最近レコ屋を流していて気づくのは、90年代に一世を風靡したレア・グルーブ云々といったムーブメントもついに一段落したのだなということ。レア・グルーブって渋谷系なんかがもてはやされた時期からの話だと記憶しているが、過去の誰も知らない音源をとにかく掘って掘ってほじくり返して、そのカッコよさを再構築してみせるというわけで、ヒットした下世話なモンだろうがレアモノだろうが、ジャンルだとか楽器だとかブレイクビーツだとかある一つの切り口で見てみると違う見え方が出来てくるのが実に痛快だったし、音楽に込められた歴史的意義や時代性、偏見みたいなものを無くしてくれる新しい感覚があった。同じレコード盤である以上等しく料理される権利がある、とでもいうような感じ。レコ文化がいまだに生きているのもこのムーブメントのお陰でしょうし、二束三文の80年代の駄AOR盤にも値がついたりしてレコ屋も儲かったことでしょう。まあこれもそもそもは、オリジナルとコピーの差異が消滅し、過去作品の寄せ集めなっていくとゆーポストモダン的傾向が音楽にも及んできたことがあるのでしょう。
まあそれで、一段落したなと感じたというのは、レア・グルーブを引きずったジャンル分けの店で一時期もてはやされたソフトロックやAORなんてものの凋落ぶりが激しいと言うコト。まあソフトロックなんてジャリタレのポップスとか元来割と色物的な盤も多かったので、致し方ないところか。AORも飽きられてしまったのか。昔から固定客のしっかりしたSSWやカントリー・フォークものはというと値も安定してきていている感触。それに一番余暇時間が多くコレクターの敵でもある学生層は最近まずフォークものに見向きもしないもんだからホント買いやすい。フォーキーだなんだって持て囃された時は焦ったものです。まあでもそういうブームは再発CDが充実するので嬉しくもありました。しかしですね、一番現代オカネを持っている50〜60代のリアルタイム層はヤハリ手強い。横一列5棚のレコがあったとしてその端からレコを繰っているオッサンに近づこうものなら、「オレより先に横の棚荒らすんじゃねえ」とでもいうような殺気を感じることがしばしばある。また、そういうショバ争いをしているオッサンが棚の端っこに二人肩を並べていることがよくあるが(まあ見ている人の近くのエサ箱にこそ良いレコがありそうに思える心理はわかるのですが…)、端から見ると棚の半分以上が空いていたりするわけで、ギョッした2人の顔を尻目に私は颯爽とその空いた3棚を占拠してみたりする。イヤハヤー。マコトにセセコマシイ争イ…。まあここまでするのは余程スゴいセールの時くらいですが。でも実生活で人と争うこともないわけだし、趣味くらいで争ってもイイジャナイカナーと思うのだが、身近な人に同意を求めようにもレコード道楽なんぞに付き合えんとハナっからソッポを向かれるのが筋。いいさいいさ。哀しくも楽しきレコードジャンキー道、私などまだまだ序盤戦!!