/ BEST SELECTION ( Bourbon Records / 1990 )
『レコード・コレクターズ』誌。最近惰性ではあるが2月に1冊くらいは買っている。まあこんな雑誌がいまだに売ってるのは奇跡かもしれないな。DJですら盗難および軽装化のためレコードを持ち歩かない、なんて言われる昨今。テクニクスも生産中止になっちゃうしさ。レコ買いする人自体、かなり特異な人種になりつつある。若い読者はどれほどいるのだろう。
個人的には高校生の時に西新宿の本屋で大量のバックナンバーを発見したのが運の尽き。初めはマニアックすぎるなあという高校生らしい純真な抵抗感があったものの、読み慣れるうちそれも当たり前になってしまったという。恐ろしや。しかも、西新宿の迷路にまで迷い込んでしまったモノだから…CD化が進んでいなかった90年代前半は、まだまだレア盤は高かった!
中でも、岡田則夫さんの「蒐集奇譚」は懐かしい連載。大好きだった。古本に熱を上げたのとレコードに現を抜かしはじめた時期はほぼ一致していた。今となっては1990年前後辺りから2005年位までのレココレ誌はほぼ全て手元にあるようだけれど、91〜95年くらいまでの特集記事がとりわけ凄い。でも、読者の方ならお気づきだと思うけれど、60〜70年代の検証を済ました辺りから、内容が薄っぺらになってしまった。紙質は良くなったけれど、中身はスカスカですな。全部とは言わないが、特にいちミュージシャンの特集記事は酷すぎる。愛がないよね。参加作も全て調べ上げる気すらない感じで。まぁ、ゆる〜くビートルズ・バブルにのっかった方が得策っていうフトコロ事情なんでしょうけれども。今時、海外のWikipediaや音楽サイトに載ってるくらいの情報じゃ珍しくもなんともないですよ。『レコード・コレクターズ』を標榜するからには、最低でもディスコグラフィをまとめる位はやって欲しい。多くのライターさんも参考にしているallmusicだって間違いが多いんだから。
そこまで言うならレココレ誌買うなよ、って話なんですが、まあそう言わずお付き合い下さいな。
ところで音楽ライターの友人と、これから音楽について「書く」ということはどういう展開を迎えるのだろうか、と話したことがある。音楽産業自体の縮小を思うと、そう未来は明るくないかもしれない。インタビュー記事あたりにその活路を見いだせるとか、一部のライターさんがレコード会社とタイアップした太鼓持ち原稿を書く、ってのは今も昔もあり続けるだろう、とか。でも、レコードのライナーも果たしてこの先どこまで意味を持つのかな。歌詞の対訳や歌詞カードが嬉しい時もあるけれど…うーむ、そう思うと、音楽ジャーナリストの長谷川博一さんが言っておられたとおり、日本に正統なロック・ジャーナリズムは根付かなかったということか。刺激的な論考には少なくとも近年出会ったことはないし、それを受け止める側の準備も不十分だ。ってか、そんな論考があっても発表する場がない?ってか、そんな刺激的なレコードが存在しない!?
まあそれでもインターネットで色々な音楽愛好者の方のブログやHPなんかを見ていると、実に面白くて、時を忘れるほどだ。アーティストのHPやツイッターも、ダイレクトにその人となりを伝えているモノもあるし。色々書いてきたけれど、音楽について書くってことの可能性があるとするなら、ある種の編集力かもな、と。マニアックに一つを追求するのも良いけれど、音楽に限らず多くを知り、時代や国を飛び越えて語ること。そしてそれらを有機的に結びつけること。だとすると、ここで我が身を思って、なんとも恥ずかしい気分になる…中村とうようさんなんかは、なんだかんだ本を読んでみるとヤッパリ凄いよね。まさに時空を越えた編集力に尻尾を巻いて恐れ入ってしまう。今のレココレ誌には無い感覚だ。
そんなことをぶつぶつ言いながら、唐突に聴きたくなった萩原健一がスピーカーに鳴っている。大阪ロックってなイメージの楽曲を歌っている彼だけれど、(BOROの”大阪で生まれた女”、木村充揮&近藤房之介もカバーした”ぐでんぐでん”、故 河島英五の”酒と泪と男と女”)実は埼玉出身だと知った。井上堯之や元ジプシー・ブラッドの速水清司といった太陽にほえた面々も曲を書いている。歌手としては沢田研二以上に語られる機会が減っている萩原だけど、『Nadja』シリーズとか、今聴いてもなかなか大人の味わいだ。