年明けからの惰性か、何気なくテレビを付けているけれど、各局どうした示し合わせか、涙ぐましいくらいに日本人の誇りだとか、職人の粋だとかを必死にアピールしている。大丈夫かな?大丈夫じゃないんだろうな…もはやコスト的にも特に魅力がない日本。正直残念なことだけれど、今後の日本に期待している人は世界にもそう多くはない。もちろんそれは、世界の先進国として既に安定した地位を築いた証でもあるんだけど。
お年寄りのお慰みになっているテレビ(若年層離れが進んで久しい)だから、日本の失われた栄光を取り戻すニュースはいつにない快感を生むのだろう。国営放送のここ数年のニュースの作り方にも着目しているけれど、昨年後半からは酷くなった。特に多くの人がチャンネルを合わせる前半。例えば今日のニュースを例に取ってみても、中国・北朝鮮を同一視していたずらに敵視し貶めるとか、米軍と韓国軍の連携を強調し、暗に自衛隊はこんな時に何やってんだと世論誘導させるとか、短絡的な報道指針がありありと見て取れる。使う映像やコメントも意図的だ。そうしたニュースの後に広島で使っていた中古バスをミャンマーの人々がありがたがって使っている、という比較的どうでもいいニュースを流して日本人の自尊心をくすぐるっていう。まあダマされる人も多くはないと信じたいけれど、ここまで偏ると馬鹿にされているようで気分がすぐれない。まあ私もこんな事を書いた時点である種の色を付けられるんだろうけれど、そうした短絡的思考で退化する何かがあると思っている。どっちもどっち、にならないためにも。
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先日いつもの通りレコ屋でゴソゴソしていた所、ボブ・ディランのような聴き覚えのある声が。あれ、なんだっけ、と思うけれどどうにも思い出せない。ロン・ウッドだっけかな、とか思いつつ、レジのあたりのディスプレイに目線を移すと…そう、ジェリー・ゴフィン!そうだったか!という。久々に家に帰り、CDを取り出して聴いてみた。
ジェリー・ゴフィンの『Back Room Blood』。発売が1996年だから、ちょうど高2ぐらいの頃かな。日本盤はBANDAI MUSUCからのリリース。バンダイ…元々はアポロンですか。ゲーム・ミュージックとかが出始めた頃、ドラクエのオーケストラ版とピコピコ版が両面に入ったカセットとか聴きまくってました。なんだか洋楽シーンにもまだバブルの勢いがあったことを感じさせてくれる。ぼくが新譜『Ten Easy Pieces』を高田馬場のレコファンの店頭で発見して、ジミー・ウェッブの自演にリアルタイムで深く感動していた頃だ。高田馬場で全盛を誇っていたムトウ楽器店(2013年に惜しくも89年の歴史に幕を閉じた)の2階で、学校の帰りにこの『Back Room Blood』を手に取ったのを覚えている。ただ、キャロル・キングと夫婦だった伝説の作詞家が歌っている、という謳い文句のこのCD、ディランの参加というのがどうにも気になったけれど、試聴もできないし、『It Ain’t Exactly Entertainment』も当然知らなかったし、買う勇気はなかった。というか買うお金がなかった…当時は見本盤(業界の掟的には横流ししてはいけないサンプル盤)をよく出していた同じく高田馬場の中古盤屋タイムに学校の帰りに毎日通ってチェックしてたくらいだから。
そんなわけで買えたのはしばらく後になってからのことだったけれど、これは気に入ってよく聴いた。ある種玄人受けするアルバムだから、むしろディランを聴き込んだ後に聴けて良かったな、と思ったり。ディランのマネだなんだと安易なことを言う人もいるけれど、その歌いっぷりは結構堂に入ったもの。何よりディランにそこまで心酔する何かがあったというのが凄い。ディランのカーネギーホールのコンサートを観に行ったあと、ゴフィンが自分のレコードを叩き割ったというエピソードにも衝撃を受けた。なにも割らないでも、って。あのビートルズすらファーストアルバムでゴフィン&キング(クッキーズ)の”Chains”を取り上げているわけだし…今の視点から見ればそんなに自分を卑下する話でもないと思うのだけれど、職業作詞家がリアルタイムで生ディラン(1963年!)を見てしまったら、自分の時代は終わった、と絶望するかもしれないな。とはいえ、ディラン自身も、自分がデビューするかしないか、という頃に既にトップスターだった作詞家のアルバムに敬意を表して、喜んで参加しているわけですから。
トニ・スターンの詩だったけれどキャロル・キングの”It’s too late”をもじったようにも聴こえる冒頭の”Never too Late to Rock and Roll”からしてゴキゲン。ディランやバリー・ゴールドバーグ、ティム・ドラモンドらと共同プロデュース、共作した楽曲が並んでいて。ダラス・テイラーがCSN&Y以前に組んでいたUSサイケポップのクリアーライトのメンバーだったラルフ・シュケットが手がけたクワイエット・ストーム系の”Elysian Fields”だけがちょっと時代を感じさせるようなアレンジだけれど(悪くはない)、他は今聴くと改めて新鮮なベタベタのロック・サウンド。ディランらとの共作”Tragedy of the trade”とラルフ・シュケットと共作した”Sacred heart of stone”が最高に良い。詩もビターな社会派といったテイストで(ちょっとペシミスティックでもある)。黒人の改善されない不遇な現状をして、法律など紙に書かれた言葉は死んでいると歌う"Death to the printed word"。確かにこれを信じなさい、と紙に書かれた美辞麗句だって単に一部の人々の利益を代弁するためのものであることもあるわけだし。あるいはジーザスが資本主義者だったら(共産主義者だったら、無政府主義者だったら、無神論者だったら…)なんていう皮肉な問いからキリスト教とイスラームの対立にも触れた"Rough Theology"(ラフな神学。対訳はラフ・セオリーとなっているけれど、これは流石に誤訳かな?)だとか、たぶん当時の日本でこの歌詞に言及するムードはなかったけれど、現代の方がずっとしっくり来る感じ。
最後にボーナストラック的に入っていた”I’ve got to use my imagination”はグラディス・ナイト&ザ・ピップスの提供曲の自演だけれど、これはアデルファイから出たファースト・アルバムのアウトテイクだったとのこと。2010年に韓国ビッグピンクからその時のデモ(完全未発表+未発表テイク)が蔵出しされたときは驚いた(『It Ain’t Exactly Entertainment Demo & Other Sessions』)。
バリー・ゴールドバーグとジェリーのプロデュースで、ピート・カー、エディ・ヒントン、クレイトン・アイヴィー…といったマッスルショールズのリズムセクションがバックを務めている。ただ、『Back Room Blood』収録音源と比べても、リマスターが雑なのか、アセテート盤の保存状態が悪くなっているのか、余り良い音ではなかった。しかししかし、そこにも入っていた”It’s not the spotlight”。コレがやはりゴフィンの自演では突出している。ロッド・スチュワートのカバー(『Atlantic Crossing』収録)や共作者であるバリー・ゴールドバーグの自演(ディランのプロデュース盤に収録)、そして日本では浅川マキの「それはスポットライトではない」(愛おしい直訳!)で親しまれている名曲だ。
さて、”It’s not the spotlight”、本家は1973年の初のソロアルバム『It Ain’t Exactly Entertainment』に収録。「エンターテイメントとはちょっと違うよ…」っていうタイトルが彼自身のティーンポップ卒業のステートメントになっている。よく言えば無骨な男らしいジャケット、ちょっと低予算な感じもするけれど、発売元もアデルファイ(実は23年後の『Back Room Blood』もアデルファイから)というフォーク・ブルーズ系の弱小レーベルだし(個人的にはキャットフィッシュ・ホッジとかポール・ジェレミアとか…堪らないレーベルなんですが)。
しかしこの2枚組、結構カントリー色の強い楽曲もあったり、興味深いアルバムでもあるけれど、商業的成功とは程遠かったようだ。70年代に入ってからの彼のアイデンティティ模索や、成功したとはいえ拭い切れなかった悩みの深さはいちアーティストとして独り立ちしようとしたこのアルバムから窺い知ることができる。でも、皮肉にもこのアルバムにおいても、楽曲単位で突出した出来だった”It’s not the spotlight”や前述のアウトテイク”I’ve got to use my imagination”がデモ・レコードの役割を果たして、ヒットに結びつくこととなった。結局ブリルビルディングの作曲家時代と同じ構図になってしまった、という。”I’ve got to use my imagination”を収録したグラディス・ナイト&ザ・ピップスの『Imagination』やスティーヴ・バリのプロデュースで”It’s not the spotlight”と”I’ve got to use my imagination”の2曲を共に取り上げたボビー・ブルー・ブランドのアルバム『His California Album』もなかなか良い。
そして80年代になると…ポップ・ミュージックの世界でホイットニー・ヒューストンの” Saving all my love for you”やジョージ・ベンソン/グレン・メディロスの” Nothing's Gonna Change My Love For You”などの大ヒットをマイケル・マッサーとのコンビで出すことになる。それでもレコーディング・アーティストの夢断ち切れず…といった所だったのだろうな。やり残した想いみたいなものが噴出したのが57歳の時、23年ぶりにリリースされた前述の『Back Room Blood』なのだった。また昔の仲間も集めながら…その後ジェリーは2014年に惜しまれながら75歳で亡くなっている。「ロコモーション」の作詞で知られる…という新聞記事に、間違いではないにしろちょっとずっこけるものもあったけれど。いつの時代も客観的な顔をしたニュース報道が音楽家やファンの深い想いを受け止めてくれるとは限らないと思っている。