/ Same (Capitol CTP-9058 /1972)
西欧文化圏での日本文化の売り込み方、というとアニメはともかく映画や音楽の世界では、意味を持った肉声を極力廃したインストゥルメンタル(テクノ)を除いて、まだまだサムライ、ハラキリ、ゲイシャといったオリエンタリズムに訴えるしかすべがないのが現状だ。そうした擦り寄り方に対してたいていの日本人は懐疑を抱く。なぜならゲイシャも、ハラキリも、ちっとも日本の生活に身近なものではないからだ。それどころか西洋のまなざしを内在化させてしまっているわれわれは、ゲイシャやハラキリにエキゾティシズムすら感じてしまう。
前置きが長くなったが、その名も“EAST”1972年リリース(米Capitolよりリリースされ逆輸入)の唯一作は、はっぴいえんどが日本語ロックを模索していた時代にあって、「日本」性を高いレベルで、西洋のフォークミュージックに織り込むことに成功していた。歌詞カードには、琴、鼓、日本太鼓、琵琶、尺八、篳篥(しちりき)、篠笛、拍子木といった和楽器の紹介もなされていたこのアルバム、和楽器ミーツフォークロック、の色合い。メンバーはアメリカのモダンフォークを消化したニューフロンティアーズのメンバーだった瀬戸龍介(Ruese Seto)、吉川忠英(Ted Yoshikawa)、森田玄、足立文男、朝日昇の5人。後の日本のポピュラーミュージックにおける吉川忠英の活躍から彼の率いたグループと見られがちだが、内8曲は瀬戸のもの。アルバムは全曲英語詞(シングルには日本語 ―かごの中のカナリヤ― もあった)だが、実に完成度が高い。サウンドの鍵になっているのはやはり弦楽器を扱う吉川の、ギブソン・琵琶・大正琴の音色。まず洋盤のタイトル曲A-1”Beautiful Morning”は雅楽器とアクースティックギターの煌びやかな競演。メロディーはトラッド系フォークロックのそれだが実に素晴らしい出来で、西洋・東洋が誇る弦楽器の親和性の高さに胸が躍る。A-2”Me”、A-6”Deaf Eyed Julie”はマイナーコードのトラッド風。A-2のパーカッションはトランスを誘う。森田玄 作のA-3は一転よくあるフォークロックで驚くが、続くA-4”She”は吉川作のハミングが美しい耽美的俳句バラード。A-5はキングストントリオっぽいハーモニーのついたモダンフォークをフォークロックにアダプトしたアプローチ。転調が肝か。B-1”Black Hearted Woman”では、ソロは和楽器に取らせるもののエレクトリックギターも登場し、東洋志向のヒッピーを唸らせる作りに。B-2”Call Back The Wind”は唯一のピアノ曲で、後半にはバンドも入ってくる。B-3”Jar”は悟りを開いた男の歌。そういえばフラワートラベリンバンドのSatoriも、東洋人の神秘に目が向いていた当時のヒッピー志向にうまく合致していた。B-4”Everywhere”はそうした方向性の集大成。シタールが琵琶に変わっただけで、インド音楽に接近したビートルズの感覚とそう変わらない。ここまでは素晴らしい。しかしB面ラスト、オマケなのか日本人としてのアイデンティティなのか、A-5”Shin-Sorllan”(ソーラン節)はどうだろう。日本の民謡(フォークソング)/ワークソングを歌うことで7:3で西洋のフォークに則っていた本作のバランスが崩れた気も。とはいえこの作品、もっと多くの人に聞かれるべき名盤だ。