*[コラム] 自粛の東京・高田渡を聴きながら
何か時代の先行きがおかしいぞ、ってな嫌な予感はこんな風に進むものなのでしょうか。オリンピック問題と実は根っこが一緒だと思うけれど、コロナ禍が行きつくところまで行ってしまった。空気を読む日本人の場合、志村けんさんの死がなんだかんだ大きかったと思う。個人的には出生地が東村山だし、今住んでいる三鷹に志村さんも住んでいたから、ってか、カトケン世代ですから、ショックは大きかった。志村さんの笑いに感じた反権力性。偉ぶらず、歳食ってもちゃんとコントやるっていう。そういえば印象的な共演者の優香さんは武蔵村山出身だったはず。西東京出身の人だったらわかると思うけれど、周囲から見たら似た者同士ながら、微妙に志村さんがいじれる関係性。千鳥の大悟さんに至っては瀬戸内海の島出身でしたもんね。それでも、「お前ここまでよく頑張ってきたな!」っていじった後に褒めてたんじゃないかな、きっと。想像だけど。それにしても志村さんの共演者のいずれもが、優しくて性格好さそうなんだな…現代世界を覆う新自由主義の経済合理性の発想はこういう所に価値を認めないし、彼の死の痛みが消えぬうちに功績だとか言ってしまう。
こんなある種の有時だからこそ、平時には素通りしていた本性が晒される部分はある。社会のほとんどが音楽とか芸術を(恐れているがゆえ)軽んじてること、取り換え可能な労働者として人間そのものが大切にされていないこと、男性よりも女性を下に見ていること、人間を自然より優位に置いていること…自粛の要請ってのも変な言葉ですね。経済的損失の責任を取る気はないけれど、自発的にお上の意向に共鳴させるっていう。教育勅語を天皇のお言葉とし、内心の自由に触れない範囲で自発的に共鳴させることで戦争責任を回避した構造と全く同一だ。ちなみにここで左か右か、とか言ってしまうのは冷戦的思考だということになる。
ところで緊急事態宣言に踏み切るまでのネットニュースの見出し…まさに高田渡の「値上げ」そのものでしたね。ありがたいことに先月末、50周年を迎えたURC(アングラ・レコード・クラブ)に関するムック執筆のお話を頂き、高田渡のキャリアを再び辿り直していたところだった。うーん、やっぱりこういう時に響くんだな。持っていなかった参考文献もこの際とばかりに集めてみた。中でもビレッジプレスから出ている『雲遊天下』のバックナンバー「特集 高田渡の夜」(125巻・2017年)、「秦政明とURC」(34巻・2003年)は面白かった!渡さんの目線で生きていれば、こんな毎日も、相も変わらぬ日常だったのではないだろうか。