/ No Direction Home (2005)
先日初期ボブ・ディランのドキュメンタリー『ノー・ディレクション・ホーム』を観てきたが、休憩10分を挟んで3時間半という長丁場であるにも関わらず、時を忘れる素晴らしさ。とにかく情報量が多く、濃い!!サントラ盤はもちろん『ボブ・ディラン自伝』を読んだ上で行けば、かなりの情報補完が可能。まず無口と思われたディランが喋り続けるというだけである種コミカルな感じがしたし、ユダ事件とドロップアウトといった常識以外にも、背景に写る錚々たる面々や使用ギターなど仔細な描写に至るまで見所は満載だった。個人的にはディランがプロテスト歌手を脱皮するべく、ジョーン・バエズを捨てるくだりが二人の胸中察するになんとも切なかった。またディランの敬愛するピート・シーガーが、エレクトリック化したディランのステージを見て激怒し、舞台裏にて斧で線を切ろうとしたなんてエピソードも衝撃的。それを後で聴いたディランが、”尊敬している人なのに、ナイフで刺されたような気分だった”などと語ったのも切なかった。過去を語るドキュメンタリーである以上切なくなってしまうのだ。貪欲に新しい音楽の地平を求め続けたために帰る場所など無くなってしまったディランが歌う ”Like A Rolling Stone” に籠められた、無遠慮で保守的なマスコミやファンへの怒りは十分過ぎるほど伝わったし、ディラン世代と思われる疲れきった観客のおっさんが、ボルテージが最高潮に達した”Like A Rolling Stone”に合わせ、なりきって上半身を精一杯揺らしていた辺り、40年の時を経てロックがおっさんの中に息づいていることに何とも言葉に出来ない感動を覚え、帰路に着いた。
プロテスト歌手というレッテルから逃れようとした彼。歌の"意味"について詮索されたのが心の傷になっていたのか、ヒネクレているのか、現在でも歌は人によって多義的であるという姿勢を崩していないが、"Like A..."にしてもレストランへの入店拒否後に書いたと言う"When The Ships Comes In"にしても、当然なんらかの感情に突き動かされて曲を仕上げていたのだとわかった点も興味深かった。またこの映画では、ディランはディランであったとでもいうように、いかなる思想とも無縁であったという描き方をしていたようにも感じられたが、戦後、旧世代の価値観に反抗する若者の象徴ともいえるジェイムス・ディーンに始まり、さらにはビート詩人らから受け継がれし60年代のカウンターカルチャーの真っ只中にいたディラン自身の生々しいまでの反抗は、時代性やその思想とは切っても切り離せないものだと思う。ドラッグ文化との関連について殆ど触れられていなかったのも気になった(言わなくても想像してくれということなのか)。しかし、昨日反体制を叫んでいた者も明日保守になってしまうかもしれず、"時代は変わる"と冷静に見つめることが出来た客観性が40年余りメインストリームを歩ませ続けたのではないかと思う。
いずれにしても色々思うところがあるが、ニューポート・フォークフェスティバルと合わせてDVDでもう2、3度観てみる必要がありそう。