クレジットに目を光らせて60〜70年代のレコードを聴くのは面白い。生身の人間がモノを言った時代。レコードを集めていくとわかったけれど、プロデューサー・ミュージシャン・エンジニア・スタジオ…と、そう多くはない一群に分類できる。マッスル・ショールズ、ベアズヴィル、フェイム、シグマ…だとか…レッキング・クルー、エリアコード615、フィル・スペクター、ルー・アドラー、ゲイリー・アッシャー、トミー・リピューマ、グリン・ジョンズ、マイク・カーブ、ウェス・ファレル…みたいな感じで。挙げればキリがないのですが。
個人的な好みで行き着くところまで行こうとすると、キース・オルセンがエンジニアをやっているレコードばかり集める、とか、そういう話になる。友人に教えてもらって注目したカリフォルニアのLoveの後期メンバーでモーニング(Morning)のメンバーとしても2枚アルバムを出しているジェイ・ルイス(当時日本盤も出ていたモーニングのセカンドのリイシュー!の記事を最近見てびっくりした。)も集めていくと面白い。書く曲も良いし、エンジニア、プロデューサーとして関わった作品はAORならリサ・ダル・ベロ、キーン・ブラザーズ、ダニー・ペック、プレイヤー、他にもブライアン&ブレンダ・ラッセルやゲイリー・ライトからピーター・アイヴァースまで。表立っていないので地味な存在ながら、キレイなコーラス主体の広義のソフト・ロックというカリフォルニアン・ポップスの遺伝子を受け継ぐ音作りを担っていたことがわかる。
そんな中で、ジェイ・センター(Jay Senter)というプロデューサーがいる。ビル・ラバウンティ『This Night Won’t Last Forever』やヘレン・レディのフェニミズム賛歌”I Am Woman”(オーストラリアのバンド、エグゼクティブ(The Executives)出身の(レイ・)バートン&(ジノ・)クニコのレイ・バートンがヘレンと共作した曲。レイはヘレンと後年モメたみたいですね。)のプロデュースで当てた人。正直このジェイ・センターのバイオなど詳しい情報はほとんど見たことがない。ぜひ詳しい方がいたら教えていただきたいもの。この人の音は個人的には好みというか、ハズレがないので以前より注目して作品を聴いている。ロックのフィールドにありつつ、アメリカン・ポップスの王道を感じさせる音作りが魅力なのだ。そして時折ソウル感覚もうまく作品に溶け込ませていて。独立プロデューサーだったようで、割と人脈的に近く、好きな傾向のバンドやミュージシャンを手がけていたのではないかと想像できる。
初めてプロデューサーとしてクレジットされたのは1969年のパズル(Puzzle)『Puzzle』(ABC)ではないだろうか。ジミヘンやツェッペリン、トラフィックのエンジニアとして乗りに乗っていた頃のエディ・クレイマーとの共同プロデュースによるブルーズ・トリオ(トニー・グラッソ、カート・ジョニー、マイク・ザックにエディがピアノで加わる)。音はコーラスも入ったサイケ・ロック・サウンドでプロデュースにまだこの人らしさはない。ちなみにスティーヴィー・ワンダー・フォロワーのジョン・リヴィグニ(ジョン・ヴァレンティ)がドラマーを務めたPuzzleとは同名異バンド。
続いて1970年にはセプター傘下のTiffany Recordsからニューヨークのバンド、ブレスレン(Brethren)の唯一作『Brethren』をメンバーと共同プロデュース(Nix Nox Production)している。これはアメリカン・ロックの隠れた超好盤。メンバーにはセッション・ミュージシャンとして名を馳せるリック・マロッタの他、ステュ・ウッズ、トム・コスグローヴ、マイク・ガーソンがいた。後のドゥービーズのサウンドを先取りしたような音にビックリする。東海岸のバンドながら、カリフォルニアのゴールド・スター・スタジオの録音でドクター・ジョン、ブロッサムズ、ラスティ・ヤングが参加している。
1971年にはニック・ヴェネットらの設立したMediarts仕事。Mediartsはデニス・ホッパーの『The American Dreamer』のサントラを出していたけれど、そのサントラの2曲で存在感を見せつけたジョン・マニング(John Manning)1971年のソロ『White Bear』(CBS)にも参加。6曲がジェイ、3曲がニック・ヴェネットのプロデュース(Nix Nox Production)。
さらにMediartsではパント(マイマー)風コスプレ・バンド、ハロー・ピープル(Hello People)のフィリップスを離れた3作目『Have You Seen The Light』。こちらもブレズレン同様A Nix Nox Productionの制作となっており、ジェイ初(?)と思われる単独プロデュース作で、2曲では共作もしている。後期ビートルズとティム・ムーアのふんわりしたポップ感覚を混ぜたようなA-1”Pass Me By”が素晴らしい出来。この曲は前述の『The American Dreamer』には弾き語りテイストのアクースティック・ヴァージョンで収録されている。メンバーと共作しているエディ・モトウは自身のバンド、ボー・グランプスのレコーディングでHello Peopleのロニー・ブレイクをドラマーに迎えているから、その頃からの縁だろう。
ちなみにブレスレンのステュとコスグローヴはトッド・ラングレンと一緒に演っていたムーギー・クリングマンのファーストにも参加している。Hello Peopleも後にトッド・ラングレンのバックを務め、アルバム・プロデュースを手がけてもらってもいる。ジェイ・センターを通じ、2つのバンドとトッドが結ばれるのも面白い。Mediartsではもう1枚、リチャード・ランディスが組んだスペンサー・デイヴィス&ピーター・ジェイムソン(Spencer Davis & Peter Jameson)の『It’s Been So Long』。フォーキーな音をバーニー・ケッセル、ラリー・ネクテル、リチャード・ランディスがバックアップする。ソロ・アルバムもあるアラン・デイヴィスとメンバーとの共作がCSN風。あとこの年、マイク・ピネラがプロデュースしたブラック・オーク・アーカンソー(Black Oak Arkansas)のファースト『Black Oak Arkansas』(Atco)にはドク・シーゲルと共にリミックスでクレジットされている。ジム・ダンディのマッチョなサザン・ロック・サウンドだけど、バンドの中でも好印象の一枚。この後、NYからLAに本拠地を移したと思われる。
1972年は紅一点のカレン・ブライアン(この人、バック・ポーチ・マジョリティ(The Back Porch Majority )のメンバーで、A&Mからロジャニコ&ポール・ウィリアムス作のシングル” Mornin' I'll Be Movin' On”を出している人だと思う。)を擁するスワンプ・ポップ・バンド、スパイダー(Spider)の『Labyrinths』をプロデュース。レッキング・クルーが大挙参加した、似非マッド・ドッグス&イングリッシュメンといいますか。”Superstar”みたいな曲もあって、プロの仕事。元々レッキング・クルーの一員だったレオン・ラッセルにあやかろうとしたのかも。そしてそして、この年ヘレン・レディ(Helen Reddy)のファーストに収録されていた”I Am Woman”のシングル用再レコーディングを仕切り、全米No.1という大きな成功をおさめる。バックはマイク・ディージー、ジム・ゴードン、ジム・ホーン、マイク・メルヴォーンといったレッキング・クルーのメンバー。ちなみに同年プロデュースしたバンド、ファット・チャンス(Fat Chance)の『Fat Chance』(RCA)はビル・ラバウンティ、スティーヴ・イートンという二人の優れたシンガー・ソングライターと浅からぬ縁を生む重要な作品となった。この作品のレコーディングにもマイク・ディージー、ラリー・ネクテル、マックス・ベネット、レッド・ローズ…といったレッキング・クルーが手を貸している。ただし楽曲としては習作、かな。
1973年はSSW好きが喜ぶシャーマン・ヘイズ(Sherman Hayes)の『Vagabonds Roost』(Capitol)。ロン・エリオット率いるPANのメンバーだった人で、ここでもレッキング・クルーを従えたポップで流麗なカントリー・ロックが展開される。そしてローリー・ケイ・コーエン(Laurie Kaye Cohen)の『Under the Skunk』(Playboy)も同じようなプロダクションのレッキング・クルー産スワンプ。雑誌社の道楽レーベルPlayboyからのリリース。そしてレッキング・クルーのマイク・ディージー(Mike Deasy)のソロ『Letters To My Head』。
さらにはサミー・ジョンズ(Sammy Johns)の”Chevy Van”を含むアルバム『Sammy Johns』(GRC)をリリース。シボレー・ヴァンのバックシートでの一夜の情事を歌ったロマンティックな”Chevy Van”は性の解放が進んだ1975年になってシングル・リリースし、ビルボード5位に登る大ヒットとなった。アルバムに入っていたスティーヴ・イートンの”Rag Doll”も続くシングルに切られ、1975年に52位の小ヒットになっている。アルバムはジェイ・センターとラリー・ネクテルの共同プロデュースで、理想的なレッキング・クルーの音。
1974年はファット・チャンスのスティーヴ・イートン(Steve Eaton)が『Hey Mr. Daydreamer』(Capitol)でまずデビュー。バンドに引き続きジェイがプロデュースを手がけた。これがまたソングライターのショウケースのような素晴らしい作品。いつかこんなSSWアルバムを作りたいな、いつも妄想している。思い返せばアート・ガーファンクルの”Rag Doll”を聴いて、この作品を初めて聴いたのだった。バックはサミー・ジョンズ盤同様、レッキング・クルーのロック感覚溢れるスリリングなカントリー・ロック・サウンド。コレが個人的には理想的なアメリカの音なのかも。文句なしの名タイトル曲やカーペンターズも録音した”All You Get From Love Is A Love Song”、前述の”Rag Dall”にビル・ラバウンティの”Something About Her”を収録。ジェイ・センターとスティーヴが共作した”Beatin’ Me With Kindness”のソウルフルな歌い回しが同志ビル・ラバウンティとそっくり。
そして1975年には次いでビル・ラバウンティ(Bill LaBounty)が『Promised Love』(20th Century)でソロ・デビュー。アメコミ風のジャケットも良いけれど(ご丁寧にモデルはビル自身になっている)、ソウルフルなポップ・サウンドは後の成功を予感させる。4曲でビルとジェイは共作(ジェイは詩のアイデアを提供する、といった関係だったみたい)。ライノ・フランスから2011年にリリースされた4枚組のボックス『Time Starts Now』で初めてクレジットが明らかになったけれど、ラリー・ネクテルやマックス・ベネットといったレッキング・クルー系列に加えてレイ・パーカーJr.にリー・リトナー、エド・グリーン、カルロス・ヴェガらが参加。少なく見積もってもブルーアイド・ソウル〜AORでは3,4年は早かった音。とは言え同時代のソウルは既に相当洗練されていたわけだけれど。そのうち、”Lie To Me”と”I Hope You’ll Be Very Unhappy Without Me”、そして”Open Your Eyes”は再デビュー作『This Night Won’t Last Forever』(Curb)で再演されている。再演した内、前2曲”Lie To Me”と”I Hope You’ll Be Very Unhappy Without Me”のベースは元ブレスレンのステュ・ウッズ。あえて昔の仲間をセッションに呼んだのではないかな?
(つづく)