エアロスミスやリッチー・サンボラ、ピンク、そしてミーカ(MIKA)のファースト・アルバムなどのライターとして知られているリチャード(リッチー)・スパのソロ作がCD化されているのを見て、オッ!と思った。最近は本当に重箱の隅のようにCD化が進んで、とてもじゃないけれど追いかけきれなくなったし、有り難みが半減している感じもする。BIG PINKとか、著作権切れものの再発とか。あくまで個人的には、残りの自分の人生を考えると、CDに買い換える必要もないような。アメリカン・ロック、SSW、スワンプ…のその類のレコードの多くを、かつて熱心に集めていたけれど、それらも次々にCDになっていくのだろう。しかしとんでもないレア盤を除けば、レコードにさほど値動きはないような。そっちはそっちで欲しい人がいるのかな。それにしてもそうしたマニアックな再発盤、大体300枚ぐらいの作りきりのプレスのはず。その300枚がマニアの間で買われたり、中古でやりとりされたり。ちなみに卑近な例だけれど、自分が自主レーベルで作ったアルバムも300枚のプレス。実は500枚、1000枚とプレスしてもプレス代自体はほぼ一緒なのだけれど、売れ残り在庫は生活空間を奪うので(笑)。300売るってのは、今の時代、結構タイヘンなことなのだ。新人のメジャー・リリースでも初回プレス300でその殆どがプロモーション用や全国のツタヤに…とかあるみたいですし。CDが売れない時代。リチャード・スパの今年の最新作『Enemy』もダウンロードでリリースされている。
さて、そんなリチャード・スパのソロ以前のバンド、マンの唯一盤『MAN』を取り出してきた。「人類」みたいなバンド名。そう言えば河島英五のバンドが「ホモ・サピエンス」で『人類』っていうアルバムがあったな。
このマンをはじめ、60年代後半から70年代初頭にかけて、コロンビアやエピックの売れなかった単発バンドって、テックスメックス系を含めて結構あった気がするけれど、プロダクションがしっかりしているから、今聴いても悪くないものが多い。プロデュースは泣く子も黙るボブ・ジョンストン。
ちなみにマンの前身バンドはペリー・コモの甥デニー・ベラインを中心とするDenny Belline and The Rich Kidsで、RCAビクターから1966年にアルバム『Denny Belline and The Rich Kids』をリリースしている。バンド名のRichはメンバーのリッチー・スパと掛けているのかな。ペリー・コモの甥を看板にするのは仕方ないとしても、才能のあった両看板のリッチーの名も刻まないわけにはいかなかったのかも。ロング・アイランド出身、ヤング・ラスカルズのフォロワーとして人気があったようで、シングルも幾つかリリースしている。アルバムの方はライブ盤だけれど、若さと勢いが素晴らしい。ウィルソン・ピケット(”Mustang Sally”、”Don’t Fight It”)やビートルズ(”Night Before”、”Rain”)のカバー、バカラックの”Any Day Now”やアラン・トゥーサン”Get Out Of My Life”といった有名曲で構成されており、本家ヤング・ラスカルズが取り上げた”Good Lovin’”も演っている。ブリティッシュ・インベイジョンの波、シックスティーズのある種のバンドブーム(日本で言えばGSのような)が終わり、再デビューと引き替えに名前やサウンドをニュー・ロック・テイストに変えさせられたのがマンというバンドだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=N2yeNdWHDXM
リチャード・スパはリード・ギター、ボーカルなどを務め、デニス(デニー)・ベラインと共にバンドの中心だけれど、単独でソングライティングを手がけているのは8曲中3曲だけ(メンバーとの共作含めると5曲)。スパ曲以外だと、冒頭のギルバート・スレイヴィン、アンソニー・クラシンスキーの共作”Sleepy Eyes And Butterflies”はクラシックとロックを融合させたような異色のプログレッシブ・サウンドで印象的。他にも”Camp Of The Gypsies”だとか。でもリッチーもソングライティングに加わった”Riverhead Jail”ではスライド・ギターのイントロからしてスワンピーなロック・サウンドを聴かせてくれて。ハープシコードのイントロが少しバンドの個性なんだけど、ボーカルはポップなザ・バンドみたいなソウルフルな色で。この辺りがリッチーの本性なのかな。喫茶ロック的風情のスパ作の”Brother John”もある。そう言えば、メンバーのギルバート・スレイヴィンって、スティーヴン・ソールズなんかも参加したダスティ・スプリングフィールド1974年のオクラ入り未発表作『Faithful』(2015年に陽の目を見ている)で多くの曲を書いているギルバート・スレイヴィンと同一人物ではないかな。ただし、アルバム中先行シングルカットされたジェフ・バリー、ボビー・ブルーム、アレックス・ハーヴェイの曲が全く売れなくて、アルバム丸ごとオクラ入りしたみたいですから、運が悪いとしかいいようがない。後にソングライターとして成功するリッチーに比べると、大きな魚を獲り逃がしたことになる。
さて、対するリッチーは1971年に初のソロ『Supa's Jamboree』をパラマウントからリリース。同じくパラマウントからリリースされた2枚目の『Homespun』と共にアトランタ・リズム・セクションのバックアップの元(バディ・ビューイのプロデュース)、土臭い、アクスティックなアメリカン・ロック・サウンドを作り上げた。とりわけ『Homespun』は名作中の名作で、アメリカン・ハード・ロックの源流はココにある、と言えるような音。アコギ一本を基調としつつ、ここまで骨太なロック・サウンドを作れる、という良いサンプルではないだろうか。
その後エピックに移籍し、1976年に『Lifelines』をリリース。これは個人的にはカナダのSSW、ダン・ヒルのレコードと一瞬見間違えてしまうけれど、そうしたピアノ基調のAOR路線で作ったアルバム。歌は当然むちゃくちゃソウルフルなんだけれど。そう言えばダン・ヒルもピアノマンの印象があるけれど、元々アコギ弾きだったから、感傷的なソングライティングの妙は変わらないまでも、イメチェンさせられた人かも。
そして、ポリドールに移籍。ソングライターとしての名声を獲得した1978年の『Tell Tales』は、エアロスミスが取り上げた”Chip Away The Stone”の自演を含む作品。カントリーAORみたいな風情もまだ残っているけれど。”Chip Away The Stone”はエアロのスティーヴン・タイラーが大好きで(いかにも好きそう…)、シングルカットを推したらしいけれど、ハード・ロッキンなエアロのファン層はあまり反応せず、大ヒットには至らなかったという。