/ ヤング・フォーエバー (Epic / 1997 )
一昨日、九段会館で開かれた、「エレック唄の市2009」に足を運んで来た。当日まで行くか行くまいか迷っていたのだけれど、居ても立ってもいられず。
エレックレコード。URCと並ぶ、70年代のインディーズレーベルの走りだ。アングラなURCと比しても親しみやすくアイドル的な人気を博したフォーク・ミュージシャン(泉谷しげる、古井戸、ケメ、生田敬太郎、ピピ&コット、よしだたくろう、海援隊ら)を多く抱えていた。「唄の市」はそうしたレーベルメイトがお友達として、ライバルとして全国を周り、一世を風靡したイベントだ。フォークが一つのムーブメントになったことを象徴するレーベルだったが、エレック自体はその経営の杜撰さから、主要ミュージシャンのメジャーレーベルへの流出を許してしまった。それでも、同じ時を過ごしたミュージシャン同士の絆は深いものだったのだろう。
近年はそのエレックが復活。諸作品の復刻に関係者の総括(門谷憲二『エレックレコードの時代』など)も進む中、今年になっての忌野清志郎がこの世を去った。RCとライブハウス”青い森”でしのぎを削った泉谷しげると加奈崎芳太郎(EX.古井戸)はブログへの書き込みで互いの想い出を綴っていたのだが、それが10月に一冊の本となった。その本『ぼくの好きなキヨシロー』(WAVE出版)を読んでいたら、いても立ってもいられなくなって。友情の重たさと尊さに胸が熱くなってしまったのだ。
さて、前置きが長くなったのだが、ライブ全体への感想はと言うと、前半は正直苦い流れ。和久井バンドのちょっと冗長な演奏シーンなどもあって、観客とのズレに埋めがたいものがあった。でも、バンドで古井戸サウンドを再現した加奈崎芳太郎の変わらぬシャウト、チャーを従えた生田敬太郎の進化・深化したファンク、ケメの驚くほどタイムスリップした唄声は、まだまだ現役そのものという印象。大変に感銘を受けた。
さて、それより何より、会場ロビーで偶然にも音楽評論家・ジャーナリストの長谷川博一さんにお会いして。私にとってフォークの師匠は、『NHK-BSフォークソング大全集』(1994年〜)の司会の坂崎幸之助さんのなのだが、洋楽ロックの世界の扉を叩いてくれた師匠は何と言っても長谷川さんだ。南こうせつ、奥居香、そして長谷川さんの解説で何シーズンも放送されたNHK-BS『伝説のロック大全集』。忘れもしないこの番組、サタデー・ナイト・ライブの貴重映像で、多岐に亘るジャンルの名曲の数々に触れることができた。ニール・ヤング、ザ・バンド、S&G、ジャクスン・ブラウン、トレイシー・チャップマン…中学生か高校生でしたから、ブレインウォッシュドされたどころじゃないです。ギター片手に、ビデオが擦り切れる程観たなあ…
で、そのあと長谷川さんと色々お話させていただいた。その中で、三沢光晴さんの本を書いておられると聞いた時は吃驚仰天してしまった。早速取り寄せているのだけれど、ミュージシャンを誠実に追いかけて来られた長谷川さんとプロレスがどう響きあったのか、とても興味があるのだ。
あと、「新しいことをはじめる時には無垢な気持ちになる」とおっしゃっておられたのが印象的で。イノセンスとでも言うべきものだと思うのだが、音楽にどうしてもこれを求めてしまう自分がいる。いや人生に、とも言えようか。今の仕事も実はこのイノセンスを探しているだけなのかもしれないし。『伝説のロック大全集』や『BSフォークソング大全集』を夢中になって見ていた中3や高1の自分が甦ってきて。
そんなわけで、ドキッとする言葉のなかで、色々と今の立ち位置を考えさせられることになったのだけれど、ここ5年ほどの間で、気付かぬうちに、いまの音楽に絶望していたんだなあと思って。人生を救ってくれたはずの音楽が、耳馴染みの良いミューザクになってしまっていた。高校生のころ、大好きだったボブ・ディランがガンバレ、ガンバレ、って励ましてくれたり、伝えられない気持ちを代弁してくれたのは紛れも無い事実だったと思うし、音楽にはそんな不思議なチカラがあったのだった。世代を超えて共有できる音楽財産が少なくなって来た今だからこそ、やらなければならないことがあるのかな、と思う。絶望するにはまだ若いといま自分に言い聞かせている。