*[ジャズ] 山本剛トリオ with 森山浩二 / 飛騨高山ジャズセッション(MASTER MUSIC / 2018 )
明けましておめでとうございます。
昨年は日本のブルーノート、と謳われるレーベル、スリー・ブラインド・マイス(TBM)の手ごろな再発がまたドカドカ出まして。そこで山本剛のピアノをとりあえず全部聴こう、となりまして。『ミッドナイト・シュガー』と『ミスティ』、ヤマ&ジローズ・ウェイヴ名義の『ガール・トーク』なんかは本当に凄かった。時代的にもロック的感性が注入された和ジャズの最高峰だと再認識した次第。芸術性と商業性っていう永遠のテーマがあるけれど、ジャズが日本でマトモに売れた試しは無いのでは。話題になったのもフュージョンとか女性ボーカル。よって多くの日本のジャズメンはフォーク・ロック/歌謡曲のセッションメンとして糊口を凌いだ。私とて、山本剛トリオとは古井戸1975年の大名盤『酔醒』にて邂逅。山本剛は元々ミッキー・カーティスのバンド、サムライズの60年代末のヨーロッパ公演でメンバーだった人。この人のピアノの一音一音がツボにハマってしまって。そこから彼と組んでいた森山浩二というシンガーに出会い、そのスインギーなスキャットに日本一の怪物を見た次第。今後もこの人を超える男性シンガーは出て来ないんじゃないだろうか。
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森山は”ワシントン広場の夜はふけて”とジョニー・シンバルのカバー”僕のマシュマロちゃん”で1964年にシングルレコードを出した後、やりたかったジャズの世界に進み、箱バンに出演。六本木のクラブ、ミスティで山本剛トリオと共演していた折にレコーディングの機会に恵まれたそうだ。穐吉敏子の名著『ジャズと生きる』を読んだ時も思ったけれど、プレイヤーにしても聴衆にしても、いかにジャズが夜のオッサンの音楽であるか、ということは、見目麗しい女性ボーカルと比べ、特に日本では男性ボーカルが売れないことからしてよくわかる。それにそもそもジャズって音楽は大好きだけれど、ジャズ・シーン全般になぜか近寄りがたいところがあるように思えるのは、オッサンが牛耳っていて閉じた世界になっていることに起因するのかも。
そんなわけでフランク・シナトラやペリー・コモのいない日本において不遇な男性ジャズ・ボーカリストとなってしまった森山浩二のレコーディングはとても少ない。山本剛との2枚(1976年の『ナイト・アンド・デイ』と1977年の『スマイル』)、そして1979年の『ライヴ・アット・ミスティ』(弟である弘勢憲二のエレピや、高柳昌行のギターも聴ける)が本人のリーダー作。それ以外だと俳優でジャズ信者だった藤岡琢也がプロデュースした『レッツ・スウィング・ナウ』の4作目(若かりし渡辺香津美も参加)にパーカッショニストとして名を連ねているほか、同じくパーカッショニストとして参加した藤井貞泰トリオ1977年の『Like A Child』で1曲” One Note Samba”を唄っているくらい…他にもあったら教えて欲しいもの。今ならなぜこれほどまでの才能が…と思うけれど、それでもレコーディングの機会が巡って来ないのが正直日本の実情だった。
そんな折に先日見つけたのが、1975年当時の未発表ライブ音源で、山本剛トリオ with 森山浩二 名義の『飛騨高山ジャズセッション』。山本剛のピアノ、小原哲次郎のドラムス、大由彰のベース…ダイナミックかつ繊細な各人のソロの力量もさることながら、民生機で録られたとは思えぬ音の良さにビックリ。CDの単価が高いのは閉口したけれども、ここまでくると致し方ない。佐賀の国指定重要文化財の酒造・吉島家住宅での録音。TBMのプロデューサーだった方が記したライナーには1944年生まれの森山の父が声楽家だったこと、中学時代から米軍キャンプでタップダンサーとして踊り、日劇にも出てナベプロでシングルを出したこと(前述の”ワシントン広場”&”僕のマシュマロちゃん”のことだろう)、ナベプロ退所後はジャズ・シンガーの口が無くて苦労したこと、レコーディングの機会に恵まれた70年代を経て80年代にハワイ出身の女性と結婚し、オアフ島へ移住、90年代には仕事で歌を歌うこともなく、2000年には病に伏して亡くなっていたこともわかった。
ちなみに『飛騨高山ジャズセッション』、2枚のアルバム未収の”’S Wonderful”が入っているのも聴きものだし、最後には20分近くに及ぶ”Downtown”が入っていて、大いに盛り上がる。ライナーには山下達郎の…と詳細なシュガーベイブのメンバー説明などもあって大いに期待してしまったけれど、何のことはない、トニー・ハッチ/ペトゥラ・クラークの”Downtown”でした。世代的にジャズ畑の人にとっては、ポピュラー・ヒットなんてシュガーベイブもトニー・ハッチも区別のつかないどうでもよいものだったのかもしれない。とはいえ、伊藤銀次さんが「ダウンタウンヘくりだそう」っていう歌詞のモチーフとして念頭にあったのはトニー・ハッチ/ペトゥラ・クラークだったらしいから、まあ良しとしますか。
今年は少しでも良い年となるよう、心より祈念しております。本年も本ブログをよろしくお願いいたします。