ベイブにもそんな所がある。
手前味噌だけど私も3枚目のアルバムに、FAB愛を精一杯篭めて作った曲を入れたんだった。どうかな?
https://soundcloud.com/masayuki-ishiura/ie6kz95ooqgg
さて、ケニーのその後の作品でまず重要なのは1976年、FABの残党ケニー&ジョンにBilly Nicholsが加わった『White Horse』(Capitol,1977)。Jeff Porcaroに加え、Fred Tackett、Bill PayneというLittle Feat勢が活躍したこのアルバム、後にPhil Collinsもカバーする”Can’t Stop Loving You (Though I Try)”などのBilly Nicholsの名曲の隙間にあるFABを想起させるポップ・ソウル”Over And Done With”が白眉。ケニーとジョンの共作でジョンが歌っている。ぶっといベースも聴き物だがこれはBob Glaubによるものだ。そのほかポップな”Lost And In Trouble”やポップ・カントリーな”Take Me Back”もケニーの木訥としたボーカルがフィットしている
あとは1990年のFAB再結成作『Really』(Pony Canyon,1990)には”Out Of The Past”と”Burn”の2曲が。既に業界をリタイアしていたのだろう(なんでも料理人になり、ケータリングの会社を経営しているんだとか)。ベースは既に弾いていなかったのがちょっと悲しかったけれど、割とAOR風の(日本で言えば歌謡風味の)楽曲を作っていたところが、まだ業界への未練をちょっと感じさせられなくもなかった。
さらにセッション参加作を見ていこう。まずStephen Stillsのマナサスにも一時期在籍していたテキサスの重鎮Steven Fromholzの『A Rumor In My Own Time』(Capitol,1976)では”I’d Have To Be So Crazy”、そしてJohn Sebastianのカバー”She’s A Lady”で本家John Sebastian、Paul Harris、Jeff Porcaro!と共にベースを弾いている。昔の仲間が集まりました、みたいな。武蔵野タンポポ団周辺盤でもそういうのありますでしょ。グリニッジ・ビレッジは東京で言う中央線沿線みたいなそんな感じだったんだと思っている。Bob Dylanになぞらえれば吉田拓郎も高円寺に住んでいたけど雲の上の人になっちゃって、みたいな。ちなみにFrummox名義の『Here To There』(Probe,1969)に参加したというデータもあるけれど、レコードのクレジットにはなかったので確かめられなかった。
あとは前述のPeter Gallwayのファースト・ソロ『Peter Gallway』。そして深い縁のJohn Sebastianの『Tarzana Kid』(Warner,1974)(全編で弾く大活躍!Lowell George本人を迎えた”Dixie Chicken”なども感慨深い…)、そしてジョン・セバ起死回生の1曲”Welcome Back”ではSteve Barriが手がけたアルバム『Welcome Back』(Warner,1976)の中で唯一の同窓会セッション(The Stone Warblers名義)。ジョンにFABのMurray Weinstock、Seanor&KossのRon Koss、そしてKenny Altman!このメンバーだけが持つマジックだけは説明不能!
さて、そしてSavege Grace出身のJohn Seanor、Ron Kossのデュオ『Seanor&Koss』(Warner,1972)にもJohn SebastianやJohn Seiterと共に全編参加している。さらに『Welcome Back』でエレキ・ギターやコーラス(John Lindと共に)で参加していたReggie Knightonのソロ『Reggie Knighton』(Columbia,1977)でもベースを弾いている。Reggie Knightonは後期The Grass Rootsのギタリストで、White Horseのアルバムでもプレイし、FABのJohn Lindが作ったトリオHowdy Moonを解散してソロになっていた歌姫Valerie Carterと当時レーベル・メイトだったため、バックを務めたりもしている。
そしてDavid Batteauの『Happy In Hollywood』(A&M,1976)やJules ShearのJules & The Polar Bearsのファースト『Got No Breeding』(Columbia,1978)の準メンバーとしてのプレイも忘れがたい。
提供曲ではEarth, Wind & Fireの”Feelin’ Blue”がメロウで素晴らしく良い(『Open Our Eyes』(Columbia,1974)収録)。同じアースにはJohn Lindが”Boogie Wonderland”を提供し、そちらは特大ヒットになった。ジョンが歌うデモ・ヴァージョンは女性作詞家Allie Willisのサンプラー・アルバム『Allee Willis』(Almo-Irving Music Corp,1980)に入っている。
いやー数少ない参加作だけれど、一気に聴いたらますます、Kenny Altman大好き!