エレック・レコード所属・元「竜とかおる」の…という枕詞でいまだに紹介してしまうのも申し訳ないのだけれど、佐藤龍一さんの3月20日発売のニュー・アルバム『LEGACY OF LOVE』が到着!何度も聴き返しているけれど、好楽曲・好アレンジで綴られた渾身の力作だと思う。個人的には「ミュージシャンは老いてなお進化し続ける」ことを実証する現役先輩ミュージシャンとして尊敬している。全力で歌い、弾きまくるライブは一見の価値がある。その龍さんといえば、近年はツイッターのフォロワーなんと5万4000人!私も昨年たまたま会った20歳くらいのデザイナーの女性の方が何気にフォローしていると何かの話でわかったりして。ミュージシャンとして、というだけではなく、現役クリエイターとして刺激を受ける言葉の数々が散りばめられているからだろう。また最近では、戦争体験者でいらっしゃった御実父を94歳で亡くされ、入院されてからのそのドキュメントを多くの方が見守っていた。さらに葬儀では御父上の好きだった江差追分をかけようとしたら止められた…というJASRAC関連の問題がメディアの多方面で取り上げられ、話題になった。
個人的には2011年に元ピピ&コットの金谷あつしさんのプロデュースで出したファースト・アルバム『蒼い蜜柑』の1曲目”パノラマ”と、4曲目の”真実”を龍さんにアレンジして頂いたのが忘れられない。デビュー盤の1曲目ですからね。今でもこのアルバムの1曲目のイントロが好きだと言って貰えるのは龍さんのお蔭です。クラプトン!と思ってしまったぐらい艶かしいエレキ・ギターのソロも最高で。ギターやベース・打ち込みまで、マルチな才能をもっていらっしゃる。歌入れレコーディングの日には生でブルースハープを入れてもらったのも思い出です。
さて、この『LEGACY OF LOVE』は自身のレーベルMIOTRON RECORDSからの初リリース。1990年頃にNYのジャズ・クラブ"VILLAGE GATE"で、演奏を聴きながら紙ナプキンに走り描きされたというジャケのイラストがとても良い。予約特典にはポストカードとバッジも付いていた。
今のところ、流通はあえてしておられないとのことで、ライブ会場あるいはホームページから購入可能になっている(http://seesaawiki.jp/w/miotron/)。全12曲で、ライブの弾き語り風味もありつつ、バンド・サウンドによる迫力あるアレンジが聴きものだ(龍さん自身の演奏に加え、安井歩氏がベース・キーボードなどで参加している)。ライブでの人気曲で、自伝的内容の”なけなしのジョニーのくせに”はブルージーなアコギの弾き語りとみせかけて、レゲエ・アレンジで初っ端からぶっ飛んでしまう。”愛っていったいなんなの”はギターの上手さも光っていて。アンビヴァレントな恋愛感情を歌った”嫌いになりたい”は往年のフォーク・サウンドで落ち着く。好きですね。”青空ファンク”は前作『LOST&FOUND』の”ファンキートレイン”を髣髴とさせつつ。龍さん・生田敬太郎さん・とみたいちろうさんはエレックのファンキー三勇士だと思っています(笑)。龍さんのブルージー感覚で言えば、チャー&金子マリがいたスモーキー・メディスンのレパートリーで龍さん作詞・作曲の”R&R列車(ロックンロール・トレイン)”も忘れてはいけません。龍さんとアマチュア時代にバンドを組んでいた、とみたいちろう(現Mojo)の1976年作『STEP TO MY WAY』にはとみた&龍の共作とともに、この“R&R列車”(バックはスモーキー・メディスン)が収められている。ところで、とみたいちろうさんは”俺とおまえと大五郎””パッ!とさいでりあ””セガサターン、シロ”といったCMソングや私の世代だと戦隊モノ『科学戦隊ダイナマン』でもお馴染み。
しかし、龍さんといえばデビューの時から才能を買われていた「詩」がいつも印象にあるのだけれど、このアルバムの詩に充満するのはやはり「愛」かな。何しろタイトルは「愛の遺産」。失ってから、時間・空間的そして精神的距離を取って、生きていて初めて気付く愛の相貌。つかめそうでつかめないものなんだけれど…それは龍さんの亡くなられた御両親や奥様のことももちろんあると思うけれど、そうした個人的な経験を超えたところにある愛の普遍性に打たれてしまった。「ひとは何故に生まれ 愛しあうのだろうか 永遠のその果てに 何を見るのだろうか」(”還らざる河”)…龍さんの地点に達していてさえも、見ることができないものを、僕みたいな青二才が捉えられるわけがない。それでも”百億年の夢”にある「逝かないで どうか生き延びて」からは、生の肯定的なメッセージを受け取ることができた。始めの話に戻るけれど、「ミュージシャンは老いてなお進化し続ける」ことを実証する龍さんの生き様に、生きることの素晴らしさを感じずにはいられない。
さて今度は、龍さんのキャリアを辿っていこう。1972年、キャニオンレコードから伊藤薫とのデュオ「龍+1」名義の「オニオニ島失踪事件の唄/競馬場のある街はずれに」でデビュー。グラム・フォーク風なファッション!コミック・ソングのタッチでありつつ、ロック・マインドがそこかしこにあるのが龍さんらしくて面白い。2011年の編集盤『エレック ゴールデン☆ベスト〜コミックセレクション〜』で聴くことができる。
その後、「竜とかおる」と改名し、1974年にエレックレコードよりアルバム『ひとつのめぐり逢い』をリリース。エレックというと「フォーク」という範疇で決めてかかってしまうけれど、”その頃の僕”などにはソフト・ロックのテイストがあって、ドリーミーで独特の美学が感じられる。そしてLPで聴くとレコーディングの音の良さもわかる。龍さんの詩と伊藤薫さんの楽曲のコンビネーションは見事だった。伊藤薫さんの女性的なハイトーン(実は初めて聴いたとき女性だと思い込んでいた)と、震えるような龍さんのボーカルにも個性がある。”ちぎれそうな声で”や”流れ星の伝説”は名曲。シングル・オンリーの楽曲では1974年の「エミリア」がある。
1974年にデュオが解散すると、1975年に「龍」名義のソロ・アルバム『あわせ鏡』をエレックレコード(TOYBOX)よりリリース。” ちぎれそうな声で”の再演もあり、力強い弾き語りが堪能できる。ライナーでは永島慎二の文と絵が印象的。永島慎二の『フーテン』は私も大好きです。10分に及ぶタイトル曲が白眉。後の短歌絶叫・福島泰樹さんとのコラボを思わせる世界観が既に完成している。
1975年にはモデルのエルザのトリオからリリースされた『Half & Half』にスーパーバイザーとして参加(裏ジャケに龍さんのメッセージあり)。”唄は私の小さな人生”の詩・アレンジ・唄、真理アンヌ作詩の”父よ”ではギター一本の伴奏を務めている。このアルバムは荒木和作&やまだあきらやダッチャ、かんせつかずとか、トリオ・ショーボートものが再発されたときに、そのセンスの良さで話題になったフィーメール・ボーカル盤。エルザの事務所ゲドリック商会に龍さんと薫さん、三上寛さんがいたみたいで、一緒にツアーもやっていたそう。結構強烈な組み合わせ。どんなライブだったんだろう。ライブ音源の”唄は私の小さな人生”で想像してみたり。
さらに1976年には短歌・現代詩とのセッションが始まり、東京キッドブラザーズのミュージカル『ひとつの同じドア』の音楽を手がけている。さらに、四人囃子の茂木由多加のプロデュースで『SCANDAL』をリリース予定だったがオクラ入りし…その後世界30ヶ国を放浪。日本では失踪の噂が流れたという…。いやはやこの辺りの話がスゴイですね。ところで茂木由多加のプロデュースの『SCANDAL』、いつかどこかで再発できないものなんでしょうか。1976年のシングル『最後のジルバ/夕焼け事件』でその一端を聴くことは可能。
それにしても、”最後のジルバ”では歌詞に合わせて高速チャールストンになったり、ジャズになったり…というめくるめくキーボード・アレンジにただただ驚くばかり。日本のフォークとロックの力関係が逆転する端境期が私の見立てでは1978年。ギターと鍵盤の力関係と言い換えてもいいんだけれど。だから、1976年でこの音は先を行き過ぎている。茂木由多加さんという人は本当に天才だったんだろう。そしてまた、このアルバムがリリースされていたならば、龍さんのキャリアもまた違ったものとなっていたのではないだろうか。ちなみに1978年にキティからリリースされた茂木由多加さんのソロ・アルバム『デジタル・ミステリー・ツアー』はA面にビートルズ『Magical Mystery Tour』のA面の”I Am the Walrus”以外の5曲を当時最新のキーボード・サウンドでカバーしているという異色作。
あと、短歌・現代詩とのコラボレートで言うと、短歌絶叫の福島泰樹さんとのコラボはとりわけ阿吽の呼吸が凄まじい。吉祥寺・曼荼羅では長らく短歌絶叫ライブをやっておられる。龍さんの情感を帯びたアコギと福島さんから吐き出される現代詩が絡み合う様はかなりアヴァンギャルドだと思う。1982年に砂子屋書房からリリースされた『曇天』は「福島泰樹+龍」名義。ライブの緊張感がそのまま詰め込まれている。龍さんの力強いボーカルが映える”バリケード”は特に印象深い。あの時代の想いも感じつつ。CDでは1996年『転調哀傷歌』もよく聴いた。
そして2008年、32年ぶりにリリースされたソロ・アルバムが前作『LOST & FOUND』(SOUNDforte)だった。近年の旺盛なライブ活動から今回の新作に繋がる現在の佐藤龍一の音楽が詰まっている好盤。
ちなみに、竜とかおる時代の盟友・伊藤薫さんは欧陽菲菲の”ラヴ・イズ・オーヴァー”を作詩・作曲し、人気作曲家となった。谷村新司もカバーした”Too Far Away”や自身の”君への道”など、バラードの美しさは秀逸。TOYBOXからリリースされた1976年の『アルバム―かおる―』は未CD化だが、バイバイ・セッション・バンド〜一風堂の土屋昌巳がアレンジを手がけていた。
その頃のとみたいちろうのシングル『ハイエナデキシーブルース/さよならマギー』も土屋昌巳アレンジだった(”さよならマギー”は龍さんの詩)。その他、1986年に『君への道』、1994年に『少年へ…』をリリース。
2013年には松原健之とのデュエット・シングル『悲しみの雨/秋の手紙』がリリースされ、翌2014年には歌謡曲のソングライターとして作った楽曲(”ラヴ・イズ・オーヴァー”含む)のセルフカバー盤『SHADOWS〜今残したい伊藤薫の10曲』をリリースした。そうなると、ファンとして期待したいのは再結成ですよね。オフコースやふきのとうもファンの気持ちは同じだと思うけれど。だって、あの古井戸(加奈崎芳太郎さん&チャボさん)だってまさかの再会ライブがあったじゃないですか!そんなことも、頑張って日々を生きていれば、いつの日か、あるんじゃないかと期待しつつ…。