グレン・フライの死に際して、彼の主要な共作者でもあり、かつてグレンやジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーとLAで共同生活を送っていたというジャック・テンプチン(http://jacktempchin.com/)が偶然にも初来日ツアー中で。これは最終日1月26日の下北沢GARDEN公演行くしかないよな、と急に思い至って、チケットを取ってしまった。日本人にとってみれば、1976年の建国200年のアメリカ・ブーム〜ウェスト・コースト・フィーヴァーとも相俟ってか、イーグルスは特別な場所に位置しているバンドだと思う。
ジャックはイーグルス1972年のファーストに”Peaceful Easy Feeling”が取り上げられた後、1976年にホンクのリチャード・ステコル、若かりしジュールズ・シアーとのバンド、ファンキー・キングス(『Funky Kings』)でアリスタからデビュー。
さらにバンドの前にソロ・デビューの話もあったというジャックのファースト・ソロ『Jack Tempchin』が1978年に満を持してリリース(”Peaceful Easy Feeling”の自演版を含む)。その後イーグルスが解散し、ドン・ヘンリーとの不仲が囁かれたグレン・フライの共作者としての活動が主となっていった。
ソングライターとしてのキャリアで大成功を収めた一方、1990年代以降は自身のソロ作品もいくつかリリースしていて、個人的にはぽつぽつ買っていた。(『After The Rain』『Staying Home』『Songs』とか。どれも良かった。)、昨年2015年には新作『Learning To Dance』をリリース。ライブまでに聴こうと思って注文したけれど、これは結局届かずじまいだった。
さて、ライブは前半がジャックの世界や音楽的背景を理解するための、五十嵐正さんとのトーク・ショー、後半がライブ、というボリュームたっぷりの構成。正直、はじめのトーク1時間は長すぎるかな〜と心配したけれど、結構楽しめて、こういう親切なサーヴィスも時にはありかな、という気がした。
ジャックのキャリア、戦後の典型的なロックンロール世代の体験談で。覚えているところで言うと、オクラホマ、オズの魔法使い、マイ・フェア・レディというミュージカルの産湯に浸かり、ブルーズにも影響を受けて(ミシシッピ・フレッド・マクダウェル、ミシシッピ・ジョン・ハート、リヴァーランド・ゲイリー・デイヴィス、ソニー・テリー&ブラウニー・マギー…)ブルーズ・ハープを演奏するようになって。さらにディランやハリー・ベラフォンテの登場によるフォークブームでサンディエゴのフォーク・シーンの顔役となり、そのフォーク・クラブの1つでドアマンの職にありついたのが若き日のトム・ウェイツだった、なんて。トムは終演後のクラブで、ジャックが新たにお店に置くことを決めたピアノに座って練習をはじめて…なーんて『Closing Time』のジャケの世界観のエピソードも。そしてその頃、デュオ、ロングブランチ・ペニー・ホイッスルとしてグレン・フライとJ.D.サウザーがサンディエゴにやってきて意気投合。
後に成功を求めたジャックがサンフランシスコからLAに辿りつき、トルヴァドールに出演できるようになった頃にはロングブランチ・ペニーホイッスルのステージにブルーズ・ハープで飛び入りしていたみたい。そしてイーグルスのデビュー前、最高の歌と曲、メンバーで頂点に立つ最高のバンドを作るんだぜ!とグレン・フライが大言壮語をぶっていた頃、ジャクソン・ブラウンの家でジャックが弾いた”Peaceful Easy Feeling”のテープをグレンが持ち帰ったことがイーグルスのファーストに収録されるきっかけだったとか。確かに大言壮語の割にオリジナルの持ち曲が少なかったイーグルスだったし、グレンは良い曲を見つけてアレンジするセンスに長けていたから絶好の出会いだったのかな。J.D.サウザーのファーストに収録されていた”How Long”を2007年にイーグルスが再演した時も、グレンのセンスに舌を巻いた。JDのファーストの収録曲のうち、この曲に注目していた人をそれ以前に知らなかったから…
グレンと初めて共作したうちの1曲”The One You Love”(もう一つの初共作は”I Found Somebody”。)からムーディにスタートしたライブ。ジャック自身のブルーズ・ハープがサックス・ソロをうまくなぞっていて、流石元ハーピスト、と思ったり。それにしてもイーグルス解散後のグレン。汚れたロックンロール・バビロンの中でたった1人になって、お酒もたしなまないマジメで謙虚なジャックと一緒なら、音楽に夢中だったあの頃の純粋な何かを取り戻せると思い至ったのかもしれない。ジャックのソングライティングの才を買っていたことや音楽性の近さ、デビュー以前からの縁もさることながら。でも、共作のお誘いがあってジャックが訪ねた際、高級ワイン2本と、この後プレイメイトが来るのかと勘違いしたほどの無数のキャンドルでムード作りをしていた、というのが笑えたな(音楽の女神、ミューズに捧げるキャンドルだったらしい…)。
グレンとの共通項、もう一つは二人共夢中になったリズム&ブルースでしょう。ジャックのファーストはアラバマ・マッスル・ショールズ産だったし(ピート・カーのプロデュース)、共作が5曲収められたグレン・フライのファースト『No Fun Aloud』にもマッスル・ショールズ録音が含まれていた(フランキー・フォードの”Sea Cruise”のカバーなんて最高で!)。ジャックも、パーシー・スレッジやアレサ・フランクリンと同じボーカル・ブースに入れた喜びを語っていた。
その後のライブは数曲でポール・ウィリアムスという、マンドリン・プレイヤーが加わった他は主にギブソンJ-200の弾き語りで。楽曲はジャックの音楽性、つまり亜米利加音楽の全てが入っているようで興味深かった。スリー・フィンガーやディラン・スタイルなハーモニカとストロークで聴かせるフォーク・タッチ、エレキに持ち替えスライドも交えたブルーズ(”Bender”や”Loneliest Piano In Town”)や、ソウル、カントリーまで。新曲の雰囲気はブルース・スプリングスティーンが作りそうな曲にも思えたから、ホストが五十嵐正さんということにも十分頷けた。もちろん盛り上がったのはイーグルスへの提供曲”Peaceful Easy Feeling”やロブ・ストランドランドとの共作” Already Gone”(酒の飲めないジャックが、ロブと楽屋でいつになく飲んでしまい、3つのコードで15分で作ったとか…)、”You Belong To The City”や”I Found Somebody”、”Smuggler’s Blues”、”The Girl From Yesterday”などグレンとの共作曲の自演だった(グレンの死を受け、これからは自分が歌い継ぐ、と言葉少なに語っていたのも印象的で)。
さらに、ジョニー・リヴァースが大ヒットさせた”Swayin’ To The Music(Slow Dancing)”も素晴らしくて。個人的にはジョニーのヴァージョンで好きになった曲。何でも今まで連れ添っている奥様シェリルさん(ファンキー・キングスでコーラスをやっていた、と言っていたような…コレは記憶に自信がありませんが。)に捧げた曲なんだとか。時流に流されない彼らしく、とっても素敵だな、と。ファンキー・キングスのアルバムの1曲目”Singing In The Streets”も嬉しかったし、クリス・ヒルマンとハーブ・ペダーセンのデザート・ローズ・バンド!への提供曲”You Can Go Home”も涙ちょちょ切れる懐かしさで。あとはジャクソン・ブラウンとリンダ・ロンシュタットのデュエット版もライブ音源で存在しているという”One More Song”(ランディ・マイズナーのアルバムのタイトル曲になった)の自演も素晴らしい出来だった。ヌボーとしたピッチの甘い歌声のイメージがあったジャックだけれど、近年のライブ活動のせいか歌声に自信が満ち溢れ、声量も十分。大男によるマコトに大迫力のステージだった。今、2枚のアルバムを制作中で、内1枚はまだレコーディングしたことのない提供曲を集めたものになるようだから、”One More Song”もきっと入ることと思う。
いやはや、改めて聴き直しているけれど、カントリー・ロックという音楽。従来は3コードだとロックンロールになるか、カントリー(あるいはフォーク)になるか、だったわけだけれど、その中間を取ったということ。つまりメロディアスなカントリーのメロディを歌いながら、ロックンロールのリフを注入して腰のあるビートを叩き込むという発明に今更ながら感嘆してしまった次第。ちなみにジャックのライブの雰囲気はDVD付属のCD『Live At Tales From The Tavern』(2012)でほぼ追体験できる。