/ Rave On ( Medley / 1979 )
新年早々、3枚目のアルバムの制作に突入している。昨年末から作ろうと考えてはいたのだけれども、重い腰が上がったのはやはり大滝さんの死が大きかったかもしれない。莫大な音楽遺産への感謝の気持ちと共に、何か作品を残すことの意味みたいなモノが頭の中をうずまいていて。もちろん、比べるのもおこがましい程ではあるにしても。
前作のプロデューサー馬下さんにお願いして、2週間で8曲くらいの仮MIXが完成したところ。今回は弾き語り、生演奏、言葉・詩、ドンカマ最小限、人間のビート、クール(私の苦手な言葉「クール・ジャパン」)の対極としての暑苦しさ、そんなものを意識しつつ、今考えていることそのものを曲にしつつのレコーディングだ。昨年中で一番視聴率が高かったとか嘘かマコトかにわかに信じがたいニュースをマスコミが流していた紅白歌合戦を見ていたら、音楽をバカにするのもこれくらいにした方が…という気持ちになってきた。帰省した実家で、楽しそうに見ていた両親が終わるなり、「あーあ、時間ムダにしたわ…」と吐き捨てるように言ったのが真実かなァ。悲しいかな、歌や音楽産業の相対的な地位低下を印象づける番組になってしまったような気も。膨張しつくした音楽産業やテレビ産業の行き着く先はここだったのか…という。
生演奏である必要性を感じない生放送。まあ、10年ほど前に自分も短い期間テレビ制作に携わったことがあるけれど、そもそも作り物であっていかに生々しく見せるか、がこのメディアの本質であることはなんとなく判っているんだけれど。そんなことを思っていたら、同じようなことをミュージシャンの佐藤龍一さんが感じておられたようで、なるほどな、と思ったり(http://blog.livedoor.jp/miotron/archives/52255438.html)。そうそう、正月には末期ガンを公表した音楽プロデューサー佐久間正英さんのドキュメンタリー「ハロー・グッバイの日々〜音楽プロデューサー佐久間正英の挑戦〜」(NHK)なども見て(彼のブログはドキっとする言葉や考えに出会え、素晴らしい…→http://www.masahidesakuma.net/)、そこへ来て、音楽愛をこれでもかと作品に篭めていた趣味趣味ミュージシャン、大滝詠一師がお亡くなりになるという衝撃が…。やっぱりアナログな人間が奏でる音楽を意地でもしぶとく作り続けることが大切なんだ、と思い、頑張っているところなのだ。効率や要領の良さとは真逆のベクトルを音楽にも持ち込まなきゃいけない。
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先日、友人からの嬉しいお誘いを受けて新年の下北FDRへ初詣でということで。うーん、この年末はレコード漬けだったけれど、やっぱり凄いレコードばかりで今回も手が伸びてしまう。
まず800では椿さんオススメのコメント入りのデンマークのロック・バンドDELTA CROSS BANDのファースト『Rave On』(1979)を。タイトル曲はバディ・ホリー。ボブ・ディラン・バンドに在籍していたビリー・クロスのバンド、ということで全く知らなかったけれど、ウィリー・ネルソンの”Night Life”やザ・フーの”Substitute”を臆面もなくカバーするという、実に王道ロッキンな仕上がりで好感が持てた。伸びのあるギターを弾きまくる所なんか気持ちよくて、ボブ・ディランのお耳にかなったの良く判る。間奏部分がディランのブートとか聴いている雰囲気。武道館来日の際のメンバーです。さらにThe Singing Bobby Scottのコロンビア盤『My Heart in My Hands』(1967)。コレは持っていなかった。ボビー・スコットはジャズの世界でソングライター、プロデューサー、プレイヤーとして知られている人物。ロック世代にはビートルズがカバーした”A Taste Of Honey”やホリーズで有名な"He Ain't Heavy, He's My Brother"の作者として名高い。1970年にワーナーから出した『Robert William Scott』とか1976年にコロンビアからリリースされた『From Eden to Canaan』が燻し銀のボーカル・アルバム(自作曲の自演も含む)で愛聴していたものだから。今回わざわざ「歌うボビー・スコット」と強調しているこのアルバムには手が伸びたというわけ。聴いてみると、ムーディーなアレンジに枯れた歌声が乗って、すごく良かった。あとはEngelbert Humperdinckの『My Love』(1974)。スティーヴィー・ワンダー”You Are The Sunshine Of My Life”やドン・マクリーン”And I love You So”、リンゴ・スター”Photograph”、ポール・マッカートニー”My Love”、アル・ウィルソン”Show And Tell”(ジェリー・フラー作)、ロバータ・フラック”Killing me Softly With His Song”、ダリル・コットン、マイケル・ロイド、スティーヴ・キプナーが書いた”Catch Me,I’m Falling”などポップの王道をいく楽曲が魅力。
あとは300にてフィル・スペクターのクリスマス・アルバムの再発盤、定番Buggles『The Age Of Plastic』(1979)、KISSのAce Frehleyのソロ『Trouble Walkin’』(1989年、この時代のLPってのも最近気になっている)、KISSの『Love Gun』(1977)、Redwing『Beyond The Sun And Stars』(1975)、ウェス・ファレルが手がけ、ハル・ブレイン、ルイ・シェルトン、マックス・ベネットという演奏陣で音が大体予想できた女性3人組The Rock Flowersの『Naturally.』(1972)、テノール歌手プラシド・ドミンゴとジョン・デンヴァーが共演した『Perhaps Love』(1981)、以前CDを買ったら凄く良かったRacing Cars『Weekend Rendezvous』(1977)、ルブラン&カーの片割れで、息子ディラン・ルブランも近年ルーツに根ざした名作を発表したLenny LeBrancで唯一持っていなかった『Say A Prayer』(1983)(この頃からクリスチャン・ミュージックのフィールドに)、Carl Carltonのディスコ・クラシック『Carl Carlton』(1980)、あると手に取ってしまうカナダ出身Peter Pringleの『Rain Upon The Sea』(1981)あたりを。ホームページを探したら、ピーター・プリングルはいまテルミンなんかの演奏家になっているみたいで、びっくり!最後にJoe Elyの『Down On The Drag』(1979)を100に発見したのも嬉しかった!このジョー・イーライ、なぜかもの凄く沁みました…