いしうらまさゆき の 愛すべき音楽よ。

音楽雑文家・SSWのブログ

いしうらまさゆき の愛すべき音楽よ。シンガー・ソングライター、音楽雑文家によるCD&レコードレビュー

f:id:markrock:20190212213710j:image
いしうらまさゆき へのお便り、ライブ・原稿のご依頼等はこちらへ↓
markfolky@yahoo.co.jp

2024年5月31日発売、V.A.『シティポップ・トライアングル・フロム・ レディース ー翼の向こう側にー』の選曲・監修・解説を担当しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20240420111943j:image
[NEW!!]2024年3月29日発売、モビー・グレープ『ワウ』、ジェントル・ソウル『ザ・ジェントル・ソウル』の解説を寄稿しました。

購入はココをクリック
f:id:markrock:20240420112225j:image
購入はココをクリック

f:id:markrock:20240420112255j:image
2024年2月23日発売、セイリブ・ピープル『タニエット』の解説を寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20240420112151j:image
2023年12月22日発売、ロニー・マック『ワム・オブ・ザット・メンフィス・マン!』、ゴリウォッグス『プレ・CCR ハヴ・ユー・エヴァー...?』、グリーンウッド・カウンティ・シンガーズ『ハヴ・ユー・ハード+ティア・ダウン・ザ・ウォールズ』の解説を寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20240420112019j:image
購入はココをクリック
f:id:markrock:20240420112121j:image
購入はココをクリック
f:id:markrock:20240420112046j:image
2023年12月22日(金)に大岡山のライブハウス、GOODSTOCK TOKYO グッドストック トーキョーで行われる、夜のアナログレコード鑑賞会 野口淳コレクションに、元CBSソニーでポール・サイモンの『ひとりごと』を担当されたディレクター磯田秀人さんとともにゲスト出演します。
ココをクリック
「アナログ鑑賞会〜サイモンとガーファンクル特集〜」 日時:12月22日(金) 19時開演、21時終了予定 入場料:予約2,000円 当日2000円(ドリンク代別) ゲスト:石浦昌之 磯田秀人 場所:大岡山 グッドストック東京 (東急目黒線大岡山駅から徒歩6分) 内容:①トム&ジェリー時代のレコード    ②S&G前のポールとアートのソロ·レコード    ③サイモンとガーファンクル時代のレコード(USプロモ盤を中心に)    ④S&G解散後、70年代のソロ·レコード ※それ以外にもレアな音源を用意しております。
2023年11月25日(土)に『ディスカヴァー・はっぴいえんど』の発売を記念して、芽瑠璃堂music connection at KAWAGOE vol.5 『日本語ロックが生まれた場所、シティポップ前夜の記憶』を語る。 と題したイベントをやります。
f:id:markrock:20231119123246j:image
2023年9月19日、9月26日にTHE ALFEE坂崎幸之助さんの『「坂崎さんの番組」という番組』「坂崎音楽堂」で、『ルーツ・オブ・サイモン&ガーファンクル』を2週にわたって特集して頂きました。
1週目 ココをクリック
2週目 ココをクリック
f:id:markrock:20230904182855j:image
坂崎さんから
「聞きなれたS&Gがカバーしていた曲の本家、オリジナルの音源特集でしたが、なかなか興味深い回でしたね。やはりビートルズ同様に彼らもカバー曲が多かったと思うと、人の曲を演奏したり歌ったりすることも大事なのだと再確認です。」
2023年10月27日発売、『ディスカヴァー・はっぴいえんど: 日本語ロックが生まれた場所、シティポップ前夜の記憶』の監修・解説、ノエル・ハリスン『ノエル・ハリスン + コラージュ』の解説を寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20230926181532j:image
購入はココをクリック
f:id:markrock:20231022131852j:image
2023年9月29日発売、『風に吹かれて:ルーツ・オブ・ジャパニーズ・フォーク』の監修・解説、ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー『ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー』の解説を寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20231022130416j:image

f:id:markrock:20231022130609j:image
購入はココをクリック
f:id:markrock:20231022130403j:image
2023年7月28日発売、リッチー・ヘヴンス『ミックスド・バッグ』(オールデイズレコード)の解説を寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20230918110205j:image
2023年8月26日(土)に『ルーツ・オブ・サイモン&ガーファンクル』の発売を記念して、西荻窪の素敵なお店「MJG」でイベントをやります。
f:id:markrock:20230813101635j:image
2023年6月30日発売、ルーツ・オブ・サイモン&ガーファンクルの監修・解説、ジャッキー・デシャノン『ブレイキン・イット・アップ・ザ・ビートルズ・ツアー!』(オールデイズレコード)の解説を寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20230918104848j:image
購入はココをクリック
f:id:markrock:20230918105526j:image
2023年3月31日発売、スコッティ・ムーア『ザ・ギター・ザット・チェンジド・ザ・ワールド』、オールデイズ音庫『あの音にこの職人1:スコッティ・ムーア編』、ザ・キャッツ『キャッツ・アズ・キャッツ・キャン』の3枚の解説を寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20230408155636j:image
f:id:markrock:20230403220702j:image
f:id:markrock:20230403220638j:image
2023年2月24日発売、ビッグ・ボッパー『シャンティリー・レース』、フィル・フィリップス『シー・オブ・ラブ:ベスト・オブ・アーリー・イヤーズ』、チャド・アンド・ジェレミー『遠くの海岸 + キャベツと王様』の3枚の解説を寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20230129183945j:image
2022年12月23日発売、バディ・ホリー・アンド・ザ・クリケッツ 『ザ・バディ・ホリー・ストーリー』(オールデイズレコード)の解説を寄稿しました。
購入はココをクリック
f:id:markrock:20230403220543j:image

ブルース・ホーンズビィ"The Way It is"から30年を経て

markrock2016-11-20


久しぶりに何気なくブルース・ホーンズビィ&ザ・レンジのレコードを聴いていてハッとした。1986年に全米No.1になった"The Way It is"。美しいピアノの音色を中心に据えた王道のアメリカン・ロック。エリオット・シャイナーがプロデュースに加わっていて(ヒューイ・ルイスが手がけた曲もある)、30年経っても全く古びていない良い音。CDと違うジャケだったことにもちょっと意外だなと思ったり。このLPは輸入盤。

日本で洋楽はほぼサウンドについて語られるばかりだから、この曲もピアノの美しさばかりが強調されて、歌詞に注目した人はついぞいなかった気がするけれど。バブルに至る日本のムードはシリアスな歌詞を受け止められなかった。ビリー・ジョエルのベスト盤でアレンタウンとグッドナイト・サイゴンをスルーする、そんな感覚。


生活保護の申請のために列に並ぶと、絹のスーツの男が年配の女性に「仕事見つけろよ」とからかっていく…というAメロ。コーラスは、


That's just the way it is(現実はこんな風だ)
Some things will never change(変わらないものがある)
That's just the way it is(現実はこんな感じで)
But don't you believe them(でもそんなのを信じるのかい)...



その後の歌詞を読むと、1964年に成立した公民権運動も効力を失ってしまったこと、法律は人の心まで変えられなかった、現実はこんな風だ…と続く。悲しいあきらめのようなメロディだけど、現実を直視しつつ、こんなのはおかしいよ…と言うメッセージの余韻が残る。



なんだかトランプズ・アメリカの現実と重ね合わせて、深く感じ入るものがあった。映画『バック・トゥ・ザーフューチャー』(この映画も30年前に封切られた)で主人公マーティ・マクフライの父親をいびっていたビフはトランプがモデルという話だけれど、今年は映画の予想通り、そのディストピアが現実になったかに思われた。でも、そうなるアメリカの風土は30年前既にあったということだろう。そんなことで色々調べてみると、ブルース・ホーンズビィは2011年にトランプを題材にしたブロードウェイミュージカル『SCKBSTD』の音楽を手がけていたのだった。その中の曲、"The Don of Dons"と絡めてトランプの狂気を語る記事もあったから(http://www.billboard.com/articles/news/7393555/bruce-hornsby-donald-trump-song-interview)、直感は間違ってもいなかったようだ。



80年代、レーガノミクス双子の赤字を抱えたアメリカ。貿易摩擦で日本に憎しみを募らせていたのがトランプだった。レーガン規制緩和、小さな政府、民営化、市場原理主義…という新自由主義路線。格差社会が進行し、自信を失った人々は内向きになっていった。今思えば、80年代のアメリカン・ロックはある種白人によるアメリ民族音楽のような音だったようにも思う(90年代は黒人ヒップホップの揺り戻しが来た)。マッチョイズムっぽい感じもあって。ブルース・スプリングスティーンジョン・クーガー・メレンキャンプトム・ペティも。ジョン・フォガティも復活していた。後にはアメリカーナなんて名称も出てくるわけだけど。ブルース・ホーンズビィも、ブルーグラスに接近した時期もあった。今振り返ると、思想的にはリベラルでも、音だけは愛国的・内向きだったのかも。スプリングスティーンは本当にそれで勘違いされたりもした。でも日本にもそんなねじれがあったような。外向きグローバル志向のリベラルはっぴいえんどが日本語で、内向きロケンローラーが英語、みたいな。



日本にも新自由主義が中曽根に始まり、森〜小泉〜安倍ラインでアメリカに遅れて完全導入される。当然格差が進行して内向きになり、エスタブリッシュメント打破みたいな橋本現象とか、ニッポンを取り戻せみたいな話が出てきてリベラルが退潮した。That's just the way it is(現実はこんな風だ)…って話になってくるのでありまして。まあ、リベラル(liberal)ってのは人間にとって崇高すぎるのかもしれない。ラテン語の語源liberは満たされた自由民のことだから。自分に余裕がなければ、人様に分け与えることなんてできない、ということなのだろう。



さて、ブルース・ホーンズビイから遠いところに来てしまったので話を戻そう。彼のデビュー・バンドのザ・レンジは売れない方がおかしい、という位の腕利き揃いのバンドだった。ファースト・ツアーの前まで短期在籍したギター・マンドリン・ヴァイオリンのデヴィッド・マンスフィールドTボーン・バーネットやスティーヴン・ソールズとアルファ・バンドを組んでいた。ディランのローリング・サンダー・レヴューでもお馴染み。元々はトニー・ベネットのドラ息子(かどうかは知りませんが)二人とクァッキー・ダック・アンド・ヒズ・バーンヤード・フレンズを組んで天下のワーナーからアルバムをリリースしていた。



さらに、ギターのジョージ・マリネリはビリー・ヴェラのバンド、ザ・ビーターズでギターを弾いていたし、ベースのジョー・プエルタはデヴィッド・パックのアンブロージアのメンバーだった。"The Biggest Part Of Me"収録のアルバム『One Eighty』の写真の真ん中にいる人。


そんなバンド・メンバーを従えたブルースはその後もアメリカン・ロックの大物との共演を経験した。ドン・ヘンリーのために作った"The End Of The Innocence"は特に印象的だった。ノイズメイカーズのライブ盤『Here Come the Noise Makers LIVE98/99/00』にブルースの自演版が収録されている。そして、元シルヴァーだったブレント・ミッドランドの後釜としてグレイトフル・デッドに加入し、インプロヴァイゼーションを鍛え上げた。いまだに彼のライブにはデッド・ヘッズが駆けつけているとのこと。2011年の『Bride of the Noisemakers』も素晴らしい2枚組ライブ盤だった。写真の右下にあるのは彼のサインだ。


哀しみのダンス

markrock2016-11-17




ただでさえ世界の成り行きに呆然としているのに、舞い込んでくる訃報は心をざわつかせる。モーズ・アリスンまで!結構なお歳だったわけだけど。よくよく思えば今年もぽつぽつ訃報があった。でもここへ来てどっと…りりィさんも驚いたし…私の母と同い年だったから。バイ・バイ・セッション・バンドは日本のスタジオミュージシャンの最高峰とも言えるメンバーが入れ替わり立ち替わり参加していた。フォークがムーブメントとして売れていたから、どちらかと言えばメジャーになれなかったロック志向のミュージシャンが集ったわけだろう。80年代の音楽シーンはそんなメンバーが今度は作り出したものだった。でもやはりその求心力、りりィさん自身の魅力が大きかったからではないかな。ちなみに80年前後も結構良いレコード有るんですが、『たまねぎ』『ダルシマ』『タエコ』『ライヴ』あたりが日本の70年代の女性SSWの傑作だと思っている。五輪真弓ユーミンとりりィ、って感じ。


そしてレナード・コーエン。訃報記事にノーベル文学賞騒動もあってかディランの名前も出されていたけれど。まあコロンビアでジョン・ハモンド、だから。そうなるのかな。新作も出たばかりで、オッ元気だな、とか思っていたところだった。結局遺作もまだ買えずじまいだ。2014年の『Live in Dublin』なんかもとっても良かった。観ようと思って先ほど探したけれど、こういう時に限ってどこかに埋もれて出てこない。ほとんどの作品にハズレがなく、詩人だからじっくり歌詞を読みながら読んだり、したものです。元々スザンヌがジュディ・コリンズに歌われたのが世に広く知られるきっかけだったけれど、楽曲がカバーされることが多かった人で。オムニバスもあるし、ジェニファー・ウォーンズのカバー集も本当に良く聴いた。評判は良くないけれど、フィル・スペクターの貴重なプロデュース作品があるのも最高だし。そう、中古盤を買ったら、誰かに当てたサインが書かれていたなんてこともあった。



そしてレオン・ラッセルね…先日音楽好きのおやぢバンドのメンバーに訃報を教えていただき…落涙。。近年も来日していたわけだし、観に行けば良かった、と本気で後悔した。レッキングクルーの一員として、大滝詠一のナイアガラ・サウンドに継承される鉄板・ドリーミーなアレンジやプレイも最高だったし、スワンプ・シーンの中核として、シンガー・ソングライターとしても、燻し銀の歌声も最高でした。アサイラムクワイアを初めて聴いた時の期待感とか。メアリー・ラッセルとの共演盤のメロウな味わいとか。




ジョー・コッカーもそう言えば2014年に亡くなりました。エルトン・ジョンとの共演作が6年前に出たときは、とうとうレオン・ラッセルがメジャーなシーンにカムバックする!と嬉しく思ったもので。この共演作ジャケ含めて実に完成度が高かった(http://d.hatena.ne.jp/markrock/20101107)。90〜00年代はジャケがかなりチープな作品が多かったから。ニュー・グラス・リヴァイヴァルとの共演作のジャケはヒドかったなぁ。ハンク・ウィルソンの第4弾。でも内容は最高で!今はハンク・ウィルソンの第2弾を聴きながら書いている。追悼盤、ということでエルトン・ジョンとの共演作『The Union』のレビューを再掲します。ちなみにシングルカットで雰囲気のある45回転シングルもリリースされていました。


Elton John / Leon Russell / The Union ( Decca / 2010 )

興奮のデュオ新作。DVD付きの方を輸入盤で入手。最近日本盤はトンと買わなくなったな。安さが一因。



さて、アメリカとイギリスを代表するピアノマンである、レオン・ラッセルエルトン・ジョンがまさかの邂逅。60年代は売れっ子セッションメンとして、70年代にはロック界の顔役だったことを思うと、近年細々とした活動が目立ったレオンにとっては、久々のメジャー復帰。エルトンとビリー・ジョエルはツアーはすれど、共演盤という発想は出なかった。ビリーとエルトンの方が音楽的に近しいモノがあるから、レオンとじゃあエルトンと言えど刺激を感じたのかもね…なんて思いつつブックレットを読み進めていって、その感動的なくだりに涙が出た。



なんでも2008年、エルトンの私生活上のパートナーであるデヴィッド・ファーニッシュと音楽番組を一緒にプロデュースした際(エルヴィス・コステロが出演)、長らく忘れ去っていた3人のシンガー・ソングライターについて話し合ったとか。その3人というのが、ローラ・ニーロ、デヴィッド・アクルス(まさかこの名がエルトンから出てくるとは…)、そしてレオン・ラッセルでありまして。で、3人の音楽を知らなかったデヴィド・ファーニッシュは、iPodに彼らの音楽を入れることにした、と。その中からレオンの『Retrospective』(ベスト盤ですな)を聴かせてもらうことになったエルトン、突然涙が止まらなくなり、彼の音楽が人生における最も美しく素晴らしい時をもたらしてくれたことに気づき…さらに、こんなにも素晴らしい音楽を人々が忘れ去ってしまっていることに怒りを覚えたんだとか。



思い起こせば若き日のアイドルだったレオンと1970年にLAのライブハウス、トルバドールで出会い、レオンはイギリスからやってきたエルトンとの共演を快く快諾したという。ディレイニー&ボニーのツアーやジョー・コッカーとのマッド・ドッグス&イングリッシュマン、そしてチャリティ・イベントの先駆でもあるコンサート・フォー・バングラディシュで一世を風靡したレオンと、”Your Song”のブレイクで一躍ポップスターの仲間入りをしたエルトンの2人が再び重なり合うことはなかったわけだが、ひょんなことでレオンの音楽に突き動かされたエルトン。アメリカにおけるマネージャーを務めるジョニー・バービスがかつてシェルター・レコードのスタッフだった関係から、レオンと連絡が取れて、電話越しに旧交を温めた。その後早速T・ボーン・バーネットに初めて連絡を取り、プロデュースを依頼して…なんだかトントン拍子の夢のような話で、読んでいるだけで胸が熱くなった。



盤の中身は最高!レオン、エルトン&バーニー・トーピンのそれぞれの単独作に、レオン&エルトンやレオン&バーニーの共作も加えて。ボーカルを2人で取るものが特にぐっと来る。昨日このブログで取り上げたロバート・プラント&アリスン・クラウス盤もTボーンのプロデュースだったので、マーク・リボーやジェリー・ベルローズ、デニス・クロウチとか、その盤とも被ったメンツではあるけれど、あっちよりナチュラルな音で、個人的には好みかな。演奏では2人のピアノはもちろん、他にもジム・ケルトナー、ドン・ウォズ、ロバート・ランドルフ、ドイル・ブラムホールⅡ、ブッカー・T・ジョーンズが。コーラスではビル・カントス、ジェイスン・シェフ、ルー・パーディニなんてAORな人が参加している。さらにさらに、”When Love Is Dying”ではコーラスにブライアン・ウィルソン、”Gone To Shiloh”ではニール・ヤングがボーカルを聴かせている。ゴスペル風の女声コーラスもとても良い。



手元にあるのは16曲入り。DVD入りの方が2曲多いので要注意だ。2人が全く衰えていないところがこの盤の価値を高めている。メイキングのDVD(カナリ短い…)を観て、”Border Song”辺りはレオンの影響なのかな、と思ってしまった。こんなベテランになっていながらも、イギリス人がアメリカ音楽に気を許しつつ、でも地が出てしまう感じが良い。冒頭の”If It Wasn’t For Bad”はレオンの会心の1曲で最も売れ線かも。

ボブ・ディラン、音楽と文学の間

markrock2016-10-15


ボブ・ディランノーベル文学賞受賞。長らくノミネートが取り沙汰されていたから(ディランのファンのお約束−その凄さを説明するときに「ノーベル文学賞にノミネートされていて」と言う−)、とうとうこの日が…という。自身もその影響を隠さない村上春樹もナットクでしょう。物事には順序というモノがある。いまこの時代、このタイミングだと思うと、ジャストですよね。資本主義が先鋭化し、マネーゲームや権力闘争に明け暮れる…おいおい、アンタそれでいいのかい?っていう問いかけが常にディランにはあった。



しかしタイムリーな国内報道を見てズッコケた人は多いのではないだろうか。フォークの神様、とか、ミュージシャンで詩人の、とか。間違っているわけではないけれど、何かズレている。つまりディランを知らないということだ。そもそもズレまくっているNHKなんかも酷いレベルで「昔聴いてました、あの頃は革新的だったなぁ〜」とかいうコメントを延々垂れ流していて、メディアの作り手も受け手も、誰も知らないんだなあ、と苦笑してしまった。結局レコードコレクターズ的な方々のご登場を願うほかない、という(笑)。そうそう、小室哲哉が受賞を予言していた、という記事にも失笑してしまった。ああいった20世紀少年世代ならノミネートの話は常識だった。むしろ桑田佳祐の方がディランが来る、ってのを無意識的に予言していたと思う。「ヨシ子さん」みたいな、桑田さんの脳内をドロっと垂れ流したような作品にやたらディランが出てきていたから。こういうの今の時代に受けないよな〜と思いつつ、好きすぎて出しちゃった感じ。



音楽と文学を混同するな、とか、文学が文化の中心だった時代が終わり、音楽家が文化の中心になった時代を象徴する賞(だがその時代の終わりをも無情に宣告する)とか、色々な読み方ができるように思うけれど、ぼく自身としては、80年代的なる消費一辺倒文化リヴァイヴァルの終焉、への一歩だと踏んでいる。50〜60年代が80年代にリヴァイヴァルし、60〜70年代が90年代にリヴァイヴァルし、80〜90年代が00〜10年代にリヴァイヴァルし、という大衆文化現象があるけれど。これは親から子へ、という世代の文化再生産としてもごく自然だと思う。となるとコレは、一面的にケーハクとみなされる80年代のそのまたリヴァイヴァルの終焉?時代は「言葉」やファッションではない「哲学」を再び求め始めている、ということなのでは?

ディランとビートルズ、ってのが何だかんだ、ロックの基本だと思う。古典的図式で言えばサウンドと詩、アメリカとイギリス、その相互作用。アイ・ラブ・ユー、ユー・ラブ・ミーのロックが、ディランと出会って、物語性や重層性、多義性を帯びていくわけで。ジョン・レノンがディランに出会って詩の世界を変えたという有名なエピソードもある。ディランが血肉化させていたフォーク・ミュージックには、パフォーマーを時代を超えた語り部に憑依させる伝統があった。

しかしそんな彼の近作がジャズ・スタンダード集、という人を食った感じも最高だ。本人は受賞のニュースに一瞬ニヤッと笑ったかも知れないけれど、たぶん彼の音楽活動を変えるモノでもないだろう。スタンダード第二弾『Fallen Angels』は輸入LPで入手した。丁寧な歌がまた、沁みる。

そして、今一番聴きたいと思えるのが1995年のMTV UNPLUGGEDの2枚組LP。私的にはリアルタイムで追いかけ始めた頃の新譜だから思い入れも深い。はじめは貧乏旅行の終盤、ロンドンの今はなきHMVで5ポンドくらいのディスカウントでカセットを買った。コレ、再発LPもあるけれど、そっちは音が良いか保証できない。というのも、クラプトンの『UNPLUGGED』を信頼する友人の所有するEU盤LP(90年代のプレス)で聴かせていただき、CDを軽く上回るその音の良さに大感動して近年の再発LPを買ってみたところ…全然ダメだったから。ディランの方も90年代のオリジナルLPの音は素晴らしい。ディランのアコースティック・セットを一列目で聴いているような臨場感がある。

熊本のレコード屋

markrock2016-09-10



最近おやぢバンドに加入して歌ったりしている。これが何とも面白い。自分一人では絶対に演らないだろうヴァン・ヘイレンとかも演ってみたり。先日お会いした、とあるプロのドラマーの方(テレサ・テンのバックバンドを長くやられていたという)も「音楽はアマチュアに限るよ〜」と仰っていたけれど、コレも一つの真理かもしれない。しかし、昔取った何とやらではないけれど、おやぢバンド、50代のロック少年の演奏の上手いこと上手いこと…学生時代はレコード聴き聴き、耳で憶えてコピーしていた、なんていう感じみたいだから、フレーズが体に染みついているのかな。最近の10代バンドのステージとか見ると、複雑なギターソロを弾けるギタリストが少なくなってきたようにも思える(というか、ジャズから発展したロックには、ある程度即興で演じられる「ソロ回し」という文化があったけれど、それも徐々に消え失せているということなのだろう)けれど、往年のロック・ミュージシャンはソロでギンギン弾きまくるんですよね〜



で、時折スタジオ入ったりもするんですが、昔に比べて予約が取りやすい。バンドが減ってるんでしょうか。そして、アコギのピックは廃番になったヤマハのデッドストックを一生分(笑)買ってあるからいいとして、エレキのピックを買いだめしようと某楽器屋へ。10年前によく通っていたその店にはオリジナル・ピックがあって、激安50円だけど磨り減りにくく、重宝していたことを思い出したから。で、店員さんに聞いてみてビックリですよ。「もう作ってないんです…今楽器屋は不況で、オリジナル・ピックも自前で作れなくなっちゃったんです…在庫抱えるとタイヘンだし…」なーんて。時代は変わる。確かにイマドキの中高生はバンドよりダンス、みたいな身体感覚の変容もあるしね…ちょっと寂しいけれど。

さて、そんなおやぢバンドのメンバーの方に昔のレコードあげるよ〜なんて私が好きそうな奴を選んでいただいて、どっさり頂戴してしまった。その方は熊本出身の方で、かつて英語関係の仕事でクリエイションの竹田和夫さんと同じ職場だったこともあるんだとか。クラプトンが乗り移ったようなギターを弾く。で、レコードはキッス、ディープ・パープル、ジョー・コッカーデイヴ・メイスン、バークレイ・ジェイムス・ハーヴェスト、マホガニー・ラッシュ、エンジェル、T.レックスなどなど…もうロック黄金時代ってな感じで最高ですよね。1977年のレコードにハズレはない!なんて話もしていて。私みたいなアメリカン・ロックやSSW好きに取ってみると、1977年はキーボード主体の音楽が出てくる過渡期で駄作が多い印象があるんだけれど、全く違う価値観もあるんだなぁと。



レコード外袋には「マツモトレコード」「WOODSTOCK」とあって。聞いてみると、熊本で一番オールジャンルで在庫が多かったのは「マツモトレコード」で、マニアックなロックのLPは「WOODSTOCK」で買ったとのこと。頂いたマイク&サリー・オールドフィールドとかは「WOODSTOCK」で予約して買ったんだとか。

気になって調べてみると、両方ともスゴイ店だったみたい。でも「九州一の豊富な在庫」を謳っていた「マツモトレコード」は残念ながら2006年に閉店していた。往時は年間60〜70のアーティストがインストア・ライブ&手売りをやり(「ユーミンとサザン、矢沢永吉以外はほとんど来た」とのこと)、閉店時の2代目店長は「日本一CDを売った」と豪語してもいた。まさにこれも時代だなあ、と。1977年創業の「WOODSTOCK」の方は移転して今もあるとのこと。地震の被害もまだ残る熊本だけれど、一度行ってみたいと思う。それにしても九州の音楽シーンというとめんたいロックや照和の福岡、そして鹿児島に注目が集まるけれど、熊本にもこうして文化を作りあげた店や人があった。阿蘇のカントリー・ゴールドっていうチャーリー永谷さんが続けているカントリーの祭典もある(毎年アメリカン・カントリーの一流どころが出ている)。そう言えば、とライターの松永良平さん(熊本のご出身)のインタビュー集『20世紀グレーテスト・ヒッツ』に熊本のDJかなぶんやさんのインタビューがあったのを思い出し、読み返してみた。そう、おやぢバンドの方も言っていました、「熊本にはベストヒットUSAみたいな番組があったよ〜」って。何しろかなぶんやさんの洋楽ビデオ番組「サタデー・ミュージック・スペシャル」の放映はベストヒットUSAよりも先んじていたのだった。こういった番組に支えられて、数多の洋楽ファンや音楽評論家、ギター小僧にバンドマンが育っていった、という事実にじーんと胸が熱くなった。

ロックの未来、人類の未来

markrock2016-06-22




色々意見があろう所をあえて、突っ込むけれど。2016年のフジロックに政治を持ち込むな、みたいな意見があったという先日のニッカンスポーツの記事(http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1666182.html)。シールズの奥田氏やジャーナリストの津田大介氏が出演することに噛み付いた人がいるとか。こうした記事すら眉唾で読んではいるけれど、久々にあきれてしまった。善意の共同体ではもはや無くなっているフェイスブックのコメント欄などは、余りに極端すぎるので馬鹿馬鹿しく、見ないようにしているけど(万物斉同だと思っているので…)、今回ばかりはと覗いてみると、政治的な音楽なんか聴きたくない、みたいな、ナイーブさを装いつつの典型的な左翼アレルギーみたいな感じで。



いやしかし、ですよ。モノを作って世に問う人間が命がけで社会に何かを問いかけようとすることが、既にある種の政治性を帯びているということに何らかの自覚はないのだろうか。表現の仕方は直截・隠喩色々だろうけれど。例えばマドンナやレディー・ガガ、あるいはタモリという存在そのものにだって政治性はある。ましてや今回焦点になっているのはロック・ミュージックですからね。「カウンター・カルチャーとは?」とか「ウッドストックに至るロックの歴史」なんぞをわざわざ説明しなきゃいけない時代になってきたと言うことなのか?「No Nukes」というイベントがありまして…とか。そんなことすら直感的にわからないくらい、感性が鈍ってしまったのか…

まあ色々絶望的な時代の気分を象徴していると思う。そう、先日思想家の内田樹さんが新聞に書いていたけれど、高度成長期までは互いを成長させるために好まれた「議論」というものは近年、相手に深い知識を与えることになるため、好まれなくなったと。自由競争・自助努力・自己責任を重視する昨今の新自由主義を勝ち抜き、利益を得るためには、相手と議論をすることは損になる、ということなのだろう。先細りになる有限資源を奪い合い、少しでも多く分け前をもらうために、込み入った議論は避ける…なんだか人類の物語は、ずいぶんと悲しい結末に達しようとしているようだ。まあそれでもぼくは、無駄な議論を重ねながら、レコードを聴き、こんなブログを書いている。

アナログで聴く、デビュー・アゲン…

markrock2016-06-19


大滝詠一『デビュー・アゲン』のアナログ。限定と言うことでかなり早めに予約していたけれど、そこまで焦らなくても大丈夫だった。結構在庫はあるような雰囲気、今のところは。往時のナイアガラを模したリヴァーシブル・ジャケット仕様。最後は自らを引用するという、これも遊び心かな。ディスコグラフィーの内袋とステッカー付属。ハーフ・スピード・カッティングを施したのは、ビートルズ1』なんかを手がけた、ロンドンはメトロポリス・マスタリングのティム・ヤング。

気になったのは音だけれど、ふくよかなボーカルの機微が伝わる素晴らしいもの。CDで聴いたときは感じなかった低音の丁寧な歌い回しを表現できていて。現代的というより、ジャケットそのままの、80年代ナイアガラな感じがしたな。っていうか音源そのものが80年代録音中心だからだろうけれど。いずれにしても、デモテープ、という意味合いを超えて、ボーカリストとしてレコーディングしたという、その音源の魅力が表れている。あと、CDを聴いたときに感じた、レコーディングのコンディションや時代のバラツキを余り感じなかった。とはいえ、我が家の現状の再生環境がCDよりもアナログ向けにセッティングされているからそう聴こえるのかもしれないけれど…すみません、無責任ながら、細部まで検証することはせず、素直に楽しむことにする。

でも、ボーカルが音像の中心にあるせいか、大滝さんのパーソナルな部分がいつになく垣間見えるようで、ちょっと泣けてきてしまう。

Jim Glaser / The Man In The Mirror (Noble Vision Records / 1983)

markrock2016-06-16


イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーのヒット「秋風の恋(I’d Really Love To See You Tonight)」。この曲が死ぬほど好きでして。余りに好き過ぎて、昨年作ったアルバムのボーナス・ディスクでカバーしてしまった位…

もちろん、曲を作ったパーカー・マッギーが大好きで。パーカー・マッギーの唯一のソロは日本のAORファンにはとても人気がある。音のマイルドで暖かいオレンジ色の雰囲気が、出せそうで出せない色で。

日本でもCD化されたマーカス・ジョセフに始まり、ディアドルフ&ジョセフだとか、CCM臭が相当するけれどジーン・コットン、もちろんマイケル・ジョンソンだとか、レイフ・ヴァン・ホイ、ジョッシュ・レオ…などとポップ・カントリーを集めまくったのは、第二の「秋風の恋」に出会いたかったからかも知れない。でもそれを超えるクオリティの作品には正直出会えず、ここ5年くらいはあきらめかけていた次第。

…てなわけで今日何気に手に取ったジム・グレイサー1983年の『The Man In The Mirror』。曲目に”You Got Me Running”とあり、もしやパーカー・マッギー曲では?と当たりを付けて。さらに”I’d Love To See You Again”という「秋風の恋(I’d Really Love To See You Tonight)」にそっくりの曲名を発見し、まさか…と思って買ってみると、パーカー・マッギーのソロに匹敵する素晴らしいクオリティの作品だった。これはびっくり。さすがに”I’d Love To See You Again”は「秋風の恋」とは異なる曲だったけれど、”You Got Me Running”はやはりパーカー・マッギーのカバーで。何しろ音や声の処理も含めて、完璧なパーカー・マッギー〜イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー路線だったので驚いてしまった。

ちょっと調べてみるとジム・グレイサーはベテラン・カントリー・シンガーで現在78歳。初期のキャリアではマーティ・ロビンスのバック・ボーカルをやったり、スキーター・デイヴィスに曲を書いたりしていた模様。60年代後半からシングルを多数リリースしていたけれど、アルバムの方は意外にもこの1983年の本作『The Man In The Mirror』が初めてだったみたい。しかもコレ、かなり売れたみたいです。6曲がシングルで切られ、なんとトップ30に全て入ってしまったという(カントリー・チャートで"You're Gettin' to Me Again"が1位、"If I Could Only Dance with You"は10位、"Let Me Down Easy"と"When You're Not a Lady"は16位、タイトル曲は17位、"You Got Me Running"は28位…)。余りにも曲が良かったわけだ、と思ってしまう。しかも、ゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップの名曲”Woman,Woman”をカントリー・ポップにカバーしたヴァージョンも(すでに1975年に一度シングルでカバーしていた)。私のようなノン・リアルタイム派からすると、まだまだ知らない作品が埋もれていることを思い知らされる。