「夢よ叫べ!」
夢は紅白に出て親孝行すること、など世迷言とも思えた、荒唐無稽なエンケンの夢。それらも、近作『エンケン対日本武道館』などという勇ましい姿を見るにつけ、信じるモノこそ正義だと思えてくる昨今だ。
ということで、行ってきました、エンケン風呂ロック!!吉祥寺・弁天湯にて行われたライブイベントのトリを飾ったエンケン。別に女湯に入りたかったわけではないが、居てもたってもいられず駆けつけた。とにかく渦巻く熱気に血まみれ汗まみれ!(血は出てませんが。)生エンケンはというと、6年位前に一度、3年くらい前に一度、でもちゃんとしたワンマンライブの形で見るのは初めて。そう言えば中学か高校の時、テレビで中津川フォークジャンボリーの映像を見たのがエンケン初体験。純粋に「怖い」と思ったのが忘れられない。
もうとにかくしょっぱなの“不滅の男”、“ラーメンライスで乾杯”からすでに、狂ってる!!アートとはここまでに原初的な衝動だったんだと再認識。暑苦しすぎるギター弾き語りにこちらも手に汗握る。それでいて、実に内向的な歌を外向きに歌っているのが彼らしい。でも内向的な歌といっても、世の中の殆どの歌がそうだけど、自分の辛さを人にわかって欲しいとかいうフザケ腐ったお涙頂戴歌なんかじゃなくて、自分の悔しさや不甲斐なさとか羨ましいと思った気持ちなんかを素直に吐露してくれるんだから、観客もそりゃ引き込まれます。すごく勝ち負けを気にするところも良い。たぶん一曲一曲、観客・自分・アンプ・ギター・世界そして宇宙…と全てに勝負を挑んでるんだと思う。何しろライブイベント名も『弁天湯VS遠藤賢司』だし。いちいち勝負を挑んでる。
前半・後半の2部構成。風呂場なだけに天然のリバーブが心地よい。アコギ3本を交換しながら、静のエンケンである“カレーライス”に“ミルクティー”、さらにウクレレによる猫偏愛っぷりを覗かせた“寝図美よこれが太平洋だ”、エルヴィス踊りの首相を揶揄したMCに続く“歓喜の歌”、さらに前半最後には“満足できるかな”&“踊ろよベイビー”のメドレーという、酸欠必死の命懸け選曲!!さらに、新作『にゃあ!』からは“宇宙を叩け”、“風の噂”、ニール・ヤングの”Heart Of Gold”を思わせる“やっぱりあなたの歌じゃなきゃ”なんかを。そう言えば開演前・休憩中の会場にはバッファロー〜CSN&Yがひっきりなしに。吉祥寺バウスシアターではニール・ヤングの映画と自らの映画との“対決”をまたやらかすらしいし、ライバル意識むき出しにしつつも、好きなんですね。そうそう、唯一キーボードで演奏された“死んじゃったお母さんの夢”は凄く良かった!冒頭のエキセントリックな鍵盤使いに、「またデタラメを弾いているのでは?」と微笑ましくも疑ってしまったが、その後のピアノプレイは本当に素晴らしかった!純音楽家を疑ってしまってゴメンナサイ。
さらに、印象的だったのは、“黄色い猿“でありまして、直截的な題名からも判る通り、西洋一辺倒の日本の在りように疑問を呈しているわけで、そのエンケンの苛立ちは「相も変わらずこの国は 鹿鳴館の舞踏会」というフレーズに凝縮されていた。黒船以来、アメリカ人は日本人を文化的にレイプいや強姦している、とまあそういうことが言いたいんでしょう。うーん。でも、フォークギターという西洋楽器を身に纏い、亜米利加や英吉利のロックンロールの産湯に浸かったエンケン自身も、身に覚えがあるというか、そのアンチテーゼをフォークギターを掻き鳴らして歌うしかないというジレンマにも気づいているわけで。色々考えさせられました。同じ60年代後半、東洋の小国日本にデビューしたURC組、岡林信康のアジアのリズム〜エンヤトット〜回帰と、片やエンケンの純音楽家への接近には通ずるものがあったということだ。美醜の価値観含めて西洋に感化され、それにも気づかない位ボケて腑抜けちゃった日本人を覚醒させんと(本人は意図してるかわからないけど)、パフォーマンスを通じて旋風を巻き起こす近年のエンケン巡業は、まさに音楽一揆だったのだ!
さてさて、初の国産フォークギター、ヤマハFG-180のバカ鳴りが印象的だった“夜汽車のブルース”では中津川と同じギターじゃなかろうか?と時空を越えたロマンに思いを馳せてみたりしたが、それもつかの間、観客は風呂桶を担ぎ、エンケンはアンプを担ぎ、“東京ワッショイ”を爆音エレキで弾き語りと来たもんだ。もう参ったよ、エンケン。降参です。正直ニール・ヤングにも勝てるかもしれません!
P.S.会場では名物ピラミッドカレーも売られてました。さすがにカレーは食えず。暑すぎて。