/ 弾−ひく− 詩−うたう− ( 日本コロムビア / 1978 )
昨日古本屋で、何て面白い本だろう、と思って植草甚一を買ったのだけれど、家に帰ったら同じ本が書棚にあった。最近CDやレコードでもこういうことが多くていやになる。
さて、コレは持ってないという確信があった。アントニオ古賀の演歌レコード。その芸名からも判るとおり、古賀政男の生演奏に小学生にして惚れ込んで、弟子となり、芸名も貰ったという、演歌ギターの名手。そして、酒場の流し風情の演歌をじっくり聴かせてくれる名人でもある。
最近いわゆるニッポン「演歌」の成立を子細に検討した本『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(輪島裕介著)が出た。光文社にしては(失礼!)良い本だ。というのも著者の輪島さんという人は、私が以前参加させて貰っていたことがある、細川周平先生のゼミでお見かけした人だと記憶している。その頃から演歌について論じておられたので、こうした本が出たことを喜ばしく思った。「演歌が日本の心」この言い回しの胡散臭さは、大滝“紅白に出るのか??”詠一の出色のラジオ番組『日本ポップス伝』を聴いて以来、私の中でも揺らいでいた。ギターという楽器を使って作られたメロディラインにしても、日本というよりはむしろ、ラテンやジプシー音楽のようなエキゾティシズムを感じていたのも事実。それは演歌ど真ん中の世代でないからこそ感じられるモノなのかもしれない。ま、一部の変わり者にとってはマーティ・フリードマンじゃないけど、「エンカはロックだよ!」になってきてもいる昨今。
さて、“アントニオ”なる芸名の彼もラテン・ギターを勉強して演歌に取り入れていた人。この盤、完全な弾き語りばかりではないのが残念だが(オーケストラも入る)、師匠古賀政男の”悲しい酒”、”影を慕いて”から、発売当時の最新演歌”北の宿から”や裕次郎もの”夜霧よ今夜も有り難う”までも収めた演歌ギターの入門版。韓国演歌”カスマプゲ”やさくらと一郎の”昭和枯れすすき”、吉田拓郎もカバーした渡哲也の”くちなしの花”なんかもオツです。
ボーカルが意外とコブシが利いていないので、それが聴き易さに繋がっている。なんともリラックスできる音楽だ。そう言えばむかし、祖母の家でレコードを見ていて、森山加代子なんかを見つけたら「あげるあげる」って言ってくれたんだけど、アントニオ古賀のシングル盤(確かサイン入り)を見つけたときは、「凄くコンサートが良かったの」と遠い目でぼそりと言われて。祖母なりの思い出が詰まっているのかなぁと、なんか手を付けるのが悪い気がした。そんなことを急に思い出して。
アントニオ古賀さんは演歌の世界だけには収まらないギタリストとして、今も現役だ。