無意識的にレコードを買って、しりとりのように音楽を聴いている時がある。先日たまたまジャズ・レコード専門店を物色していた時のこと。ジャズ・ボーカルのコーナーになぜかボブ・ディランのファースト・アルバムがあった。しかもセカンド・プレス(モノラル)。これはついつい手に取ってしまった。レーベルからすると1965年頃のプレスではないかと思われるけれど、すさまじいボーカルとハーモニカ、そしてギブソンのアコギの音圧だった。
リアルタイムのファンがジャズ・レコードをアメリカ音楽、ってな括りで聴いていたことは理解していたけれど、まさかディランまでとは。でも、現在はディランの方からジャズに行ってしまったのを考えると、違和感がないといえば、ない。そうそう、ジャズ専門店のお客としては邪道かもしれないけれど、リズム&ブルースやフォーク、ソフト・ロックのレコードをその中から見つけ出すのも結構好きだ。レイ・チャールズなんかはジャズのフィールドでレコードを出していたからもちろん結構あるし、ハリー・ベラフォンテやオスカー・ブランド、ブラザーズ・フォーやニュー・クリスティ・ミンストレルズのランディ・スパークスとか。フリー・デザインが有名になりすぎてしまったけれど、Project3のイノック・ライトものは沢山出てくる。A&Mだとクローディーヌ・ロンジェとかサンドパイパーズだとか。東のジョニ・ミッチェルとか言われていたらしい女性SSWマーシャ・マラメットのデッカ盤もジャズの店に限ってよく見かけたり。さらには90年代にオデッタの再来、などと言われた黒人女性SSWトレイシー・チャップマンもあったりするから面白い。実際トレイシーはジャズ専門誌にもリアルタイムでレビューが掲載されていた。ジャズ・ボーカル・ファンの食指は実に幅広い。
さて、そんなこんなで1962年、ディランのファースト『Bob Dylan』。デイヴ・ヴァン・ロンク版のアレンジをパクって本人を怒らせた”House Of The Rising Sun”(さらにこのアレンジをアニマルズがエレクトリック化させた)だとか、ジェシ・フラーの改題”You’re No Good”に、エリック・フォン・シュミットの”Baby, Let Me Follow You Down”、ウディに捧ぐ”Song To Woody”だとか”Talkin’ New York”…学生時代に初めて聴いたときは、オリジナル信仰がありすぎて、カバーばっかり、みたいな愚かな聴き方をしていたけれど、今はなんだか相当新鮮に響く。この時代のフォークのレコードはB級C級含めてかなりの数を聴いてきたつもりだけれど、物真似にしても迫力のある黒人ブルーズ解釈とギター・ピッキングの確かさはディランが群を抜いている。概して白人フォーク・シンガーはブルーズの色が薄く、リズムも単調な場合が多いから。彼がロックのその後の歴史を作っていけたことを良く理解できる。
ディランの息づかいまでが伝わるファーストを聴いていたら、ランブリン・ジャック・エリオット1964年のヴァンガード盤が聴きたくなってきた。エリオットのギター&ハーモニカを基本に、ビル・リーやエリック・ワイズバーグのベース、エリック・ダーリングのバンジョー、ジョン・ハモンドのハーモニカが加わっている。イアン&シルヴィアやジョン・ヘラルドの参加も。そうそう、ディラン自身も”Tedham Porterhouse”という変名でハーモニカを吹いている。一瞬ディランよりは大人しく感じるけれど、ギター・ピッキングの確かさとひょうひょうとした語り口は流石エリオットだ。いやでも、カーター・ファミリー”Will The Circle Be Unbroken”で張り上げるハイトーンを聴いていると、ディランに負けていないか。そう、この”Diamond Joe”をニューポート・フォーク・フェスティバルのCDで初めて聴いたのがエリオットとの出会いだった。ディランが憧れたのも良くわかる。語り口もそっくりだ。その他にも定番”Guabi Guabi”、高田渡もメロディを借りているウディ・ガスリーの”1913 Massacre”、盟友デロール・アダムスの”Portland Town”に加えて、ディランのファーストにあった”House Of The Rising Sun”も取り上げている。比べるとデイヴ・ヴァン・ロンクのアレンジにいかにオリジナリティがあったかが良くわかる。
さて、そうなってくるとウディ・ガスリーだ。さきのエリオット盤と同じ1964年にフォークウェイズからリリースされた『Dust Bowl Ballads Sung By Woody Guthrie』を聴いてみる。1940年にレコーディングされた音源に、1964年の新録2曲を含むものであるようだ。冒頭”Talking Dust Blues”が始まると、すでにディラン盤の”Talkin’ New York”とシンクロしてくる。日本のフォークで言えば、”I’m Blowing Down”がシバさんの”淋しい気持ちで”となり、”Do Re Mi”が高田渡の”銭がなけりゃ”になり…という様々な影響を与えていく音盤なのだった。
そんな気分で、ディランのファーストに繋がる盤を探していたら、ディランデビュー30周年の1992年に出た『Good As I Been To You』。実はこの辺りが私がリアルタイムで出会ったディランだった。後になってEUでリリースされたというアナログも手に入れた。当時この盤、色んなメディアで、ギターとハーモニカな弾き語りディランは嬉しいけれど、なぜカバー?どう受け止めて良いのかわからない…といった困惑が見て取れたけれど、これもオリジナル信仰に基づく理解だった。今聴くとなぜかしっくりくる。一発録りで臨んだらしいけれど、ギターが凄まじく上手で驚いてしまう。ギター一本でコレを表現するのは簡単そうで難しい(その昔、柄にもなくコピーしようとしたけれど、弾き方がわからない場所が結構あった)。”Step It Up And Go”のドライヴ感だとか。ここでもブルーズのフィーリングにただただ唸るのみ。プチプチいうこの時代のエレアコの音もなんだかやみつきになる(キャリアの中でディランを相当意識しているスティーヴン・スティルスも同じようなエレアコの音で1994年に『Stills Alone』を出した)。そう、『Good As I Been To You』にはジャック・エリオットの”Diamond Joe”が収録されているんだった。
最後に、あ!と思って取り出したのはジェシ・フラー。”San Francisco Bay Blues”のオリジネイターとして知られているワン・マン・バンドの黒人歌手。ディランのファーストの1曲目にジェシのクレジットがあったけれど。全くこちらも同一線上にある音だ。ここいらでディランを聴いてるのか、エリオットだったか、ガスリーだったか、フラーだったか…わからなくなってくる。ディランのギター・プレイにはこのジェシ・フラーのプレイに負うものがある。この盤は1963年にGood Time Jazzから出た『San Francisco Bay Blues』。フラーはイスに座って、12弦ギター、ハーモニカ、カズー、シンバル、自作のフォトデラ(右足でペダルを踏んで6弦にハンマーを当てるベース)を同時に演奏するという旅芸人だった。
同じくGood Time Jazzから1961年に出た『Sings And Plays Jazz,Folk Songs,Spirituals & Blues』も素晴らしい出来だ。手元にあるのはオリジナルではなく、1990年のリイシューLPだ。エリック・クラプトンが『Unplugged』で取り上げた”Hey Hey”も入っている。
ところで私が尊敬しているBroom Duster KANこと元ぎんぎんの神林治満さん。10数年前に初めて吉祥寺・井の頭公園で路上ライブを見たとき、その風貌にジェシ・フラーと全く似たものを感じたのだった。路上から、ブルーズを地でいくその生き様が、すでに人生のレールを脱線していた20代前半の私の心を打ったのだった。以来、KANさんのホームページ(http://broomdusterkan.cocolog-nifty.com/)を運営したり、親しくさせていただいているのだけれど、その音楽への畏敬の念は初めて触れたあの時と全く変わらない。自分と比べるのはおこがましいけれど、ディランがエリオットやフラー、ガスリーに抱いた気持ちも同じようなものなのではなかっただろうか。今のディランの中にも、新鮮な何かとして、変わらず残っているのではなかろうか。
ホームページから購入して下さったブルース・ライターの妹尾みえさんがブルース&ソウル・レコーズ誌で紹介してくださったBroom Duster KANの新作『Dirty Junks live at Gin House』。