/ 無残の美(PSF / 1985 )
さて、友川ライブに行って参りました。高円寺ShowBoat。トニカク感銘を受ける。59歳とは思えぬ迫力に付いていくだけで精一杯だった。短い曲を沢山思いつくままに歌うというスタイル。まずはトークに惹き付けられた。「これは盗作です。わからないようにして作るには腕が要ります」「私の歌をテープに吹き込んで送って来た人は3人精神病院に行っています」と何食わぬ顔をして言う。曲の紙をペラペラ捲りながら「駄作ばかり」と吐き捨てたり。クリスマスだのイルミネーションだのが大嫌いという話には、この人のエネルギーの根本が怒りなのだと感じる。どうも病気で一度倒れたようなのだが、歌がリハビリになっているそうだ。確かに静と動、言うは簡単だが、動の方、こんな絶叫歌を歌えば体力は付いてくるのかもしれない。
黒い鞄をぶら下げてステージに入って来たのだが、一番だけ作ったばかりのホームレスの歌を歌うと言い出してごそごそ鞄をまさぐり、ひっくり返し、詩を書きつけた紙ぺらを出してくる辺りでもう、参ってしまった。マアとにかく感銘を受けたのだ。
前半は、風邪をひいているようで、明日競輪の予想の仕事があるから、とかなんとかで素面のライブだった。ベルギーでライブをした時に強い風邪薬とアルコールの化学反応でぶっ倒れたらしく。それなのに「どうも自分の唄が聴こえ過ぎて困る」とかなんとかで後半ではシッカリとジョッキが準備され、調子が出てきて「もう一杯」…いやはや。兎にも角にも中原中也の”サーカス”、凄まじい歌のようで居て実は競輪に負けただけの”空のさかな”、稲垣足穂の一節に曲をつけた”夢の総量”、新作の中でも際立っていた”三種川”が聴けたのが嬉しかった。
「いい歌だと思うのは20代に作った歌です」と話して披露された”一切合財世も末だ”も良かったけれど、ラストの生で聴く”無残の美”は余りの壮絶さに言葉を失った。踏み切りに投身自殺した弟を唄った鎮魂歌。「その死は実に無残ではあったが 私はそれをきれいだと思った」そんな一節を叫んだ彼と終演後お話しさせて頂いたのだけれど、なんとも飾らないお人柄に惹かれた。「是非帰り夕刊フジ(友川の競輪予想が載っている)を買って下さい。是非又来て下さい。」という言葉が忘れられなくて。彼は自分を繕おうともせず、人間らしい小賢しさだって隠そうとしない人なのだなと直感的に感じたのだけれど、そんな彼の感性が切り取る世界観というものは、”無残の美”ではないけれど、いかなる絶望や諦観であっても、この世のものと思えない程、美しく思えて仕方ない。客層が若くて驚いたが、それこそ、生きる事や自分と戦う事を止めた耳には届かない音楽を作っている、そうことだと思った。
来春には欧州ツアーが予定されているらしい。
・『イナカ者のカラ元気』(2009)レビュー
http://d.hatena.ne.jp/markrock/20091224