しばらくブログもご無沙汰でした。一度遠のくとダメですね。レコへの情熱は消えない日々なんですが(笑)。この夏後半はレコ整理作業に格闘しまして。100円ショップで木材を買ってきてラックを作ったり、恒例だけれどイマイチ効果が目に見えない処分も多少は。壁一面360度収納からはみ出た60箱以上のレコをいかに収納するか、という不可避の作業に直面し、マコトに救いがたいヴァイナル・ジャンキーになってしまったことを痛感した次第です。
でもジャンキーといえば、めくるめくネットの記事、とりわけSNSやそこからリンクされるニュースサイトを誘われるがままに読んでいると、本当にアタマがクラクラしてくる。でも気が付くと1時間ぐらい経っていたりして、完全に時間泥棒。クラクラする理由の1つは情報過多だということ。そしてもう1つは情報過多なように見えて、実はごく限られたツマラヌ情報しか掴まされていないということ。我々は欲望を刺激され、情報を追いかけまわし、カネを落とすジャンキーにさせられているのかも。ネットニュースはほぼ釣り記事ばかりだし。これこそが東浩紀が2001年に予見した“動物化するポストモダン”なんでしょうか。「動物化」とは「欠乏―満足」という欲求(欲望は欠乏が満たされても消えません)の回路――「冷静な判断力に基づく知的な鑑賞者(意識的な人間)とも、フェティッシュに耽溺する性的な主体(無意識的な人間)とも異なり、もっと単純かつ即物的に、薬物依存者の行動原理に近い」…と、かの本にはありました。
音楽に関する情報も、ネットを彷徨っているばかりではココのところ不発。新譜もつまらないアマゾンのレビューなんぞを読んでいるだけで逆に聴く気が失せてしまったり。さらには、こんなことを言ったら怒られるけれど、雑誌の記事も一様につまらなくなってきたのはなぜだろう。最近のギターマガジンなんかは何気に頑張っていたりもするけれど。かつてのネット不在の時代にあっては、情報の希少性が雑誌の価値を支えていたから?でもそんな時、昔の音楽雑誌や本を読むと、良い書き手の熱のある文章に出会えるんですよね。あるいはネット創生期の個人のホームページの遺跡みたいなやつを見つけて読むと、ファンジンの熱さがあったりして。つまりネット上の雑多な記事というのは、YouTubeで素人の下手くそなカバーを聞かされているようなものなのだと思う。表現が万人に平等に開かれた分、全体的なクオリティは上がっているようで、平均すると下がっているということかもしれない。
そんなことをゴチャゴチャ考えていると、ますますブログからは遠のいていくという(笑)。さて、今日のBGMは名アレンジャー、ジミー・ワイズナーの「The Jimmy Wisner Sound」名義での1969年のソフトロック作。この時点でのアレンジャーとしてのミリオンセラーはレン・バリーの”1-2-3”、トミー・ジェイムス&ザ・ションデルスの”I Think We’re Alone Now”にカウシルズの”The Rain,the Park and Other Things”。ソフトロックだとアンダース&ポンシアのトレイドウィンズやイノセンス、そしてスパンキー&アワ・ギャングなんかも手がけていた。こういうイージー・リスニング風味の盤はインストが多いけれど、こちらは時代を反映してボーカル入りの楽曲もある。特にジミー・ウェッブの”Didn’t We”がリチャード・ハリスのヴァージョンを下敷きにした素晴らしい仕上がり。本分のジャズのテイストも含ませつつ、ゴージャスなサウンドメイキングで。フォーラッズの"No, Not Much"のソフトロック版もとろけるような仕上がりで。S&Gの”Mrs.Robinson”は楽曲のR&Bっぽさを取り出した激ヒップなアレンジで料理されており、なんだか小西康陽モノみたいに聴こえる。S&Gといえば同じコロンビアのリリースで、S&Gのプロデューサーだったロイ・ハリー(ロイ・ヘイリー)がエンジニアの一人を務めている。2eyes 360 SOUNDのオリジナル盤だけど、コレはむしろセカンド・プレス以降は存在しないんじゃないかな(売れていないはずだから)。これがミレニウムの『Begin』だったらいいのにな、と思ったりもするけれど。