いしうらまさゆき の愛すべき音楽よ。シンガー・ソングライター、音楽雑文家によるCD&レコードレビュー

f:id:markrock:20190212213710j:image
いしうらまさゆき へのお便り、ライブ・原稿のご依頼等はこちらへ↓
markfolky@yahoo.co.jp

[NEW!!]2022年2月24日発売、ビッグ・ボッパー『シャンティリー・レース』、フィル・フィリップス『シー・オブ・ラブ:ベスト・オブ・アーリー・イヤーズ』、チャド・アンド・ジェレミー『遠くの海岸 + キャベツと王様』の3枚のライナーノーツ寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20230129183945j:image
[NEW!!]2022年12月23日発売、バディ・ホリー・アンド・ザ・クリケッツ 『ザ・バディ・ホリー・ストーリー』(オールデイズレコード)のライナーノーツ寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20221230235618j:image

悲しき天使

markrock2016-01-09


アップル・レコードでもジャッキー・ロマックスなど当たらなかった人がいる一方で、ビートルズとはまた違った意味でのワールドワイドな大ヒットを記録した人もいる。メアリー・ホプキンの”悲しき天使(Those were the days)”がその代表格。音楽に詳しくない人でも口ずさめた一曲。私は幼い頃、自分の親から聴かされたという想い出がある。その後フィフス・ディメンションのヴァージョンにも出会い、ビリー・デイヴィス・ジュニアの歌うソウルフルなそのヴァージョンにも新たな感動があったり。日本では森山良子版が有名だ。

この曲、おそらく日本の歌謡曲の定石になった曲のような気がする。桂銀淑の”すずめの涙”とか、荒木一郎の”君に捧げるほろ苦いブルース”とか、そのさらなる引用と思しきアリス・谷村新司の”帰らざる日々”だとか。似たところではクリフ・リチャードの”しあわせの朝(アーリー・イン・ザ・モーニング)”なんかもそうかな。ちなみに”しあわせの朝”は忘れもしない、小学生の頃よく有線でかかっていて、歌詞も分からず口ずさんでいた。何しろ初めて買って貰ったCDがダーク・ダックスやポニー・ジャックスの歌うロシア民謡集だったくらいだから、ぼくの耳には「哀愁」としばしば形容されるマイナー調のメロディーがピッタリきたのだった(ちなみに自分で初めて買ったのは谷村新司”ラストニュース-THE MANのテーマ-”だった。渋すぎるな…)あ、悲しいと言えば邦題の「悲しき天使」は、「メロディ=もの悲しい」「メアリー・ホプキン=天使」というところから来ているんだろうな。

さて、メアリー・ホプキンに話を戻すと”悲しき天使(Those were the days)”の作者クレジットにジーン・ラスキンとありまして、長らく調べても何者かよくわからなかったのだけれど、ある時中古盤屋で『Gene And Francesca』というレコードを見つけて。”悲しき天使(Those were the days)”が入っていてピピッときまして。あっ、あのジーン・ラスキンだ!なんつって大感動で。まあ今なら、ググれば一発で、といった味気のない話になるんでしょうけれど。



でも一寸ずつ調べていくと、このジーン・ラスキンという人物、非常に評判が悪い(笑)。まあその理由は端的に言うとロシアのメロディだった”悲しき天使(Those were the days)”の原曲"Dorogoi dlinnoyu"に英語詩をつけて著作権登録してしまったという一点に尽きる。ジーンは特大ヒットの印税で大儲けしただけに相当のやっかみもあったのだろう。原曲"Dorogoi dlinnoyu"を作ったのはロシア(ソ連)の作曲家ボリス・フォミン。1924年に作ったこの曲を舞台俳優/歌手だったアレクサンドル・ベルチンスキーが亡命先の西欧で広めたとのこと。



ジーン・ラスキンことユージーン・ラスキンは1909年、ニューヨークに生まれ、コロンビア大学で建築を専攻し、1936年から40年間同大で准教授を務めたという人物。その間、舞台の脚本執筆やら著書の出版やらを行い、グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンでは妻のフランチェスカと共に歌っていた、なんて彼はヴィレッジらしいインテリの雰囲気を漂わせたフォーク・ミュージシャンだったのだろう。1962年に英語詩がつけられた”Those were the days”、ジーンとフランチェスカの演奏をイギリスのクラブ”Blue Lamp”でたまたま耳にしたのがポール・マッカートニー。それは1964年のこと。4年後にアップル・レコードの新人として白羽の矢が立ったメアリー・ホプキン(ツイッギーがポールに紹介したとか)をデビューさせる際、あの曲がメアリーに合うのでは…と引っ張り出してきた、という具合だ。

さて1969年リリース、10曲入りの『Gene And Francesca』だけれど、”Those were the days”の自演版を収録。その曲にはクレジットがないけれど、他の楽曲の中にはちゃんとロシア民謡の引用である旨が記載されていたり。なんで”Those were the days”だけには記載がないんだよ?っていう、この辺のセコさが恨まれる要因かな(笑)。まあ自身のクレジットでヒットしてしまった以上、後には引けなかったんだろうけれど。ちなみにラスキンはロシア系のアメリカ人だったようで(妻フランチェスカルーマニア系)、フォーク・ソングのレパートリーを探す中で自身の民族的自覚を持つようになったようだ。そこで、ルーツであるロシアの作曲家のメロディを自分のものとしても良いのでは、と遠きアメリカの地で思い至ったのかもしれない。タイトルの”Those were the days”というノスタルジックなタイトルにもそんな自身を形作った過去へのまなざしが見て取れる。ジーンのギター、ピアノに加え、音楽監修を務めるジョン・ラスキンがベース、ギター、タンバリンを演奏。おそらくジョンはジーンの息子のジョナサンのことだろう。彼は父親より早く1974年に亡くなっている。あとドラムスは、ニューヨークのパーカッショニストだったラルフ・マクドナルド。ご存じ” Just The Two Of Us”(グローヴァー・ワシントン・ジュニア/ビル・ウィザース)のソングライティングにも関わっていた人物。リリース元のTetragrammaton Recordsはビル・コスビーが作ったレーベルで、米キャピトルにリリース拒否されたジョン&ヨーコの『Unfinished Music No. 1: Two Virgins』を出したことでも知られている。他にも1968〜69年に初期のディープ・パープル、ビフ・ローズ、アイドル脱皮後の売れないパット・ブーン、スウィート・サースデイ、トム・ゲント、サマーヒル、ジョンストンズ…といったヒップな所を数多くリリースしている。そう言えば数日前に俳優マーク・スレイドの『Mark Slade's New Hat』ってのも手に入れてみた所。



ジーン・ラスキンが亡くなったのは2004年のこと、94歳だった。ニューヨークタイムスの記事がいまだに参照できる(http://www.nytimes.com/2004/06/12/arts/eugene-raskin-94-folk-singer-and-writer.html?_r=0)。