/ 1969 ( EMI / 2011 )
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。お蔭様で毎日800前後のアクセスを頂いていて、有難い限りです。音楽を紹介するメディアの使命が薄らぐようにも思える中ではありますが、個人的には何かを知りたいがために聴く音楽でありますが故、時代が如何に変わろうと続けていこうと思っております。最近始めたけれど、我思うに“つぶやき”は退化ですヨ。つぶやきで誤魔化してはだめです。てなわけで、今年も本ブログを宜しくお願いいたします。
さて、今年もダラダラと紅白を見たりしていたわけだけど、あざといAKB秋元康が西田敏行に書いた曲は、あざとくも良い曲だった。歌も何かを伝えようとしていたし。それに対して、猪苗代湖ズってありゃなんだろうと思ったところ、そんなことを書いた人のツイッターが炎上したとかいう記事を見つけた。その人を擁護するつもりもないけれど、震災を抜きにしてロックの表現ということだけで言うならば、ちょっと安直すぎるかもしれない。斉藤和義のやり方のほうがロックしていたわけで。あくまで表現の好みではあるのだが。
さて、新年一発目に買って聴いたのは由紀さおり!驚くほどアレンジは元曲と変わらない。こんなジャケットじゃなかったら、今時誰も手を取らないかも。何を隠そうコレ、発売後すぐに見つけたけれど、手を伸ばす気には正直なれなかった。ピチカート小西の仕事だと思った人も多かったはず。なんかオシャレにジャズっぽく再録したのかな、なんて。でもね、そうじゃなく1969年の歌謡曲を、日本語でド直球でカバーしてるんだから…これがこんなに世界で受けるって…いまだに信じられない。
12人からなるオーケストラ・グループ、ピンク・マルティーニのメンバーがアメリカの中古レコード屋で発見した由紀さおりに反応してアルバムで1曲カバーしたことをスタートとし、最後はピンク・マルティーニのロイヤル・アルバート・ホール公演に由紀が参加して大歓声を得る…なんだか映画みたいなストーリーだけれど、それが本当に起こったってのは、昨年日本の音楽シーンでも特筆すべき出来事だったと思う。
しかし、ココ(http://toshiakis.at.webry.info/201110/article_1.html)を読む限り、今回のようなアルバムの形になるよう仕掛けたのは日本人だったようだけれど。
しかし、記憶にとどめてほしいのは、西欧文化に引け目を感じていた日本人だけれど、歌謡曲が1969年の世界の動きとシンクロさせても、かなり同時代的に聴けたという事実。西洋のラテンやブラジルの最新のリズムを取り入れたモダンな音作りはとても流麗で、ゴージャスで。日本的と思われた演歌や歌謡曲が、かなり西洋的なものとして日本人に受容されていたことも今ではわかっている。演奏者もナイトクラブの文化を背景にしたジャズやラテン奏者だったはずだし。ただ、タランティーノが『キル・ビル』で歌謡曲を使ったのもそうだと思うけれど、日本的な感性ってなものがそこには入っているのが面白い。今回のアルバムのファースト・トラックとなっている黛ジュンのカバー”夕月”から琴でオリエンタルな味付けがなされているのも、そうしたわけだろうと思う。
しかしここにも食い込んでくるんだな、あざとい秋元康が。そのラストの”季節の足音”はボーナス扱いみたいだけれど、別に必要なかったんじゃないかな。
とはいえ、良い出来。これもひとえに、由紀さおりがこの美声を維持しているから。安田祥子とのデュオものなんかも、切り口によっては、ジャズ・スキャットなんかを演ることで再評価されるかもしれない。