/ 最後のジルバ/夕焼け事件(ELEC TBE-102 / 1976 )
最近読んだ、平野肇『僕の音楽物語(1972-2011)』は面白かった!いちセッション・ミュージシャンの日記がそのままジャパニーズ・ポップスの歴史になっている。個人的には、リアルタイムでは夢中になって聴いていた岡林信康のエンヤトット盤『ベア・ナックル・ミュージック』のバック・ミュージシャンとして平野兄弟にお目にかかったのが最初だったと記憶している。そのうち、吉田拓郎『今はまだ人生を語らず』だとか、そのクレジットにお目にかかるようになり。しかし読み進めていくと、荒井由美時代のユーミンのツアーバンド“ダディ・オー”のメンバーだったというのだから驚きだ。松任谷正隆が、ユーミンがツアー中にオトコに狙われないために、同級生で旧知の平野氏をバンドの一員にした、なんて話も面白かったし。その音源は“ルージュの伝言”に残されているけれど、アルバムの音はティンパンと差し替えられてしまった、なんて苦いお話も。あと、全盛期の吉田拓郎からバンドメンバーに誘われたけれど断ったなんて話もあって。歴史は戻せないけれど。
さてこの本、ニューミュージック期の埋もれたセッションについて詳しく書かれているのも魅力で、忌野清志郎が仮歌を務めた加奈崎芳太郎『愛がもしすべてなら…』のエピソードだとか、とても貴重なものだった。中でもすごく気になったのが、元・龍とかおるの龍こと佐藤龍一さんのオクラ入り音源の話。エレックの倒産のゴタゴタで幻になってしまった2枚目のソロアルバムなのだが、アレンジは平野氏も、龍さんも大切な人だと語っていた四人囃子の茂木由多加が全編を担当していたという。“リリースされていたら、おそらく龍にとっても茂木にとっても代表作になっていたはずだ”という悔しさをにじませる平野氏の一文が胸に響く。
そのアルバム、『SCANDAL』と言うそうだが、その音源を想像させてくれるのがシングルのみリリースされた『最後のジルバ/夕焼け事件』。最後のジルバは後半に高速チャールストンになったり、確かに凝ったアレンジ。シンセも日本のニューミュージックではかなり初期のものと思われる。”夕焼け事件”は歌謡タッチの佳曲ながら、リズムボックス入りのアレンジがやはり面白い!
9月に出したアルバム『蒼い蜜柑』で龍さんに2曲のアレンジをお願いした時に聴いた話では、ベースは佐久間正英とのこと。のちにGLAYやJUDY AND MARYのプロデューサーとして名を馳せる彼も、ご存知四人囃子のメンバーだった。オクラ入りアルバム音源、なんとか掘り出せないものか…