ジェファーソン・エアプレインのポール・カントナーが去る1月28日に74歳で亡くなった。サンフランシスコ・サウンド、ドラッグ・カルチャー、サマー・オブ・ラブ、ヒッピー・ムーブメント…早逝したジャニス・ジョプリンより2歳年上(1941年生)だったから、60年代ロックのサバイバーの一人だったのかもしれない。
エアプレインとかシカゴのようなアメリカの大所帯バンドが時代の変遷と共に分裂やソロ活動を繰り返しながら時代の趨勢に合わせて生き延びている様は圧巻だ。産業ロック化しいたシカゴを悪く言う人もいるけれど、ぼくはどの時代のシカゴも好きだし、エアプレインで言えばミッキー・トーマスのスターシップもジェファーソン・スターシップも、MOR化したマーティ・バリンの音楽も愛している。かつての面影がないような言われ方もしたスターシップの”We Built This City(シスコはロック・シティ)”(コレは学生時代、ラジオで一日一回くらいかかっていたのでは?)にだって「俺たちがこの街を作ったんだ!」なんていう、ラジオ・デイズや肥大化する音楽産業をくぐり抜けてきた60年代からのロック・サヴァイヴァー、シスコ・サウンドの立役者達による、誇らしげな自負が見て取れたし。これはバーニー・トウピンの詩かな。曲はマーティン・ペイジやデニス・ランバート、ピーター・ウルフによるもの。あと、先日来日したアルバート・ハモンドがダイアン・ウォーレンと共作した” Nothing's Gonna Stop Us Now(愛はとまらない)”(アルバートの自演版もあった。)も本当によくラジオで聴いた。エアプレインのことなんてちっとも知らずに聴いていた時はグレイス・スリックの芝居がかったタメのあるどうにもシックスティーズなボーカルが、なんだか不思議な印象だったのだけれど。
ぼくの場合、エアプレインとの出会いはちょっと不純で、TOTOの大ファンだった高校生の頃、TOTOのスティーブ・ポーカロ&デヴィッド・ペイチが提供した1曲を聴きたいがために、1989年の奇跡の再結成アルバム『Jefferson Airplane』(グレイス・スリック、ポール・カントナー、マーティ・バリン、ヨーマ・コウコネン、ジャック・キャサディという布陣)を手に入れたのが最初だった。
その1曲は売れ線の産業ロックの色を出すための選曲だったのだと思う。元々TOTOとはカリフォルニア・シーンという括りでの繋がりもあったのかもしれない(エアプレインの出自はLAじゃなくてサンフランシスコだけど)。今聴くと、反体制の思想がすっかり抜け落ちたマーティ作の”Summer of Love”なんていうウッドストックの夏をうっとり懐古する感傷的なバラードがあったりして、当時の彼らが歌う目的を失っていたようにも思えるのだけれど、全盛期のジェファーソン・エアプレインのサウンドを蘇らせようとした意図はとてもよくわかる。元タートルズのエディ&フロー(ポール・カントナーの作品とはかつてより関わりがある)の参加も60年代なるものを感じさせるし。中でも当時気に入ったのがCSNを思わせる分厚いコーラスとロック・サウンドを聴かせるポール・カントナー作の”Planes”なのだった。後々エアプレインの音を聴いた時ぶっ飛んだ”Volunteers”のダイナミズムと同様のものを感じたりもしたし、カントナーが愛しのデヴィッド・クロスビーと”Wooden Ships”を共作したことにも大いに頷けたのだった(クロスビーのファーストは同じ精神性を共有していた時代に産み落とされた傑作だと思う。"Triad"も外せない。)。
ポール・カントナーは、時代やエアプレインのメンバーが変われども、グループの思想の核であり続けた。60年代のフォークやロックが持っていた反骨精神や理想主義、その行き着く先だったニューエイジのスペーシーな精神性を愚直なまでに維持していたのではなかったか。
2000年代の作品ではポール・カントナーとデヴィッド・フライバーグ(クイック・シルヴァー・メッセンジャー・サービス、ジェファーソン・スターシップ)らによる2008年の『Jefferson’s Tree of Liberty』(ジェファーソン・スターシップ名義)が印象的だった(グレイスの代役はダイアナ・マンガーナに代わり、キャシー・リチャードソンが務めている)。ちょっと直截的すぎるくらいの選曲ではあるけれど、ウィーバーズの複数のレパートリーからディノ・ヴァレンティ、ディランの”Chimes of Freedom”やフィル・オクスの”I Ain’t Marching Anymore”、ウディ・ガスリーの”Pastures of Plenty”、ジョン・レノン〜ボブ・マーリーのメドレー”Imagine Redemption”のカバーまでをも含んだアメリカーナ色強いアルバムだった。マーティ・バリンやジャック・キャサディ、デヴィッド・グリスマンにデヴィッド・ラフレイム!(イッツ・ア・ビューティフル・デイ)までもが参加し、彼が時代のリアルタイムに投げかけようとしたメッセージが痛いほど伝わってきた。
思えば「ジェファーソン」はアメリカ第3代大統領トマス・ジェファーソンから取られたものだろう。彼は個人の自由を守るには暴力を用いてでも政府を拘束して良い、と説き「The tree of liberty must be refreshed from time to time with the blood of patriots and tyrants. (自由の木は愛国者と専制君主の血により、その時々に新たにされなければならない)」と書いたのだった。先述のアルバムタイトルがそこから取られたことはジャケットからも明らかだ。しかしそこにはアメリカの矛盾が無きにしもあらず、だ。自由を旗印にイギリスからの独立を目指す愛国者としてのジェファーソン、インディアン(ネイティブ・アメリカン)の文化を尊重しつつも強制移住を促したジェファーソン、奴隷制に反対しながらも奴隷を所有していたジェファーソン、女性参政権を認めたくなかったジェファーソン…60年代のカウンターカルチャーの思想性を背負いつつも、ジャニスのビッグ・ブラザー・ホールディング・カンパニー同様、エアプレインも赤一点のボーカルを据えていた。
そう、1998年の『Windows of Heaven』なんていうのもリアルタイムで手に入れていた盤だ。ポール・カントナーやマーティ・バリン、ジェシ・バリッシュらの作品に混じってオフコースの”Yes Yes Yes”が日本盤ボーナス・トラックとして収録されているのは衝撃だったけれど。Aメロのアレンジや全体のコーラスなんかはポール・カントナー仕込みのエアプレイン・サウンドで。マーティが稲垣潤一など日本のAORのカバー盤を出しているから、その辺りの縁だろうと思う。この辺りのいなたい商業主義とのバランスも含めても嫌いになれない。グレイト・ソサエティとかプラネット・アース・ロックンロール・オーケストラとか、ホット・ツナとかGrunt Recordsもの(ピーター・コウコネン、パパ・ジョン・クリーチ、ジャック・ボーナス…)も正直言って久々に…ごちゃごちゃ取り出して聴いている。