*[コラム] ボブ・ディランが歌う「Murder Most Foul」
多くの人がお聴きになっているかと思いますが。3月27日に突然デジタル/ストリーミングで公開されたボブ・ディランの新曲(というか未発表曲)「Murder Most Foul」。トピカル・ソング(時事歌)の親玉がとうとうお出ましになったな、という。オリンピックが無くなると同時にニッポンの首都でも大変な騒ぎになっているわけで。ディランの来日も中止になった。まぁ、また聞きした近所の某・旧公営企業の方からの噂だと、社員で10人感染者が出てたけど隠してたとかいう話なんで、そりゃそうだろな、という。大本営発表を信じている方が、よっぽど人が良すぎるということにはなるだろう。
そんなこんなで、ジャクソン・ブラウンが、志村けんが…と、悲惨な現実ばかりに右往左往しているそんなタイミングでディランの声を聴いたら、なんだかグッと来てしまった。
現状のディランの最新・オリジナル・アルバムは2012年の『Tempest』。タイトルの「Tempest(嵐)」はシェイクスピア最後の作品(と言われているもの)のタイトル。当時はまだオバマ政権だった。その後は『Shadows In The Night』(2015年)に『Triplicate』(2017年)とアメリカン・スタンダードを血肉化した力作をリリースしているわけだけれど、トランプ政権のポピュリズムの「嵐」が吹き荒れて以来、彼の肉声を伝えるオリジナルの新曲はいまだに発表されていなかった。
いま、ボブディランは何を考えているのか?
そんなわけで、期待をこめて耳にした「Murder Most Foul」。やはりシェイクスピアの『ハムレット』に登場するフレーズからタイトルを選んでいる。直訳すれば「最も非難される殺人」ということになる。1963年11月、アメリカ史上最も人気のある大統領だったJ.F.ケネディが遊説中のダラスで暗殺された事件をテーマに選び、淡々と綴ってみせた17分にも及ぶ、ある種のマーダー・バラッドだ。
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ディランがケネディに譬えたものは、人々の現実を常に導いてくれる理想や普遍理念だろう。もちろんケネディ自身、マリリン・モンロー(この歌にも登場する)との不倫にしても、現実的には聖人君子とばかりは言えず、問題を抱えてもいた。それでも、キング牧師の公民権運動を支持し、黒人と白人を平等とする公民権法を成立させ、「Murder Most Foul」にも引用されていた、「国があなたのために何をしてくれるかではなく、 あなたが国のために何ができるかを問う(Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.)」という大統領就任時の言葉で多くの若者達を共感させた。ディラン自身、2010年にホワイトハウスに赴き、ケネディと同じ志をもつオバマの前で「時代は変わる」を歌っている。
しかし、そうした理想を無残にも打ち砕く絶望の前で、何をなすべきか。ディランは引用に次ぐ引用で音楽と共に歴史を振り返ってみせる。その引用は多岐にわたっている。一聴しただけでも、ビートルズの「抱きしめたい」(The Beatles are comin', they're gonna hold your hand)、ジェリーとペースメーカーズの「Ferry 'cross the Mersey」、ウッドストック、ヘアー/フィフス・ディメンション(Aquarian Age)、オルタモント、エヴァリー・ブラザーズ(Wake up, little Susie)、ロバート・ジョンソン(I'm going down to the crossroads, gonna flag a ride)、ラリー・ウィリアムズ(Dizzy Miss Lizzy)、パッツィ・クライン、トム・ジョーンズ(What's new, pussycat?)、レイ・チャールズ(What'd I say?)…などなど。1964年にデビー・レイノルズやパット・ブーンが出演した映画『Goodbye Charlie』よろしく、「グッバイ・アンクル・サム!(Goodbye, Uncle Sam!)」(つまり「さよならアメリカ」)と言って見せたり、黒人文学の雄ラルフ・エリソンの代表作のタイトル「見えない人間(Invisible Man)」というフレーズも見てとれた。ちなみにもっと言うと、『Goodbye Charlie』と同じ1964年にアガサ・クリスティ原作の映画『Murder Most Foul』が存在してるんですが。
ドキッとしたのは、「自由よ、おお自由よ」という公民権運動のアンセムを唱えた後につぶやく「言いたくはないけど、死人だけが自由だ(I hate to tell you, mister, but only dead men are free)」という言葉。ケネディ以前と以後でアメリカは変わってしまった…というかのような語りは、ドン・マクリーンが、バディ・ホリーやリッチー・ヴァレンスを載せた飛行機が墜落したことを「音楽が死んだ日」と唄った大作「アメリカン・パイ」を思わせた。その「アメリカン・パイ」がヒットした1971年のアメリカ…ベトナム戦争に疲弊し、古き佳き60年代アメリカへの郷愁が広まっていた。その一瞬の輝きをノスタルジックに描き出したジョージ・ルーカスの『アメリカン・グラフィティ』が公開されたのは1973年のことだった。
だから今回、ディランが歌の後半で、『アメリカン・グラフィティ』に登場する伝説のDJウルフマン・ジャックに、「Only The Good Die Young」(ビリー・ジョエル)、「Please Don't Let Me Be Misunderstood」(アニマルズ)、「Another One Bites the Dust」(クイーン)、エタ・ジェイムス、ジョン・リー・フッカー、(Take it to the limitのフレーズを引用して)ドン・ヘンリーやグレン・フライ(イーグルス)、オスカー・ピーターソン、セロニアス・モンクを…そして「Murder Most Foul」をプレイしておくれ、と切々と懇願する気持ちは、痛いほどよくわかった。アメリカは、いや世界は、多様であるからこそ、普遍理念でしか一つになりえないという矛盾。でもディランはハッと正気に返ってみせる。「心配しないで下さい、大統領、あなたのブラザーが助けに来てくれます」「ブラザー?どこのブラザーだ?」…まさに冗談じゃない、って言うんでしょうか。宗教とかそういったものが、現実を必ずしも救いきれないことには自覚的だ。それでも延々と、ウルフマン・ジャックに「曲をかけてくれ…」って頼むんですよね。『アメリカン・グラフィティ』を観る限り、ウルフマンは音楽の神様であり、ティーンエイジャーのイノセンスを受け止める神様。いつも起きてるんじゃないかと思ってしまうくらい、いつでも、どんな時でも、リスナーの心に寄り添い、チューニングを合わせれば、ゴキゲンな音楽とともにグルーヴィーなお喋りで包んでくれる。こんな時、ディランが音楽に一縷の望みをもっていることこそが、救いだと思えた。