パリで同時多発テロ…まず始めに言っておくと、こんなことが決してまかり通ってはならない。しかし、まことに起こるべくして起こってしまった悲劇でもある。公的な場所におけるイスラーム教徒のブルカ(スカーフ)着用禁止法が2010年にあり(ユダヤ系のサルコジ時代でした)、いくら表現の自由と言ってもムハンマドを侮辱した風刺画を掲載し続けたシャルリー・エブドの襲撃事件が今年2015年1月にあり、9月にはシリアにおけるIS(イスラミック・ステイト)空爆があり…自由と平等の国というパブリック・イメージからすると、寛容からほど遠い少々理解に苦しむ昨今のフランス情勢があった。さらに、今回テロで標的になったロック・コンサートがイーグルス・オブ・デスメタル…これ、YouTubeで聴いてみたらデスメタルではなく、スタイリッシュなロックンロール・バンドなんですね。しかしながら、どう転んでもアメリカを想起させるバンドであるがゆえ、アメリカが標的になった可能性は濃厚だ。そのアメリカも9.11の同時多発テロ以降、無神経な善悪二分法的図式で正義を振りかざし、アフガン空爆、イラク戦争を実施。イスラーム過激派の憎悪を増幅させてきたのだった。この西洋的(西洋/東洋も二分法だけれど…)な二分法から自由にならない限り、イスラーム過激派と、ほぼ大多数の平和を希求する我々とは何ら変わらないイスラム教徒を一括りにする偏見もなくならない(エドワード・サイードの『イスラム報道』を読み返すとよくわかる)。そしてもっと言うと、昨今の日本政府のスタンスやネトウヨ/ブサヨの、何とかの一つの覚え的応酬も全くもって米仏と相似形だ。自由・平等という西欧近代的価値の行き着いた先が現代だということ、この善悪二分法の分かりやすさに寄りかかり、民主的な討論を無駄だと切り捨てるコスト削減・リスクマネジメントの発想がどうも経済合理主義と関係があるのではないかという予感もある。こんな世界の処方箋作りに、何とかコンサルタントとやらはもはや不必要ですね…長さんが生きていたら何て言うかな。やっぱり「だめだこりゃ」かな…
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70年代の一発屋は強力だ。ラジオ向けのコンパクトなヒット曲。神懸かり的な1曲を残したミュージシャン、バンドが沢山いた。1998年に『Have A Nice Decade The ‘70s Pop Culture Box』というボックス・セットがライノから出たけれど、これがまた素晴らしい内容で。ちなみに発売された90年代前半には60年代回帰のムードが存在していて、ソニー中心に洋楽の再発シリーズが元気で、ディランやらジャニスやらといったアーティストをアルバム単位で聴く機会が多くあった気がする。それに対して、単発シングル中心で消えてしまったアーティストのヒット曲は、意外に聴くのが難しかった。YouTubeも、もちろん無かったし。お得感があまりないジャンル別ビルボード・トップ10のコンピ(10曲入)とか、1曲欲しさに地道に買っていたのも懐かしい。そんな状況だったから、このライノのコンピには大変お世話になった。エジソン・ライトハウスから始まる7枚組。しかも音質がちょっと篭もったAMラジオ風で、安っちいラジカセで聴くと何とも言えない味わいがあった。ボブ・ディランもお気に入りだったらしいルッキング・グラスの”Brandy (You’re Fine Girl)”とか、なんて良い曲なんだ!と思って。後にオリジナルLPとか、エリオット・ルーリーのソロLPとかも手に入れてみたけれど、この1曲に勝てる曲はなかったなぁ。キング・ハーヴェストの”Dancing In The Moonlight”も日本人好みの実に良い曲で!サザンの”希望の轍”のイントロがまさにソレ風だけれど。ちなみにこの曲は、ウェルズ・ケリーやラリー・ホッペン(後にオーリ(ア)ンズを結成する)がいたオリジナルのボッファロンゴのヴァージョンよりも編曲が優れていた。
そうそう、現在アルバム単位で語り継がれているアーティストも、実はリアルタイムではシングル・ヒットの人として認識されていた、なんていう発見もあった。そこまで音楽に詳しくない人なんかに、70年代当時の話を聴くと、殆どシングル・ヒット曲しか記憶になかったりしますもんね。再発が盛んな90年代になると、ペットサウンズ幻想もそうだけれど、アルバム単位でミュージシャンに纏わるイメージが修正されていく(ある種の歴史修正主義です…)。あとこのコンピには踊れる曲が多かったりと、日本とアメリカの音楽嗜好の相異も見て取れる。
前置きが長くなったけれど、このコンピに入っているギャラリー(Gallery)の”Nice To Be With You”がなんだか忘れられない。ビルボード最高4位、トップ100には22週ランクインした。バンドでは2枚のアルバムを、主要メンバー、ジム・ゴールドはソロを2作残している。ギャラリー(Gallery)は元々ジム・ゴールドとビル・ノーヴァがフォーク・デュオを組んでおり、オリジナリティのあるカバーなんかを交えてデトロイトのクラブ、ポイズン・アップル(毒リンゴですね…)でプレイしていたのが始まり。それを見たマイク・セオドアとデニス・コフィに目を付けられて、無理矢理?バンドの形でデビューと相成った、と。A Theo-Coffプロダクション制作モノ、レーベルはサセックスだ。大看板のビル・ウィザース、さらに映画『シュガーマン〜奇跡に愛された男』で有名になった幻のSSWロドリゲスなんていう印象も新たに持つようになったレーベル。デニス・コフィはソウル畑のギタリストとして有名でソロ・アルバムも多数残している。
マイクとデニスは権利を持っていたデトロイトのソングライター、トム・ラザロスの”Big City Miss Ruth Ann”を演奏してくれるグループを探していたようで、「お前たちこの曲演奏できるか?」なんてそのデモを聴かせた際、ジムに「曲を書けるか?」と聴いたらしい。「遊びで書いたことはある」なんて答えたジムの3曲のデモの中に”Nice To Be With You”があった。この1曲でマイクとデニスは契約を即決。ジムの人生を一変させてしまった1曲だ。
ギャラリーのファースト『Nice To Be With You』のリリースは1972年。アコースティックなポップ・ロックでありながら、そこにソウルっぽさを振りかけるのがマイク・セオドア&デニス・コフィのアレンジ・プロダクションかな。当時サセックスはアメリカではブッダ配給、日本ではA&M配給だった(手持ちの日本盤を見ていて気付いた)。さらにジム・ゴールドの巧みなソングライティングを有しているにも関わらず、マック・デイヴィスの名曲”I Believe In Music”を取り上げてこれを”Nice To Be With You”に次いでシングル・カットしちゃうというあざとさもあった。ニール・ダイアモンドの”Sunday & Me”も収録されている。ちなみにファースト・シングルはジム・ゴールドの作った”You’re Always On My Mind”。ウェイン・カーソン作のカントリー・クラシックとは同名異曲。でもこの曲、ポップな階段コードのソウル・バラードでありつつ、スティール・ギターが入ってくる辺り、同年リリースの大滝詠一のファーストの感覚と同じようなものを感じたり。ドゥ・ワップをロックのリズム隊で鳴らしたような感じ。カーラ・トーマスの”Gee Whiz”やジェリー・バトラーの”He Will Break Your Heart”なんていうのもこのバンドらしいチョイスかな。ジムはリッキー・ネルソンやバディ・ホリー、エルヴィス、ジーン・ピットニーといったビートルズ以前のロックン・ロールの影響をど真ん中で受けた世代だったみたい。
ちなみにファーストでは6人組だったのだが、”Nice To Be With You”のヒットを受けてなだれ込みリリースされた同1972年のセカンド・アルバム(こちらもサセックスより)では5人組に。しかも相棒ビル・ノーヴァとギタリストのブレント・アンダーソンが脱退し、新たにギタリストのフレッド・ディセントが加入している。予想外の特大ヒットの陰でジムと相棒ビルとの間に亀裂があったのかも。そしてバンド名は『Gallery Featuring Jim Gold』に。デュオ以外のメンバーはGS並の即席だったみたいだし。ジムのルーツを感じさせるバディ・ホリーの”Maybe Baby”やサム・クックの”Wonderful World”のカバーも収録されている。その後、1973年にファースト収録の”Big City Miss Ruth Ann”がシングルカットされて23位まで上昇したのを最後にバンドは解散。バンド・エラではB.J.トーマス、ビリー・プレストン、ホセ・フェリシアーノ、チャーリー・ダニエルズといった面々と相当過酷なパッケージ・ツアーも経験したみたい。
その後、カリフォルニアのTabu Recordsよ1977年にソロ1st『I Can’t Face Another Day Without You』をリリース。こちらも引き続きマイク・セオドア&デニス・コフィのアレンジ&プロデュース。内4曲はカリフォルニア録音で、ハーヴィ・メイソン、チャック・レイニー、ベン・ベネイなんていう面々が参加して、かなりシティ・ソウル化された好盤。それでも面白いのは、両面の1曲目がバリー・マン&シンシア・ワイルの楽曲になっていること。A面はジーン・ピットニーの”Looking Through The Eyes Of Love” 、B面は定番ドリフターズの”On Broadway”。自分の曲以上に目立たせてしまう所がこの人の控えめな所というか、オールディーズ愛というか…、あるいはジムの楽曲だけでは弱いと判断したのかな。
そしてCBS配給、Tabuからの2nd『Hometown Hero』が1978年にリリースされ、これがジムの最後のアルバムとなってしまった。マイク・セオドア&デニス・コフィが最後まで制作に関わったけれど、売れなかった。1978年にはスリー・ドッグ・ナイトのコリー・ウェルズ(先月惜しくも亡くなった…)がソロアルバム『Touch Me』で、ジムの1stの”Midnight Lady (Hiding In The Shadows)”をカバーしている。その後、1986年にローカル盤ながら、Jet-Eye Recordsより再録シングル”Nice To Be With You/Here’s A Song For The Dreamers’s”(ジョン・パワーズ、デイヴィッド・ジョンソン、カル・フリーマンの共同プロデュース)をリリースしている。あとはホームページ(http://www.jimgold.org/)で無料ダウンロードできる新曲”Somebody Cares”も爽やかなミディアム調のポップ・ロックでなかなか良かった。80年代のグレン・フライやジャクソン・ブラウンが演りそうな匂いもあって。あとは明らかアナログで録音されたと思しき弾き語りのデモ” The Better Half Of Me, Is You”とギャラリーの未発表曲” Captain Sam”もダウンロードできる。
さらにホームページを見ると、オールディーズ・サーキットで求めに応じてライブを演っているようで、ロン・ダンテやスパイラル・ステアケースのパット・アプトンらと共演したライブでの映像もアップされている。また、2013年にはクライマックスのソニー・ジェラーチ主催で行われた、ゲイリー・ルイス、リップ・コーズ、テリー・シルヴェスター(ホリーズ)、フランク・スタローン、ジョーイ・モランド(バッドフィンガー)、デニス・トゥファノ(バッキンガムス)…なんていうポップ・アイドル大集合のベネフィット・コンサートにも参加した模様だ。ちなみにソニー・ジェラーチも全く日本では語られない一発屋。アウトサイダーズを経て結成したバンド、クライマックスでは”Precious And Few”がビルボード3位の特大ヒットになっている。アルバム『Climax Featuring Sonny Geraci』(1972)は1970年代前半のレッキング・クルーものの傑作で、ラブ・ジェネレーション/ロン・ヒックリン・シンガーズのバーラー兄弟も参加。ライチャス・ブラザーズ1974年の起死回生作”Rock And Roll Heaven”は元々アラン・オデイとクライマックスのキーボーディスト、ジョン・スティーヴンスソンがソニーのために書いた曲なのだった(クライマックスでもレコーディングしている)。同レーベルはアル・ウィルソンの”Show And Tell”で当てているけれど、その曲を書いたのはやはりレッキング・クルー人脈のジェリー・フラー。”Touch And Go”という二番煎じもあったけれど、”Precious And Few”と語感が全部似ている…なーんて書き始めると脱線してキリがないけれど、”Precious And Few” も冒頭のライノのボックス『Have A Nice Decade The ‘70s Pop Culture Box』に入っていて、コレ、ホントかゆいところに手が届く!