*[日本のフォーク・ロック] 細野晴臣 / HOCHONO HOUSE(Victor / 2019)
ホソノさんの新譜。しかもソロ1作目『HOSONO HOUSE』の完全セルフ・リメイク(プロデュース、ミックス、ボーカル、楽器)という趣向。でもこの辺の感じが「いま」が時代の転換点であることを伺わせる。アベノミクスとかいう偽りの捏造高度成長もそろそろ終わる(終わっている?!)現代。そもそもオリジナルがリリースされた1973年は高度成長の「終りの季節」だったわけでしょう。本盤にはその70年代のリヴァイヴァルがあった90年代的感覚も。この時代のホソノさんはテクノ~アンビエント指向だったわけだけど、またそれが戻ってきているという。ジャケは『HOSONO HOUSE』と『S・F・X』をミックスしたような感じ。
「HOCHONO(ホチョノ)」というタイトルには照れとユーモアも。確かに伊賀航、伊藤大地、高田漣といったライブでお馴染みの面子で『HOSONO HOUSE』をリメイクしたら、近年のライブのようなオールドタイミーかつブギウギな感じになることは想像がつくし、新鮮味には欠ける。しかも71歳の彼が一人でリメイクするのに、全編シンガー・ソングライター的に仕上げればどうしても老いを感じさせてしまうわけで(とはいえ弾き語りテイストを残した「冬越え」に一番心を揺さぶられたが)。いずれにしても、適度に温かくヒューマンな打ち込みを入れたのは大正解だと思った。曲順を逆にしてるのも、過去に遡るようで、アルバムを聴く時間は進んでいくという二重構造で。1975年のライブ音源から収録された「パーティー」は時代の奥行きやタイムトラベル風味をもたらしていて。ヴァン・ダイク・パークス的バーバンク感もある。自身のセルフ・ライナーもあるので、想像力を働かせて聴いてみたい。ちなみにあえてLPで買ってみたけど、マスタリングの音が凄く良かったので一安心。
シアトルのレーベルLight in the Atticが出したコンピレーション『Even A Tree Can Shed Tears: Japanese Folk & Rock 1969-1973』には「僕は一寸」が収録されていたけれど、近年の細野晴臣の海外での再評価はご本人にとっても嬉しいことだったのだと思う。YMOのコンセプト・メイカーでありながら坂本龍一の影に隠れてしまった当時を思うと、その評価が逆転した印象。海外の音楽ファンで日本のポピュラー・ミュージックに興味を持った人達が、突出した作品の全てに細野さんが関わっているという法則性に気が付いたのだった。ちなみにそのコンピ、2017年のムック本『Folk Roots, New Routes フォークのルーツへ、新しいルートで』にもフィーチャーされており、私も本にちょっと関わらせてもらったのだけれど、その中に細野さんとデヴェンドラ・バンハートの対談も収録されていた。編著者のモンチコン清水君が言っていたけれど、その辺りで細野さんは海外での自身の音楽の再評価の手応えを得たんじゃないか、と。
ちなみにそのLight in the Atticから昨年、『HOSONO HOUSE』海外初リリースCD&LPが出ている。日本のレコ屋に海外から買い付けに来ている人を多く見かける昨今だから、需要もあるのだろう。ベルウッドのオリジナル・ファーストは流石に入手困難で、1979年の1500円再発LPを持っているけれど、音がこもっているのが不満だった(90年代に再発されたCDの方が音は良かった)。で今回、Light in the Attic盤LPも入手してみた。
ジャケはゲイトフォールドで抜群によい。ベルウッドのアメリカンなレーベル・デザインも◎。ただ、音の方は良し悪しな感じも。「ろっかばいまいべいびい」のボーカルが消え入る部分は持ち上げられて、レベルが揃っている。でも、ボーカルの粒だちの新鮮さはベルウッド盤の方が良かった。まあ、マスターの状態とかもあるんでしょうけれど。てか元々狭山のホソノ・ハウス録音でありまして、曲によってはマスター自体がそこまでクリアな音像じゃないのかも。まぁ何を言おうとも、全部好きなんですけどね(笑)。不思議なんだけれど、アタマの中にはいつも完璧な音像で『HOSONO HOUSE』が鳴っている。その理想=イデアそのもの、を追い求めるためにホソノさんを聴き続けているのかもしれない。