ぼくたちは何処へ行くのだろう?
ぼくたちは何処へ行くのだろう?
(This Path Tonight)
今年3月、ローリング・ストーンのウェブサイトで(http://www.rollingstone.com/music/news/graham-nash-i-dont-want-anything-to-do-with-david-crosby-20160308)盟友デヴィッド・クロスビーとの不仲が伝えられていたグレアム・ナッシュ。ビルボード誌のインタビューでグレアムが「CSN&Yのレコードや、CS&Nのレコード、ショウはもうないだろう」と答えたんだとか。今更仲違いはないだろう…と思った。ひどいメールを送りつけたクロスビーが原因、という言だったけれど。グレアムは罵詈雑言で結構怒っている。長年連れ添ったペギーと別れたニール・ヤングのガールフレンドをけなした件でもクロスビーは揉めたみたい。ちなみにクロスビー、現在かなり積極的にツイッターで情報発信&コミュニケーションしているんですよね。ちょっと哲学的、禅的な受け答えが面白くてフォローしているんだけれど、ナイフのような鋭さも持ち合わせていて。それがストレートなナッシュの心を傷つけたのかもしれない。
「今は自分自身に集中したいんだ」…ナッシュのソロとしては14年ぶりになるニュー・アルバムの報。ジャケットとタイトル『This Path Tonight』を見て、なんとなく想像はついた。遺作に成りうる作品だな、と。だって、ファースト・アルバムのタイトルをもじった2002年の前作『Songs For Survivors』から14年ぶり。前々作はさらに16年遡って1986年の『Innocent Eyes』だった。
実はソロは寡作、そう思うと今度、はないかもしれない。こちらも覚悟して、輸入LPで購入。ゲイトフォールド・ジャケットに180gの肉厚ビニール、アナログで聴きたくなる暖かい音のアルバムだった。3曲のボーナストラックを含めたプラスチック製ダウンロード・カードも付いてきた。ビーター・バラカンの弟、でもあるミック・バラカンことシェイン・フォンテインのプロデュース。昨年のCS&N来日公演でも堅実なサポートを見せていた彼。時代に耐えうるアメリカン・ロックの音に仕上げている。先ほどから5回ぐらいリピートしているけれど、書き貯められた楽曲の完成度や若々しいボーカルも含めて、ソロでも最高傑作の部類なのではなかろうか。
はじめに音を聴く前、じっくりと歌詞やジャケットを味わったのだけれど。モノクロのジャケットには雪の降り積もる雑木林の小道を歩いていく白髪のナッシュの後ろ姿が。これはもちろん老いたナッシュに残された人生の小道でもあり、ナッシュが共に歩んできた60年代的精神の行く末でもある、と私は読み取った。
歌詞に描かれているのはパーソナルな極めてほろ苦い現状認識だ。残り少ない未来の人生と過去と今を、揺れ動く心そのままに、ナッシュらしく正直に見つめている。「さいご ぼく自身は(Myself At Last)」の冒頭ではこんな風に歌っていた。
光は静かに消えていく
そして早々と夜がやってくる
私は夢をたぐり寄せる
過去と戦うのはむずかしい
全てが語られ成し遂げられたとき
代価を計算するのはむずかしい
そしてぼくはこの孤独な路を転げ落ちる
さいご ぼく自身を見失ったように
(Myself At Last)
「全てが語られ成し遂げられたとき、何を失ったのかを見つけることはむずかしい」という言葉にも心に迫る何かがあった。輝かしいバンドの日々を懐古したような”Golden days”はどうだろう。
ぼくは昔バンドにいた、友人たちとでっちあげた
沢山の土地で演奏した
そのとき音楽に終わりはなく…そう、始まりだった
ぼくたちは心一杯 持ちうる全てを歌った
ぼくたちが与えたものは、みんなにかえってきた
あの旧き日々に
歌にはソウルがあり、詩は輝かしい日々への希望に溢れていた
おぉ ぼくは知っている…人々は傷ついていた
でも何とか道を見つけようとしていた
そんな崩壊の日々に
でも今ではみんな ケアが必要みたいだ
すべてのぼくらの夢を信じ、すべてのぼくらの祈りに答えて
“愛こそはすべて(All You Need Is Love)”はどうなってしまったんだろう
いつでも時は過ぎ去り、次の日がやってくる
とてもゆっくりでいて、とても素早く
だから道を見失ってしまうんだ、輝かしい日々への
(Golden Days)
ラストの”Encore”では「最後のショウが終わったら、何をしたい?」「もし信じ続けることをやめたら、何をしたい?」「音楽が死んだら、どんな感じがする?」…なんて神妙に並べた後で…
アンコール、アンコール 最後の歌が終わった
「もっとやれ、もっとやれ」群衆が足元まできている
「もちろん、もちろん」 おだててくれて嬉しいよ
アンコール アンコール…
(Encore)
イギリス人らしい、ちょっと皮肉なような、諦めのような…ナッシュもトランプ騒動や世界を取り巻く不穏な状況を前にして、何を見ているかが伺える。70年代後半から80年代のCS&Nによくあった、大仰なナッシュの楽曲は影を潜め、木訥とした心情を、アコースティック・ギターやいつまでも素人っぽさを残すハーモニカに載せて歌っている。とはいえ冒頭のタイトル曲では、陰鬱な雰囲気をかき消すような瑞々しいロック・サウンドを聴かせていたり、厚みのあるコーラスを付けて、現代的に仕上げていたり。この辺りがシェインの音作りの確かさだ。シンプルなようでアレンジにひとひねりを加えている所も、一本調子になりがちなナッシュの楽曲に彩りを添えている。
ザ・バンドのリヴォン・ヘルムに捧げた”Back Home (For Levon)”ではザ・バンドの代表曲の詩を散りばめつつ(”Take a load off”)、人生の円環(May the circle be unbroken)や(ザ・)バンドはいつまでも(tha band plays on and on)なんていう普遍の真理を歌っていたり。
ちなみにボーナス・トラック3曲も迫力があった。CS&Nのツアー後に20曲作って、シェーンと8日間で20曲全部レコーディングしたこのアルバム。10曲が本編に収まって、ボーナスはそのアウトテイクにあたる。その内、”Mississippi Burning(ミシシッピー・バーニング)”はそのタイトル通り、1964年に黒人参政権運動を展開した黒人・ユダヤ人含む3人の学生が深南部で殺された事件を題材にしたもの。ステイプル・シンガーズばりのブルーズ・ゴスペルタッチの仕上がりになっているのはそういうわけだろう。つくづく”Chicago”や”War Song”の人なのである。そして”Watch Out For The Wind”、これはその50年後の2014年にミズーリ州ファガーソンで18歳の黒人マイケル・ブラウンが白人警察官に射殺された事件を受けて書かれたものだ。50年経っても変わらず繰り返してしまう愚かさはこの国の現状を見ても相似形だ。グレアムが政治的主張も含むこうした楽曲を本編に収めなかったバランス感覚はとてもよくわかる。トピカルなテーマに普遍性がないという人もいるだろうし、そうした側面を嫌う人もいるだろうから。でも私はどうせ一度きりの人生なら、グレアムのような生き方を選びたい、そんなことを思いつつ聴いている。