いしうらまさゆき の愛すべき音楽よ。シンガー・ソングライター、音楽雑文家によるCD&レコードレビュー

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【書評掲載】
『情況』2018年秋号 田中里尚(文化学園大学准教授)「教えられぬことこそ語り続けなければならない―石浦昌之の実践について―」
『日本教育新聞』2019年3月18日 都筑 学(中央大学教授)「先哲から学ぶ人生の知恵」
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間宮貴子 / LOVE TRIP(Universal / 1982[2018])

markrock2018-04-03


芽瑠璃堂さんのHPでもトピックになっていたけれど、ジャパニーズ・フィーメール・シティポップの最高峰(お値段も!)、間宮貴子1982年の唯一盤『LOVE TRIP』がLPセカンドプレス再発!ディスクユニオンに続けとばかりに、HMVレコードショップが色々仕掛けてきて面白い。シティ・ポップとか、80年代アイドルとか、何だかんだロック至上主義的なユニオンではしばらく前まではコケにされていた盤に狙いを定めた感じ。元々は2012年にタワレコでCD再発されていたもの。これにはLight Mellowをブランド化させたライターの金澤寿和さんが関わっておられたはず。そういえば金澤さん、直接は全く面識はないのだけれど、10年ほど前に、個人的に大ファンだったAORデュオBoy Meets Girlのメンバー、シャノン・ルビカムとメールでやり取りをする機会があって、新作の日本発売をするために誰かとコンタクトを取れないか…という話になり、金澤さんにご相談のメールをお送りしたのだった。その話はうまくいかなかったのだけれど、見ず知らずの私からのメールに、それはそれは熱いメールを送り返してくれたのを覚えている。ホンモノのミュージック・ラバーなのだと大感動した。

さて、本題の間宮貴子盤。その人自身は全くナゾだらけのポップ・シンガーなのだけれど(Paoのメンバーだったみたい)、日本的こぶし(=歌手としての個性)の薄い軽みのある歌、ブラック・ミュージックを根底にもつ弾むようなリズム・セクション、かといって汗を感じない涼しげなメロディ、現実離れした歌詞の「ここではないどこか」感…昨今注目されているシティ・ポップの全てがそこにはある。しかも駄曲皆無というのがあり得ないですよね。トータル的に満足できるシティ・ポップ作品は少なく(個人的にはその他、山下達郎『For You』、国分友里恵『Relief 72 hours』の2枚が理想系)、だからこそコンピが持て囃されるわけで。演奏陣は尋常ではないですよ。山下達郎の全盛期を支えた椎名和夫難波弘之、そしてチョッパーも聴こえる鳴瀬喜博、上原ユカリ、さらに井上鑑、永井充夫、松木恒秀、向井滋春、コーラスで東北新幹線山川恵津子と鳴海寛)…というシティ・ポップ純度の高い完璧さ。オリジナル盤は目にしたことがないけれど、元はキティ原盤で、その流れで来生えつこ作詩、元モップス星勝の作編曲の楽曲も。サウンドプロデュースはサックス奏者の沢井原兒。エクゼクティブ・プロデューサーはキティ創設者のひとり、多賀英典井上陽水『氷の世界』の海外録音なんかをしきった人。


ところでレココレ誌今年の3・4月号で松永良平さんが実にタイムリーなシティ・ポップ特集記事を組んでいた。某通販サイトのレビューなどでは、なぜ今シティ・ポップというような声もあったけれど、そんな読者ばかりではこの雑誌の未来は暗いと思えてしまう。今までではファズやGS、ニュー・ロックが日本のポピュラー音楽では海外の音楽ファンの注目を集めていたけれど、これが今、時代が一回りしてシティ・ポップが熱を帯びているという現実。ここ半年ぐらいですけど、東京のレコ屋ではスーツケース片手に爆買いしてる人がホントにいますからね。しかも細野さん止まりではなく、大滝、達郎、ユーミンにまで行ってしまうという。といいますか、松原みきから間宮貴子にも行ってしまうという。興味を無限に広げられるYouTubeもありますし。インドネシアシティ・ポップ・バンド、イックバルの来日も記憶に新しく。(主に英米の)洋楽に近づくこと、あるいは黒人音楽のオーセンティシティに近づくことが、ホンモノの証だった時代は終わり、間宮貴子でいえば三浦徳子の「チャイニーズ・レストラン」とか「モーニング・フライト」なんていうジャパニーズ・イングリッシュが面白く受け取られる時代になったということだろう。もちろん肝心の演奏の完成度が担保されていることは評価される最低限の条件だろうけれど。昨今ではレコーディングもデジタルかつ安価になりすぎてしまい、ある種アナログな手法で緻密かつカネを潤沢に投入して音楽を作っていた時代へのノスタルジーや憧れもあるのではないだろうか。