/ The Rise And Fall Of Honesty ( Capitol / 1968 )
サイモン&ガーファンクルはビートルズやボブ・ディランと同様に、旧来の音楽スタイルを融合させることで一つの新しい音楽スタイルを作り上げたグループだったと思う。レッキング・クルーの面々といった西海岸の腕利きを従えたフォーク・ロックともソフト・ロックとも取れるサウンド・メイキングも革新的だったし。だから、そんな彼らのフォロワーも雨後の筍のように存在していた。イギリスで言えばギャラガー&ライル(彼らは後にアート・ガーファンクルへの楽曲提供を果たし、1982年のサイモン&ガーファンクルの再結成ライブ盤では唯一の楽曲提供者となる!)がいた。アメリカではS&Gのカバー盤まで出しているアズテック・ツー・ステップが完全なフォロワーかな。デュオってことだけで言うとシールズ&クロフツやイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーなんかも。60年代にサイケやガレージなバンドを組んでいたメンバーのうち、主要ソングライターだけが生き残ってデュオになる、というパターンはよくあった。他にもマニアックなところだと、ハーパー&ロウ(Harper And Rowe)(World Pacific / 1968)、アンソニー・グリーン&バリー・スタッグ(Anthony Green & Barry Stagg)(United Artists / 1969)(2006年の再発CDでは”Tony Green & Barry Stagg”とタイトル変更されている)、”Best Of Friends”名義でアルバムを出したジョー&ビング(Joe & Bing)、ダン&マッカーシェン(Dunn And McCashen)(Capitolから出した2枚は手元にある)とか、日本の民謡”さくら さくら”を”Flowers Fall Away”としてカバーしたアディス&クロウフット(Addiss And Crofut)(Columbia / 1968)、カナダのアーロンズ&アクリー(Aarons & Ackley)、トーマス&リチャード・フロスト(Thomas & Richard Frost)、ビリー・マーニット在籍のビリー&チャールズ(Billy & Charles)、各人のソロも素晴らしいバット・マグラス&ドン・ポッター(Bat McGrath & Don Potter)、日本で再発盤が大当たりしたアルゾ&ユーディーン(Alzo & Udine)、アル・ゴーゴニとチップ・テイラーが組んだジャスト・アス(Just Us)、一発屋ヴィグラス&オズボーン(Vigrass & Osborne))、そうそうランバート&ナッティカムもいた。ブラックホーク的なノリだとフリーマン&ランジ(Freeman & Lange)とかハッピー&アーティ・トラウム(Happy & Artie Traum)、スワンプではデルバート&グレン(Delbert & Glen)やアサイラム・クワイア(レオン・ラッセル&マーク・ベノ)、マイク・フィニガン在籍のフィニガン&ウッド(Finnigan & Wood)とか…。キリがないですね。デュオ・スタイル自体はカントリーやフォークではそんなに珍しくない気もするけれど、60年代後半から70年代初頭のシンガー・ソングライター時代に接近したロック的アプローチの作品はそこまで多くはない。
その中でも個人的に完成度が結構高いと思っているのがMaffitt / Daviesだ。クラーク・マフィットとブライアン・デイヴィスの二人組。キャピトルから1968年に出した『The Rise And Fall Of Honesty』は、初期のビーチ・ボーイズを手がけていたニック(ニコラス)・ヴェネットのプロデュースのもと、ジョー・オズボーンやジェイムス(ジム)・ゴードンらを従え屈指のフォーク・ロック・アルバムに仕上げている。個人的にはボロボロの中古のオリジナル盤(4ドル位。安かった!)をアメリカから買った記憶がある。初めて針を落としたときは二人のキレイなハーモニーにかなり感動した!。2010年にはソフト・ロックのリイシューで知られるRev-Olaから7曲のボーナス・トラックを追加してCD再発されている。
冒頭のボブ・ディラン”Just Like A Woman”がまず堪らない。S&GミーツDylanと言った感じ(ディランではもう1曲”Tom Thumb’s Blues”を選曲)。ジョン・ハートフォードやホイト・アクストン&アイヴァン・ユルツ、ボブ・ギブソン&シェル・シルヴァースタインの楽曲が並ぶ中、シングルも切られたブライアン・デイヴィスのオリジナル”Forest Lawn”が何ともイギリス風味で。イントロからしてデイヴィ・グレアムみたいな色。このイギリス仕込みのフォーキーっぷりがS&Gを彷彿とさせる理由かも。アメリカものはついついフォークよりカントリーの色が出てしまうのが特色だからこの感覚は貴重だ。ちなみに再発CDのボーナスではボブ・ギブソンやフレッド・ニールを取り上げていて、この辺りもフォーク・シーンの出であることを隠そうとしない。
ちなみにブライアン・デイヴィスはデュオ以前にもキャリアがあり、1963年にルーレットからミッシング・オーティス・トリオ(と言っても二人)というモダン・フォーク・グループでレコードを出している。マフィット&デイヴィス時代にも、同じくニック・ヴェネットの手がけたカントリー・ロック・グループ、ハーツ&フラワーズのレコーディングに参加したり。他にもケニー・ロジャース、マルヴィナ・レイノルズ、ドリー・プレヴィン、マック・デイヴィス、キングストン・トリオ、ライムライターズらのレコードにもプレイヤーとして参加している。デュオとしてのキャリアは1978年の再結成盤『October In Oxnard』(ジム・ゴードンらが参加。サイケ風味は消滅し、完全にオーセンティックなフォーキー・サウンドになっている。タイトル曲はTOTOを脱退したデヴィッド・ハンゲイトによるもの。)をリリース後に終了。デュオでは成功しなかったものの、60年代後半にLAトルバドールでのライブを目にしたグレン・ヤーブロウから見初められた縁で20年弱、彼のサポートを務めることになる。しかし1980年代、ブライアンは心機一転。看護学校に入学し、1986年に卒業。音楽業界から足を洗って16年間成人医療に関わるが、それも2006年にはリタイア。それを知ったグレン・ヤーブロウから久々に声がかかり、再びグレンのバックを務めるようになった、なーんて。なんかいい話!