いしうらまさゆき の愛すべき音楽よ。シンガー・ソングライター、音楽雑文家によるCD&レコードレビュー

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 俄 / 俄芝居(Philips / 1975 )

markrock2017-01-09


フィリップスというと1970年代初頭、世界標準のロックやボーカルものを出していたレコード会社。日本のフォーク・ロックの隠れ名盤と思えるのが1975年に唯一のアルバムを残している俄(にわか)。アルバムタイトルが『俄芝居』っていうのがまた古風というか、和風というか。素人演ずる俄芝居とは、つまり茶番のこと。70年代の日本回帰、ディスカバー・ジャパン的なフォーク時代の感性は面白いなと思う。自由への長い旅、とかいいつつ農村回帰というのもあった。東京・吉祥寺でいえば「ぐゎらん堂」とかね。国分寺・吉祥寺・高円寺っていえば、三寺といって70年代東京で若者のたまり場があった文化の発信地。でも今思うと、寺という歴史を感じさせる町に(高円寺しかリアルな寺はないけれど)文化が育ったことにも古風な感性が見てとれたり。普遍理念の実現を目指す理想主義の左翼がニッポン大好き右翼と対立する、というとっくに死滅しているはずのイデオロギー図式。いまだそれが日本では機能している感じが、ウェブ上のかなり少数民族(の割に存在感が大きい…これは奥ゆかしい日本人に与えた平等性が逆に特殊を際立たせることに由来する)に見受けられるけれど、左というイメージのある70年代フォークは、今にしてみるとニッポン大好きですよね。浴衣の君はススキのかんざし、とか言ってますし。でもこれ、アメリカでも同様で、イージーライダーに描かれていたような保守的な田舎で受け入れられない若者(明らかに左のイメージ)がカントリーをカントリー・ロックとして蘇らせ、再びそれが伝統となってゆき、アメリカーナ音楽(今にしてみると右のイメージ)を形成していったという。理性で自然や社会を操作するという近代的発想の根っこが一緒だから、右も左も辿り着く場所は結構似ているということだろう。



話が逸れすぎました。70年代日本の音楽シーンは、ロックの反体制的気風が過渡期を経て、青春懐古を消費するニューミュージックへと変節する時代。俄はまさにその過渡期のリリースだから注目されなかったのだと思う。しかし、このアクースティック・ロックは新鮮すぎる。アコギのカッティングとコーラス、リード・ギター…明らかにCSN&Yを通したガロ・フォロワーという趣きなんだけれど、歌謡曲的要素に流れすぎなかったバランスが隠れ名盤として語り継がれている理由かも。ガロでいえばファーストの雰囲気。楽曲の完成度はとても高く、聴いていて気持ちがよい。「雨のマロニエ通り/ハイウェイ・バス」「コスモス/学校なんて大嫌い」の2枚のシングルを切っているけれど、「雨のマロニエ通り」辺りはガロっぽい歌謡臭がする仕上がり。でも、アコギの音がとても綺麗で、魂を売っていない感じ。メンバーは大枝泰彰、中島ひでき、宮川良明の3人で、大枝と中島が楽曲を手がけている。なんと中島は青山陽一さんの従兄であるとのこと(http://yoichiaoyama.jugem.jp/?eid=49#comments)。プロデュースは大野克夫で、ジプシー・ブラッド〜井上堯之バンドの速水清司やPYG井上堯之バンド原田裕臣といったニュー・ロックのゆかりのミュージシャンがバックを務めているため、同時代のフォークとは一線を画している。デモテープの録音には山下達郎伊藤銀次松任谷正隆が加わったという話もあるけれど、そんなデモがあれば聴いてみたいものだ。お医者さんになっちゃったという大枝泰彰を除いた再結成も演っていたらしいけれど、今はどうしているのだろうか。ちなみにCD化されていないのも評価を遅らせていると思うけれど、タイトル曲の歌詞にある「気狂い時計」辺りが理由かも。よしだたくろう『今はまだ人生を語らず』も、「つんぼさじき」が理由で再CD化されないし。この辺りは自主規制の名の下に行われた言葉狩りと言えなくもない。でこぼこをなだらかにしてしまう、これもまた近代的発想。