DJ用品を扱う大手メーカーのVestaxが倒産!なんていう衝撃のニュースが12月にあった。何を隠そう、ゼロ年代のフリーソウルでサバービアなあの時代にレコードを買い始めたものだから(ムーブメントとは相当距離を置いてましたが…)、VestaxのターンテーブルBDT-2500を愛用していた。ショックでした。クラシック、という雰囲気じゃないけれど、ロックやジャズ、ソウルを聴くには実に粒立ちが良い音。そこで浮上したのは針どうなっちゃうんだ問題。今使っているものはネットで探すとほとんどメーカー返品になっていて、在庫を抱えている店とかもDJとかが速攻で抑えたんでしょうね、皆無で。カートリッジ変えたくないし、とオーディオ店に相談しに行くと…電圧が違う場合もあるので注意が必要ながら、他メーカーでも合うものがあるようで。良かった!今回試しに買ってみたKenwoodの針でもフィットし、音も変わらなかった…救われた。種明かしは、針だけは別メーカーが作っているということ。カタログを見せて貰ったけれど、数多のメーカーも針だけはあの老舗ナガオカが作っているのが殆どだったのでびっくり。ラベルや値段はメーカーそれぞれだけど、針は一緒、という。「需要があればいずれVestaxユーザー向けに針だけはナガオカが作るかもしれませんよ〜」とのこと。皆さんはこんな経験ありますかね〜いずれにしてもアナログユーザーには死活問題で…焦りまくりました。
さて、今年のマイブームはポピュラー・ボーカル盤探索だった。相当入れ込んだ。ジャズ・ファンも余り寄りつかない分野。ジャズの中でも、軽いというか、筋金入りのボーカル・ファンは別として、中古屋でお客さんを観察していると、歌謡曲を聴くような感覚でおっちゃんが聴いているイメージもなくはない。そしてシナトラ集めようとか言っても枚数が多すぎるし、場所を取るし…と敬遠されるのかも。じゃあ著作権切れてるからと言って粗雑な10枚組買っても絶対に聴かない自信がある。事実、オリジナル・アルバム4枚組とか、8枚組、だとか最近色々なCDありますよね。買ったけど、二度聴きたいとは思えなかった。昔買った駅売りのブート盤の方がよっぽど聴いた気がする。経済効率ばかりが持て囃される時代への反動かもしれないけれど、ヒット曲が1曲入っているかどうかという、ゴミのようにエサ箱に投げ込まれたポピュラー・ボーカル盤が、いま無性に愛おしい。
[ロバート・グーレとバディ・グレコ]
仕切りが存在する様な王道は避ける、というのが自分のルール。エラ・フィッツジェラルド、アン・バートンとかジューン・クリスティは避ける。CDでも聴いてきたし。さらにオリジナルだと中には5000〜6000円なんてのもざらなくらい法外。ポピュラー系だとゼロが一つ違って、アメリカ盤だと99セントとかいうシールが付いているのも多い。誰も興味がないんだろうな(笑)という。そして、ロック世代の耳で楽しめるか、というポイントも重要。60年代だと、ジャズ、ポピュラーからフォーク、ロックへと時代の中心が変わっていくわけだけど、レパートリーの中にビートルズなり、サイモン&ガーファンンクルなり、ドアーズなり、ロッド・マッケンやミシェル・ルグランなりが入ってくる。でも保守的なシンガーはそういうレパートリーを入れない。シンガー本人やブレーンの性格が表れてくるわけで。そんな嗅覚でいうと、ジョニー・マシス、ジャック・ジョーンズ、アンディ・ウィリアムス、メル・トーメはレパートリーがヒップ。60年代後半から70年代にかけてのペギー・リーとか、ニーナ・シモンも面白い。ムッシュかまやつみたいな感性。
[デイヴ・グルーシンのラウンジ盤とS&Gをカバーするジェリー・ラニング]
お金がかかっている音作りも勉強になる。ドン・コスタとかネルソン・リドルはやっぱりハズレなし。弦なんて豪華すぎます。今の音楽業界ではこれがムズカシイから、音楽の原点に立ち返れたり。どんな俳優のレコードでも、素晴らしい編曲、豪華な音。そう、俳優のレコードというのもまた面白い。Goldmineから『Celebrity Vocals』という本が出ていて参考にしているけれど、アメリカには俳優、スポーツ選手、セレブのレコード、というジャンルがあり結構ファンもいるみたい。総合的な芸のフトコロの深さがある。例えば日本でもクレイジーやドリフみたいにジャズ・ミュージシャンがコメディ音楽をやっていたのと一緒で。歌もお芝居もコントも何でも来いな感じ。ゲイリー・ルイス(&ザ・プレイボーイズ)のお父さんジェリー・ルイスのボーカル盤なんて素晴らしい歌声でびっくりした。
あとはジャズ関係のミュージシャンが仕事のためだろうけれど、ロックの世界に入ってきているという例も検証できた。日本でも大滝詠一が前田憲男を使う、とかがありました。服部ブギウギ良一の流れを汲む服部一家の弦が日本のポップスで今も使われたり。ジミー・ワイズナーとかペリー・ボトキンJr.、ボーンズ・ハウもそうだし、エンジニアで言えばアル・シュミットだとか。色々聴いてきたソフトロックもスタッフを確認すると、ロック世代以前の流れを汲む音が結構多いと知らされた。譜面が読めないガレージなロック・ミュージシャンより音楽知識豊富なミュージシャンが作ったからこその普遍性と中道感だったのかと。そしてロックとジャズというと、ロックの有名曲と同名異曲のジャズ、ポピュラー、ミュージカルの楽曲が実に多いんだなという発見もあった。戦後世代の無意識的な参照枠になっていたのだろう。
あとはレコ棚を見ていると、ボーカル・ファンの雑食性にも発見があった。ポール・アンカやトム・ジョーンズは判るし、70年代、ラスヴェガスでロックンロール、なエルヴィスがあるのも判る。でもそれだけじゃなく、マイケル・パークス、キース・キャラダイン、リチャード・ハリスも俳優レコードの文脈で入ってくるし、グレン・キャンベルやハンク・スノウみたいなカントリーの文脈、弦でスタンダードを歌ったりもしているからかレイ・チャールズもあるし、それにプラターズみたいな黒人ボーカル・グループ、デューク・エイセスやダーク・ダックスのルーツと思しきゴールデン・ゲート・カルテットみたいなモダンな黒人霊歌、白人ドゥ・ワップや、ボビー・ライデルにフランキー・アヴァロンみたいなティーン・アイドルもある(確かにスタンダードものも歌っている)。AORでもお色気歌手だったジェイ・P・モーガンが分かり易い例だけど、スティーヴン・ビショップ、ケニー・ランキン、GRPだったからかスコット・ジャレット(キース・ジャレットの弟)も良く見かけるし、あと女性だとペチュラ・クラークやシャーリー・バッシーは当然としてフィービー・スノウやトレイシー・チャップマンだとか、荒井由実や”どうぞこのまま”な丸山圭子とかも入ってきたり。『ジャズ批評』のバックナンバーなんかを読むと、そういう他ジャンルの人達も当たり前のようにボーカル盤として紹介されている。あとマニアックな所だと後年ポップ・ロックのソングライターとして名を馳せるマーシャ・マラメットのデッカ盤『Coney Island Winter』をジャズボーカル・コーナーで何度か見かけました。デッカの新譜だから、ボーカル・ファンに当時着目されたのだろう。デヴィッド・ラズリーとか、ゲイ、レズビアンの立場で繊細なソングライティングを続けてきたコネクションの中にいる人(シカゴからエアロスミスまで全米No.1を数多く書いたダイアン・ウォーレンもそうだった)で当時ジョニ・ミッチェルと並び称される才能だった。
そんなこんなで、アメリカの芸能の奥行きが日本への影響力も含めて、少しは掴めてきたような…。一つのジャンルや世界観に囚われて音楽を聴くのはつまらないものなのかもしれない。だから、ジャズ・ファンやソウル・ファン、ロック・ファンにフォーク・ファン、そしてはっぴいえんどファンになるつもりはない。一つの歴史観の中で音楽を聴くのはそんなに愉快なものではない。何しろ歴史観は作られるものだから。昨今の日本じゃないけれど、GHQだろうが歴史修正主義者だろうが、そんな言説を真正直に信じる気分にはなれないわけで。それぞれの世界にどっぷり浸かったロック・ファンとジャズ・ファンの口喧嘩みたいなものだから。自分なりに些末な一次資料に至るまで情報収集して大局的な視野を得るのが原則だと思っている。それでも、ただでさえ過多な情報をつなぎ合わせる訓練が出来ていない所に、知識偏重だなんだと、博覧強記よりもその活用力を問う人材育成の風潮もある。でも知識を得ずして活用はできないものだ。戦後のポピュラー音楽が総決算されているテン年代にあって、合理性や経済効率からこぼれ落ちたレコードを吟味することに何か意味があるような気がしている。そんな行為自体が博覧「狂気」とみなされるかもしれないけれど…でも今後絶対消えちゃうだろうから…まあまあ、とにかくこのポピュラー・ボーカル探索。自分のロックやフォークな(戦後世代的な)感性を換骨奪胎していく感覚が痛快だった!これから少しずつニッチな紹介をしていこうかと思っています。
「芽瑠璃堂さんには新作のプロモーションも含めて大変お世話になりました!読んでいただいた皆様ありがとうございました!また来年も当ブログ、何卒よろしくお願いいたします!よいお年をお迎え下さい。」
[ジュリー・アンドリュースとシャーリー・バッシー]