今さらながら、忌野清志郎の命日に合わせてNHKで放映された「ラストデイズ 忌野清志郎×太田光」を観まして。凄く良かったですね。(詳細は→ココにまとめられています http://japan.techinsight.jp/2014/05/kiyosiro-ohtahikari-lastdays20140502.html)トップの不用意発言で揺れる国営放送も捨てたもんじゃないな、というか、TVギョーカイにあってかなり優秀なスタッフばかりなんだな、と思いました。TV、私も10年ぐらい前に民放の制作に携わってましたが、色んな意味で凄い世界でしたから…とてもじゃないけど、深夜帯かつ相当の気骨がなきゃ、こんな番組は作れない…
確かに最近、終息させようとやっきになっている原発問題が出てくるたび「キヨシローならどういうかな」っていうこんな声を、一人二人じゃなく聞いていて。
でも、あの問題作『カバーズ』みたいな直球な政治的メッセージは野暮、みたいな前提が、爆笑問題太田さんの口からも出ていたけれど、個人的にはそんな野暮だと思ったことはなかった。全くもって個人的かもしれないし、太田さんが番組で言ったところの「悪影響」かもしれないけれど…当時我が家には『カバーズ』があって(カセットテープでした。『ザ・タイマーズ』もあったんで、それはちょっと悪影響だったかな…)、それを小学生の時分から聴いて育った。でも、そこに含まれる反原発のメッセージだとか、原発の親玉が経営する東芝EMIの圧力による発売中止騒動だとか、そんなことは全くもって知らなかった。でも不思議なんだけど、当時一番好きだった曲が「サマータイム・ブルース」でして。過激というよりは、実にユーモラスだなあ、と思った。「原子力発電所がまだ増える」って小学校でもマネして歌っていたし。近所の公営プールのBGMで流れた時なんか、プールから急いで上がり、スピーカーの下まで言って耳をそばだてたりして…いやー、懐かしい!ザ・フーもエディ・コクランも知らずにRCのサマータイム・ブルースを聴いていた…
いわゆる”戦争を知らない子供たち”であった戦後ニッポンの”若者たち”(団塊前後)は輸入英米文化の日本的定着にしのぎを削ったわけだけれど(いかに「ホンモノ」となりうるか…)、後塵を拝した私にとっての60年代ポップスの入り口が大滝詠一『ロング・バケイション』であり、60年代ロックの入り口がRC『カバーズ』だったという事実。メッセージ抜きにしても。『カバーズ』をレコード屋で買い求めて来た私の親も、ビートルズ、ストーンズ、モンキーズ、ヴェンチャーズ、バリー・マクガイア、ジョニー・リヴァースなんかがど真ん中の世代ですから、単に懐メロとして聴いていたんじゃないかとも思う。そうそう、『カバーズ』や『ザ・タイマーズ』は後に古井戸の加奈崎芳太郎さんとの人生を変える衝撃的な出会いの伏線にもなっていたのだった!(古井戸のギタリストだったチャボさんは、古井戸脱退後RCに加入し、RCはブレイクする…)2002年長野の加奈崎・忌野の対バン・ライブでは加奈崎さんのご縁で打ち上げに潜入し、清志郎さんとどさくさに紛れて握手する、なんてこともありました…はぁ、なんてミーハーなんだ…
イアン・デューリーのバックバンドだったブロックヘッズとのレコーディングでメッセージ性に目覚めた、みたいなくだりが番組にあったけれど、確かにその時の清志郎は影響を受けたんだろうけれど、そんなことよりも、もともと60年代的なるもの〜カウンター・カルチャーを背負った世代だったんだろうと思う。私の親にあたる世代と同様。内省の70年代前半には売れなかっただけで。チャボさんだって、ドノヴァン・レイチの麗市だからね。愛しあってるかい、もオーティス・レディングのモンタレーのステージ・トークの翻訳だったし、”雨上がりの夜空に”もモット・ザ・フープルのあの曲にブルーズの伝統である隠喩を織り交ぜたロックの王道だった。あんまり世代論はやりたくないけれど。戦後の若者文化、メディアの影響力で形成された大衆文化はどうしても世代で語れてしまう部分がある。私の親もノンポリだけれど、学生運動で東大の入試がなかったり、そんな世情を目の当たりにした世代だし。あさま山荘事件やケネディ暗殺、三島由紀夫の割腹自殺、そんな話を小さい頃よく親から聞かされていた。別に際だった思想はなかったと思うんだけれど…それはたぶん、私が今後オウム事件とかを子どもに語り継いでいくようなものかもしれない。
だから、60年代という時代の雰囲気を浴びた忌野清志郎が、近代や戦後のひずみが噴出していた1990年代前後の日本/セカイで、その社会を正直に歌おうとしたことは”ロックという思想”からするとそんなに唐突で不自然なことでもないし、それを不自然としたのは、なんで音楽で申し分ない地位を確立したのに、そんな危ないことをするんだ、というギョーカイの頂点にあぐらをかいた者の感覚だったんじゃないかと思う。喩えるならエコノミック・アニマルと化したニッポン人の、ね。すみません。いやいや、違うよ、という人はいると思うけれど…私個人の直感でしかないんです。だから、『カバーズ』のメッセージを野暮だとした、現代社会の中枢となっている1990年代前半の1人の若者の感性は、いまちょうど私が関心を持っている、60年代的なるものの功罪や、その良かった面すら風化していっている過程と関係しているのだろう。
でも最後に太田さんが「表現者は心を研ぎ澄まして少年のままでいるべき、でもそれは苦しい」みたいなことを言っていたのはとても共感できたな。いずれにしても発売後26年も経って、いまだに人の心を動かしているアルバムなんだから、世に問うた意味は十分過ぎるくらいにあったのだろうと思う。