先日書いた佐藤龍一(龍)さんのレビュー&ディスコグラフィー。龍さんのフォロワーの方々が沢山リツイートしてくれたりで、いつになく物凄く読まれていてビックリした。流石龍さんだな〜と。先日の龍さんのライブにはタイ在住のミッキー・カーチスさんが遊びに来たとかで、そのツーショットも何とも渋かった。
さて、ディランの新譜『Triplicate』がやっと注文していたドイツから到着。発売からしばらく経ってしまったけれど…ただ最近は早く聴く、なんてことに余り関心がなくなってしまった。世の中のスピードが速すぎるから。なんか情報が多過ぎて鬱陶しいですよね。情報収集が億劫になると、面倒だから安上がりなメディアに頼りますでしょ、そうなると人々の思想は画一化してきてしまう。そうした傾向は、ここ数年でよりひどくなっているような印象があって。たぶん、人間そのものの定義が変容してきているんだと私は思っています。気付かないうちに脳にチップ埋められちゃってるんじゃないか、という(笑)。といいますのも、最近誰が書く文章を読んでも心が揺さぶられない。私が今書いてる文章なんかもその典型かもしれないけれど。インターネットの記事は特にそうかな。何の商売のための文章か深読みする方がまだ面白い、という。心揺さぶられない理由をちょっと考えてみると、何やら、私が考える人間本性に到達していない感じがしてしまうからで。よくある誰かの気の利いたストーリーとしてケーハクに消費されているといいますか。そもそも人間ってカナリ複雑でよくわからないものだと思うんですよね。でも、わからないと気持ちが悪いからなのか、考えてもわからない人間に貴重な時間を使いたくないからなのか、人間自体がすごくわかりやすくなってきている。端的に言って「変な人」が減っている、という。
前置きが長くなったけれど、私にとっての「変な人」代表は「ボブ・ディラン」その人。うーん、私にとっては一番好きなミュージシャンだから、「変な人」だなんて言いたくはないけれど(笑)ノーベル文学賞受賞を拒否したっていうニュースが当初あったじゃないですか。実際は拒否っていうより沈黙を貫いただけなんだけれど、このニュースに対するメディアや世間の反応を見たとき、やばいな、と思ったんです。「ノーベル賞をあげるって言うのに、なぜ貰わないのか」っていうムード。もらわない「変な人」は受け容れられない…わからないものに出会って、戸惑って、それを好意的に受け取る余裕がない…そんな画一的・全体主義的ニュアンスを感じたんですよね。トリックスター的「変な人」を理解する術をもはや失ってしまったんでしょうか。あるいは、ディラン受賞おめでとう!みたいな単なる賛美が一方にはあって。どうおめでたいのか、誰も説明できない。実際「風に吹かれて」しか聞いたことない、みたいな。おいおい…文学や学問、芸術が消える時代ってこんなものなんでしょうか?批評不在の時代とはかくも…
人間に与えられた言葉を、もっと豊かに使わないといけないと思う。このディランのアメリカン・スタンダード集の新作(通算38作目)は「3枚組」そして「30曲」。アメリカン・スタンダード集としても「3枚目」。それぞれのディスクのタイトルは「’TIL THE SUN GOES DOWN」「DEVIL DOLLS」「COMIN’ HOME LATE」。だからタイトルは「3枚組」という意味の『Triplicate』。すさまじいボリュームだけれど、ディランが詩・言葉を大切に歌っていることが伝わってくる。ポピュラー音楽は詩とメロディと、シンガーとミュージシャン、ミックス、ジャケット…といった総合芸術なのだった。やっぱりこうじゃなくっちゃ、という。そしてディランの歌は、どうしちゃったの、というくらいに上手すぎるでしょう。『ジャズ詩大全』なんか読むとわかるけれど、スタンダードの詩って、メロディとのマッチングも含めて時代を超えた普遍性がある。俳句に近い、行間を読ませるような、必要最低限のラインで、想像力の余地を残している。一般的にいってジャズ・シンガーって上手すぎるから、ややもすると、歌詞の微妙でブルーな感情を、明るく歌い飛ばしちゃう所がある。その辺のニュアンスをディランはじっくり歌い込んでいて。”As Times Goes By”とか”Day In, Day Out””Sentimental Journey””The Best Is Yet To Come””Stardust”…なんていう「ド」が付くほどのスタンダードではあるけれど、ディラン流の解釈があるから全くもって飽きることがない。輸入LPで入手したけれど、ダウンロード・カード付きで、180gアナログの音はとにかく太くて、凄くよかった。ギターにディーン・パークスが加わっているのもちょっと新鮮なような。ミックスはアル・シュミットで、プロデュースは自身の変名ジャック・フロスト。
自作の新曲が聴きたかった…と考えておられるファンもいるかもしれないけれど、もはやそういう境地ではないとも思う。自作曲にミュージシャン個人の思いが篭められているはず…という私小説的、ある意味近代的なポピュラー音楽のあり方を意図的にズラしていることを読み取って欲しい。というか、あらゆる定義をズラすのがディランだから。これって、私の解釈だと禅的なんですよね。ディランのインタビューは禅の公案集を読んでいる感じ。「答えは風に吹かれている」なんてのも、「外にいる風を掴まえてこい」なんていう公案みたいですよね。今回の『Triplicate』だって、他人の曲、自分の曲なんていう分別はなく、私も世界も、あなたとディラン、シナトラ…などという対立のない、ほぼ悟りの境地にたゆたうような感じで。ずーっと一つの音楽を聴いていると、誰の音楽を聴いていたのかわからなくなる瞬間ってありますよね。これこそが音楽と自分が溶け合い、自分が音楽そのものになりきる、無分別の悟りの境地に近いような。この『Triplicate』にはそんな気持ちになれる瞬間が幾度もある。かといってそんな気持ちになろう、と思って聴いてはいけないんですが。
LP1:‘Til The Sun Goes Down:
01 I Guess I’ll Have to Change My Plans
02 September of My Years
03 I Could Have Told You
04 Once Upon a Time
05 Stormy Weather
06 This Nearly Was Mine
07 That Old Feeling
08 It Gets Lonely Early
09 My One and Only Love
10 Trade Winds
LP2:Devil Dolls:
01 Braggin’
02 As Time Goes By
03 Imagination
04 How Deep Is the Ocean
05 P.S. I Love You
06 The Best Is Yet to Come
07 But Beautiful
08 Here’s That Rainy Day
09 Where Is the One
10 There’s a Flaw in My Flue
LP3:Comin’ Home Late:
01 Day In, Day Out
02 I Couldn’t Sleep a Wink Last Night
03 Sentimental Journey
04 Somewhere Along the Way
05 When the World Was Young
06 These Foolish Things
07 You Go to My Head
08 Stardust
09 It’s Funny to Everyone But Me
10 Why Was I Born