平尾昌晃=平尾昌晃を歌う (キングレコードSKD 102 / 1971)
1971年という発売年からすると、大御所作曲家が提供したヒット曲のシンガーソングライター風自演盤を期待するが、森岡賢一郎、小谷充、竜崎孝路の編曲の元、オールスターズ・レオンが演奏する完璧な歌謡曲のオケ。平尾の歌唱も、彼のデモテープはこんな感じだったのだろうか、と期待しながら聞くが、本家には適わないものの、歌手としてのキャリアで成功を収めているだけあって流石の情感。それにしても平尾を知った当初、ロカビリー歌手だったと聞いていたため、戦後日本の空気にべったりと馴染んだ日本的情緒とでも言うしかない歌謡をどうして作り上げることができたのか、不思議な気がしたものだ("星はなんでも知っている"とエルヴィスが違和感無く共存している当時の音を聴いて納得した)。とはいえロカビリー魂は五木ひろしが歌った”夜空”のような熱いノリを持った曲に受け継がれているようにも思う。
A-1 “私の城下町”はご存知小柳ルミ子の大ヒット曲。1番のサビではちょっと力んだ感もあるが、なかなかの平尾ヴァージョン。作詞の安井かずみは本盤にコメントを寄せている。A-3”ゆうぐれの里”も小柳ルミ子が歌っていた。A-3と、見事な歌いっぷりのA-2”港のホテル”の詞は、ここには収録されていない”瀬戸の花嫁”やGAROの”学生街の喫茶店”、ウィークエンド”の岬めぐり”、そして赤い鳥の”翼を下さい”なんかでも御馴染みの山上路夫。A-4”失恋”、A-6” 長崎から船に乗って”、B-1”よこはまたそがれ”は山口洋子とのコンビで作った曲。何と言っても五木ひろしの代表曲B-1がいい。冒頭、「よこはま たそがれ ホテルの小部屋」と体言止めの言葉の羅列で描かれる、空しさと寂しさをじぃっと必死に耐えている一人の女が、サビでとうとう耐え切れず「あの人は 行って行ってしまった」といっせいに心情を吐き出す辺りが何度聞いてもたまらない。B-3” 慕情〜天草の女〜”はサビのハイトーンからして森進一が歌っただけあると思わせられるが、平尾は振り絞らんばかりに頑張って歌っている。小林幸子の繊細なB-2”やがて20才になる女” と望郷ムードのワルツ、千昌夫のB-4”わが町は緑なりき”は阿久悠の詞だが、歌手のイメージを損ねずに作られた楽曲だ。それ以外で言うとA-5”いろは恋唄”はキャラクターズの録音がある、なかにし礼作詞の一曲。ムーディーなB-5”ふたりの札幌”に続くB-6”女の捨てぜりふ”でこの盤はおしまいだ。
さて、平尾”昌章”時代のロカビリーの音もこれまた必聴。P-Vineから再発された『マーチャン大いに歌う』はロカビリー好きにはタマラナイ25曲。1959年〜1961年までの演奏で、”Jenny,Jenny”や”かんごくロック”などかなり熱いし、本家エルヴィスに引けをとらない歌の上手さが実感できる。ヒットした”星はなんでも知っている”は自作ではないが、後の歌謡路線。M-1〜9がオールスターズワゴンをひかえたライブ録音で、当時のジャズ喫茶の熱狂をプンプン匂わせる。伝統芸”ロカビリー”の数少ない継承者であるビリー諸川が、ジャズ喫茶に纏わる入魂の聞き書き集『昭和浪漫ロカビリー』(平凡社、2005年)で高く評価していたが、”ロック・夕やけ小やけ”や”五木の子守唄ロック”なんかも和製楽曲をロック化した点で独創性がある。そうだ、この本のインタビューで平尾は本当の自分は歌手であり、歌う身になって曲を作っていると語っていた。やはり歌う平尾の原点を見るにはロカビリー時代をチェックしなければならない。
ところでSings his hitsものやオリジナルものも含め、歌謡作曲家の自演盤では佐々木勉、都倉俊一、浜口庫之助、杉本真人の作品がとりあえずレコード棚から見つかった。いいもの悪いもの様々だがこの類は他にも色々あるだろう。そういえば作詞家としての北山修もフォークルとは別に自演盤を出している。演歌では船村徹のとてつもなく味わい深い自演が有名だ。また、以前テレビで弦哲也が”天城越え”などの自作曲を弾き語りしていたが、コレ、死ぬほど上手かった。昨年出した自演演歌集『弦点回帰』は未聴だが、近い内聴いてみたい。